問題 23(日本語)の答え・・・(b.英語の疑問文のイントネーションの影響である)可能性が強いというのが正解です。

井上史郎著、「日本語ウォッチング」(岩波新書)の189―191ページに、このイントネーションのことが取り上げられています。同書ではこのイントネーションを「半疑問イントネーション」と呼んでいますが、週刊誌などでは、「半クエスチョン」、「擬似疑問イントネーション」、「文中疑問」とも呼ばれているそうです。

このアクセントを使う人によれば、相手に通じているのか不安なときに、確認のような感じで使うそうです。また、「ゆりかもめって、知ってる?」とあからさまに聞かなくてすむし、その方が丁寧な感じを与えることも、この用法の便利なところだとのことです。

同書によれば、93年ころから使われるようになったそうですが、「このイントネーションは英語から入ってきたという可能性がある」とも指摘されています。ほかに、理由や起源が挙げられていませんから、この可能性が一番高いと考えられるのではないでしょうか。

その理由は以下の五つだそうです。

@このイントネーションの初期の使用者は、英語に不自由しない人が多かったこと・・・・同書によれば、このイントネーションの初期の使用者は、知的職業の女性、留学経験者、アメリカ在住の日本人が中心で、帰国子女のための国際高校でもよく使われるとのことです。

Aこの用法や発音の仕方は、オーストラリアで70年代に広がった「オーストラリア疑問イントネーション」といわれるものに似ているそうです。ただ、「オーストラリア疑問イントネーション」についての説明はなかったため、どの程度似ているのかは分かりません。

Bまたこの用法や発音の仕方は、アメリカやカナダの若い女性の使う「アップトーク」(uptalk)と共通である。これまた説明がないため分かりませんが、もしこのイントネーションが英語の影響だとしたら、音声の面で世界的・国際的な伝播を示すまれな例となるそうです。

C英語のネイティブ・スピーカーが、英語があまりうまくない人と話すときに、やさしい単語を使ったり、ゆっくり話したりすることを「フォリナー・トーク」(foreigner talk)というそうです。フォリナー・トークの一つとして、相手の理解を確かめるために、単語の末尾を上げて反応をみることがあるそうですが、それが半疑問イントネーションに似ているそうです

D専門用語のとびかう職場だと、相手との相互理解を確かめながら話したいときがあり、外国語を使うときと同じように、このイントネーションが使われることがあるそうです


このように、みてくると、「半疑問イントネーション」は、情報の伝達を、短時間(質問の時間の節約できる)で確実なものにする(一応相手の理解を確かめる)というメリットがあり、きわめて実用的な用法といえましょう。また、相手の注意を引くのに有効な用法であるため、セールス関係の人などが、知らない人に新しい内容を説明するときに使うことも多いそうです。これを使っているのは、都会の若い女性が多いそうですが、最近では、中年以上、さらに男性でも使うようになったようです(また、映画評論家のおすぎもよく使っているようですね)。

ところが、このイントネーションは時には非常に軽薄な印象を与えるのも事実でしょう。なぜ、軽薄な印象を与えることがあるかについて、一つの見方が大平 健著「やさしさの精神病理」(岩波新書)の200ページに出ていましたので、一部以下に引用させていただきます。

「もう春みたいですよ。今日、来る時、とりあえず、桜が二分咲き?_なの見たんですよ」
「春みたい」という言い方や「二分咲き?_」という疑問文まがいのイントネーションとあいまって、自分の判断をあたかも仮りの見解であるかのようによそおうのです。

つまり、これは自分の言っていることが間違ったときのための、一種の「保険」の役目をするそうです。若い人がよく使う、「いちおう」とか「とりあえず」という表現も同じ役割を持っているとみられるため、何だか、彼らは、彼ら自身のすべてを、かりそめのものとしか考えていないように思えてくると大平氏は言っています。そう言われてみれば、確かに、物事をじっくりと考えないで、無責任にしゃべっているという印象を与えるのかも知れません。

軽薄な印象の背景となっているのは、この無責任さだけでしょうか。私は次の三つの要因も関係していると思います。

@相手が知らない可能性があると想定していること・・・この用法をやたらと使う人がいますが、その場合、間違いそうもないことでも、相手に確かめることになります。あまりに自明のことについて、このイントネーションを使うのは、相手の知能程度を低く見ていることになると思います。その辺りが、軽薄とみられる一因となっているのではないでしょうか。この用法を使うのは、相手が知らない可能性のあることについてにするべきで、その人が当然知っていることについて、このイントネーションを使うことは、相手の心証を害する恐れがあることを忘れないようにすべきだと思います。

A安易にインテリっぽい印象を与えようとする・・・このアクセントを使うのは、英語を話すインテリが多いらしいということを悟って、話の内容ではなく、イントネーションでインテリらしく見せかけようとしているという、軽薄さがある可能性があります。

B自己顕示欲・・・話の内容ではなく、目新しいイントネーションで人の注目を集めたいという幼児的な欲求が見え隠れするのではないでしょうか。

優れた情報伝達機能を持った半疑問イントネーションも、時と場合を考えて使わないと、軽薄な人間とみなされる恐れがあると思います。

余談になりますが、「やさしさの精神病理」は中年以上の人が若い人を理解する上で大変参考になるばかりでなく、その中の症例報告はへたな小説よりも面白いと思います。特に、207―236ページの「人生への疑問」には感銘を受けました。村上春樹の「ノルウェーの森」やアベ・プレヴーの「マノン・レスコー」をほうふつとさせるものがありました(98年9月3日)。

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