朝の日比谷公園

東京都千代田区の日比谷公園(面積は約16万平方メートル)で2014年11月のある朝に写した写真です。日比谷公園は日本初の「近代洋風都市公園」として1903年(明治36年)に開園しました。都心にあるため高層ビルに囲まれています。左手の影の部分は、NBF日比谷ビルの影です。このビルの場所には明治時代には「鹿鳴館」が建っていたという表示がビルの前にあります。このビルの左隣は帝国ホテルです。画面中央の低いビルはNTT日比谷ビルで昔はここがNTTの本社でした。NTT日比谷ビルの上に見える高層ビルが旧第一勧銀の本社だったビルで、現在ではみずほ銀行の東京営業部となっているようです。朝の出勤時間帯には公園を横切ってサラリーマン・サラリーウーマンがたくさん歩いています。公園はほぼ長方形で短辺は約240メートルと約270メートル(皇居外苑、日比谷濠側がやや長くなっています)、長辺は約470メートルとかなり大きく、周辺には地下鉄の駅が多数あるため、歩いている方々のうちのかなりの方が、通勤と散歩を兼ねているのではないかと思います。

有楽町側の入口(有楽門)を入ると左手に石垣がありますが、これは日比谷見付跡(見付は江戸城の城門という意味だそうです)で、石垣に上ると公園が見渡せます。上の写真は2014年4月に石垣の上から第一花壇の方向を写したものですが、やはりサラリーマンが歩いています。

上の写真は中央噴水を2014年4月に写したものです。正面の茶色の建物は日比谷公会堂で、私のようなじいさんにとっては、なんと言っても日本社会党(現在の社民党)委員長の浅沼稲次郎氏が1960年10月12日に日比谷公会堂で演説中に、壇上に登り、短刀を腰に固定して体当たりした17歳の右翼の少年に刺し殺された事件の印象が鮮烈です。右手の丸い屋根の建物が日本プレスセンタービルで海外の要人や話題の人を迎えて日本記者クラブが主催する記者会見はこのビル内の日本記者クラブで開かれます。右手の覆いがかかった建物は、破綻した旧日本長期信用銀行(現在では『新生銀行』に改称)の本店だったビルで、あまりにも贅沢な作りだったため、有効利用するためには取り壊すしかないということになり、解体中です。2015年2月現在であと数階を残すまでとなりました。覆いのかかったビルの左側の屋根の傾斜した高層ビルは2014年6月に完成した「虎ノ門ヒルズ」です。

上の写真は日比谷公園内の日比谷図書文化館です。昔は、日比谷図書館だったのですが、最近はイベントも開催されるようになったため、図書文化館に改称されました。ただ、図書館の方は、テーマ別の勝手な配列にされたり、開架書庫に収納されている冊数が減らされたためか、あまり使いやすくないようです。この建物は上から見ると正三角形となつているのが特徴ですが、敷地が三角形だったため三角形の建物になったそうです。図書館の敷地がなぜ三角形だったのか、理解に苦しみます。


上の写真は霞ヶ関の官庁街方向の霞門の近くにある雲型池にある鶴の噴水を2014年12月に写したものです。池の表面も凍っていました。1998年の雪の日にこの池を、逆方向から鶴は入れずに写した写真を「東京雪景色二題」でもご紹介しました。上の写真に写っているベンチのうち一番右端のベンチから超望遠レンズで霞門を通して官庁街を2014年10月に写したのが下の写真です。

周りに写っている樹木や案内板は公園内のものです。写っている車は霞門の交差点を左折しようとしています。右上に「霞ヶ関一丁目」という交差点が写っていますが、これは霞門の約200メートル先にある交差点です。中央右寄りに青と赤の「(1)桜田通り」という標識が写っていますが、桜田通りは霞ヶ関一丁目、つまり公園の200m北西側を公園の端と並行に走っている通りで、東京の日本橋と大阪市北区梅田新道交差点を結ぶ延長560kmの国道1号の一部となっているという意味のようです。信号機の左下の石垣は、約300メートル先の国土交通省の石垣のようです。

公園内にはレストランが7軒ありますが一番有名なのが上の写真の松本楼(まつもとろう)です。日比谷公園の開園の年に創業したそうですので創業111年ということになります。毎年9月25日頃には「10円チャリティーカレー」が先着1,500人に提供されるため大変な行列になります。上の写真の左側に写っている巨木は推定樹齢が400年、幹の周りが7.5メートルのイチョウで、「首賭けイチョウ」と呼ばれているそうです。公園の案内書によれば、日比谷公園の生みの親、本多静六博士が道路拡張のために伐採されようとしていたこのイチョウを、移植不可能と言われていたにもかかわらず「首をかけても移植させる」といって移植を成功させたため、こう呼ばれるようになったそうです。

公園の北端にはテニスコートなどがあり、コートと草地広場の間には季節ごとにいろいろな植物が植えられますが、2014年4月に通ったときには菜の花が咲いていました。

テニスコートと公園の北西側の端の間に、1952年にアメリカから送られた「自由の鐘」が設置されています。これはフィラデルフィアの独立ホールに展示されているLiberty Bellと同じ大きさの複製です。Liberty Bellは1776年のアメリカの独立の際に打ち鳴らされて、アメリカだけでなく、全人類にとっての自由の象徴となっているそうです。

2014年11月11日夕方、「活動家集団思想運動」というグループに所属し、「小川町シネクラブ」という、労働運動に関連する映像製作、上映会、学習会を主催するグループの指導者的存在だった「労働運動活動家」の新田進さんが、「自由の鐘」の横の「健康広場」で焼身自殺をされました。11月19日にその場所に行きましたが、花束が供えられていました。安倍首相の集団的自衛権の行使容認に抗議するために焼身自殺をされたようです。Peace Philosophy Centerというページ( http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html ) から下に抗議文をコピーさせていただきました。


衆議院議長殿
参議院議長殿
安倍晋三内閣総理大臣殿

抗議文

違憲無効な「7・1閣議決定」を直ちに取り消せ!

集団的自衛権容認に基づく安保法制の立法準備及びガイドライン再改正などを即刻やめよ。

これらと結びついた沖縄の辺野古・高江の基地建設を今すぐ中止を。

国会両院は、違憲・無効な「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法法制の整備について」2014年7月1日国家安全保障会議・閣議決定の取り消し決議を。

わたくしは死をもって訴えます。

2014年11月11日 新田 進

なお、この文書はいくつかの報道機関等に送付しました


2014年6月29日にも新宿駅南口でさいたま市の男性が焼身自殺しましたが、こちらも集団的自衛権容認に抗議するためだったようです。ただし、こちらは未遂となり、その後の報道はないため、一命は取り留めた可能性があります。

日本での政治的焼身自殺は1967年に弁理士でエスペランティストの由比忠之進氏が官邸前で、佐藤政権のベトナム戦争支持に抗議して行って以来、47年ぶりのようですが、新聞テレビの報道がごく小さかったのは、マスコミが完全に安倍政権寄りになってしまっているためでしょう。
焼身自殺と言えば、1963年6月11日に当時の南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺したティック・クアン・ドックのケースが有名です。wikipediaを引用させていただくと、「彼は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、絶命するまでその姿を崩さなかった。その衝撃的な姿がカメラを通じて世界中に放映され、ベトナム国内だけでなく国際世論に大きな影響を与えることとなった」そうです。焼身自殺は大きな変化のきっかけになることがあるようです(2015年2月8日)。

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