手堀りの切り通し(アーガイル・カット)

オーストラリアの先住民・アポリジニの土地を勝手に自分の土地であると宣言したイギリスが、最初に送り込んだ移住者が囚人たちであったことはよく知られています。最初の囚人のグループが1788年に上陸したのが、シドニーのロックス(The Rocks)という辺りだったそうです。岩が多いためロックスと名付けられたそうですが、この地区は、シドニーで一番古い建物が残っている地域のようです。

上の写真に写っている切り通しはロックス地区にあるアーガイル・カット(Argyle Cut、アーガイル・ストリートにあるCut、つまり切り通しなのでこう呼ばれているのかも知れません、argyleはタータン・チェックの一種類ですが、元々は西スコットランドのArgyllが発祥の地だったため、こう呼ばれたようです)です。この切り通しは囚人たちが、1843年から1867年まで、24年間かけて、掘ったもので、最初のうちは、ハンマーとのみを使って手で掘ったそうです。いかにも手堀りらしく、表面はでこぼこのままに保存されているようです。コンクリートで表面を覆うことも簡単だったとみられますが、あえて手堀りの跡が分かるようにそのままにされているようです。大体の規模としては、100mの長さを幅15m、深さ10m位掘った感じでした。

この辺りの岩盤は砂岩で、岩石としてはそれほど堅くない(モースの硬度が2.5、ちなみに大理石は3.0、花崗岩は6.5だそうです)ようですが、それでもこれだけの切り通しというのは、あまり見たことがかりませんでした。ここで掘った岩石を使って、建てられたガリソン・チャーチという教会が、このトンネルを抜けた右側にありますが、この教会はオーストラリアで最も古い教会だそうです。また、案内してくださったジャルパックのガイドの方が、シドニーの古い建物は大体、茶色い砂岩でてきているため、見分けるのが簡単だとおっしゃっていました。

上の切り通しは現在では、トンネルのように見えますが、1928年から建設が開始された、ハーバー・ブリッジにつながる道路がこの上を通るようになり、上に橋が架けられたためです。

下の写真は、アーガイル・ストリートで、アーガイル・カットよりサーキュラー・キー(「夕暮れのオペラハウス」に写真を載せてあります)寄りの辺りを夜写したものですが、ヨーロッパの町並みのような感じがありました。

下の写真は、上の写真の場所から右にしばらく行ったところにあるスザンナプレイスです。こちらは、ちよっとパリのモンマルトルのような感じでした。ここに映っている建物は、昔の生活を展示している博物館です。

下の写真は、最初の病院が建てられたナース・ストリートと呼ばれる地域の路地ですが、この路地は先に行くに従ってだんだん細くなり最後には大人一人がやっと通れるくらいの幅になっています。ガイドの方によると、この細い部分を通過できない日本からの観光客が一人だけいたそうで、それはKONISHIKI(元小錦関)さんだそうです。

下の写真は、シドニーで一番古いパブで、白い窓の部分は壁だそうです。昔は税金が窓の数に基づいて算定されていたため、見かけだけの窓が作られたとガイドの方が教えてくださいました。


ロックス地区の北の端には、シドニー・ハーバー・ブリッジがかかっています。この橋は、幅49mと世界最大であるだけでなく、長さ1,149m、高さ139m、最大の橋梁の間の距離は503m、工事の開始が1923年、完工が1932年と、大恐慌の時代に計画された巨大公共事業の一つでした。下の写真は、公園のような感じの橋の下の部分です。橋の梁〔はり〕を歩いている人が見えますが、これは往復4時間をかけて橋の頂上まで登るツアー、「ブリッジ・クライム」の参加者達です。人気のあるツアーのようですが料金が大人1人198ドル(約1万6,000円)と高いため、今回は参加はあきらめました。

下の写真は、フェリーから橋の最上部を写したものですが、ブリッジ・クライムの参加者が映っていると同時に、橋がいかに巨大かが分かると思います。

下の写真はフェリーから見たハーバー・ブリッジです。

下の写真はサーキュラー・キーから見たものですが、フェリーが次々と入港していることが分かると思います。これらは通勤・市内交通用のフェリーですが、現在停泊しているフェリーのような、双胴船がかなりの割合を占めていました。

下の写真はタロンガ動物園に向かうフェリーからハーバー・ブリッジとオペラハウスの方向を写したものです。わたしが訪問した6月は、こちらでは冬で、気温は4度くらいまで下がるため、皆さん冬支度をされています。

下は、シドニー在住の方のお勧めで、パラマタ(Parramatta)というところまで通勤フェリーで行ったときに写した写真です。このフェリーの路線は通勤路線であるにもかかわらず、すばらしい眺めを楽しむことができました。

ただ、サーキュラー・キーを出発するときに、間違って別な路線のフェリーに乗ったため、1時間以上時間をロスしたこともあって、パラマタに着く前に暗くなり、サーキュラー・キーに戻ってきたときには、真っ暗でした。しかし、そのかわり、下のようなシドニーの夜景を楽しむことができました。かみさんは、またシドニーを訪問する機会があれば、ぜひ昼間にこの路線にまた乗りたいと言っています。

(2010年8月22日)

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