問題42 (日本語)の答え…C「私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCにAが紹介した」が一番分かりやすい順番です。

この例は、問題26(日本語)でも紹介した「日本語の作文技術」(本多勝一著、朝日文庫、49ページ)に載っていたものですが、同書に基づいて、なぜCが一番分かりやすいのかを説明してみます。

まず、C以外が分かりにくい理由を考えてみます。

@ Aが私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCに紹介した。・・・「Aが」と「私が」の「が」が重なるため、「Aが紹介した」とつながっていることが分かるまでに時間がかかる。

A Aが私の親友のCに私がふるえるほど大嫌いなBを紹介した。・・・ここでも「Aが」と「私が」が重なって、「Aが紹介した」とつながっていることが分かるまで時間がかかる。

B 私がふるえるほど大嫌いなBをAが私の親友のCに紹介した。・・・「Aが私の親友(である)」と続くかと(一瞬とはいえ)勘違いする可能性がある。

D 私の親友のCにAが私がふるえるほど大嫌いなBを紹介した。・・・ここでも「Aが」と「私が」が重なって、「Aが紹介した」とつながっていることが分かるまで時間がかかる。

E 私の親友のCに私がふるえるほど大嫌いなBをAが紹介した。・・・「私が」で始まる節が文の途中に入っているため、「Aが」を見落として、「私の親友のCに私が・・・紹介した」と勘違いする可能性がある。ただ、上の四つに比べて誤解の余地が小さい表現だと思います。

上の示した五つの例が、いずれも読者を混乱させる要因を持っていたのに対して、C 「私がふるえるほど大嫌いなBを私の親友のCにAが紹介した」の場合は、どこまで読んだ時点でも誤解を生み出す要因がないため分かりやすいと言えます。

では、C のように分かりやすい文章(この場合は修飾語の順序)にはどのような特徴があるのでしょうか。分かりやすい修飾語の順序には、下の示した四つの非常に簡単な原則があることが、「日本語の作文技術」第3章「修飾の順序」に詳しく説明してあります。

(1)節を先に、句をあとに。
(2)長い修飾語ほど先に、短いほどあとに。
(3)大状況・重要内容ほど先に。
(4)親和度(なじみ)の強弱による配置転換。


ただ、特に重要なのは(1)と(2)で、この二つの重要性は同程度であると著者の本多勝一氏は指摘しています。(3)、(4)は補助的な法則で、後から簡単に説明します。

これらの原則のうち、(2)だけで、Cが一番分かりやすいことが説明できます。つまり、「私がふるえるほど大嫌いなBを」、「私の親友のCに」、「Aが」という三つ修飾語を長い(原則として文節数で長さを比較するようです)ものほど先にして並べるとCになることが分かります。またCは、「私がふるえるほど大嫌いなBを」という節が最初に来ていますから、(1)を満たしていることも分かります。

(1)のような原則がなぜ必要なのかを考えてみます。そのために、同書の44ページに載っている名詞にかかる修飾語の例を参考にします。「白い」、「横線の引かれた」、「厚手の」という修飾語が「紙」を修飾する場合の順序(上の問題同様6通りが考えられます)も、原則(2)から、修飾語を長さの順に並べて、「横線の引かれた白い厚手の紙」かまたは「横線の引かれた厚手の白い紙」が適当であることが分かります。残り四つの、「白い横線の引かれた厚手の紙」、「厚手の横線の引かれた白い紙」、「白い厚手の横線の引かれた紙」、「厚手の白い横線の引かれた紙」は、「横線の引かれた」という節よりも前に修飾語が来ているため、前にある修飾語が節の頭の「横線」を修飾して、「白い横線」、「厚手の横線」などと誤解される可能性があります。しかし、原則(1)に従って、節を最初に持ってくるとこのような誤解は生じません。

(2)の原則が成立する理由は、長い修飾語が先に来る方が、読者が中途半端な状態に置かれる時間が短くなるためではないかと思います。例えば、短い修飾語の後に、長い修飾語が来てから、被修飾語が続く場合には、読者は短い修飾語を覚えながら、どこまで続くか分からない長い修飾語を読み進む必要が生じます。つまり、長い修飾語を読んでいる間は、中途半端な状態に置かれるわけです。これに対して、最初に長い修飾語が来た場合には、その内容を覚えても、次の修飾語が短かければ、中途半端な状態に置かれる時間が短くて済むため、理解しやすいと感じるのではないでしょうか。

(3)の原則の場合には、重要性、大状況であるかどうかについての判断が加わります。例えば、「紙」の例で、青、赤、ピンクなどのいろいろな「横線の引かれた厚手の紙」があって、「白い」ことが特に重要だと著者が考えている場合には。「白い」を最初に持ってきて、「白い横線の引かれた厚手の紙」という順序の方が適当だということになります。ただ、これでは「白い横線」と誤解される可能性があります。そんな場合には、「白い」と「横線の」間に読点(、)を打って、「白い、横線の引かれた厚手の紙」とすると誤解される可能性が少なくなります(誤解される可能性は残りますが、「横線の引かれた厚手の紙」がたくさんあるという状況下では、誤解されにくいと考えられます)。

(4)の原則はかなり技術的な問題ですが、修飾語の中に親和度(なじみ)の強い言葉が含まれているときは、注意する必要があるということです。親和度の強い言葉というのは、「くさび」と「打ち込む」のように、一つの言葉が出てきたら、もう一つの言葉を連想しやすいことばのことです。言葉の親和度が問題になる例として、同書から、「初夏のみどりが」と「もえる夕日に」という二つの修飾語が「照り映えた」を修飾する場合を考えてみます。この場合、「初夏のみどりがもえる夕日に照り映えた」、「もえる夕日に初夏のみどりが照り映えた」という二つの可能性しかありません。ここで問題になるのは、「みどり」と「もえる」の親和性です。この親和性が強いため、最初の組み合わせの場合には、「初夏のみどりがもえる」と読者が読んでしまう可能性が非常に高くなります。ところが、これでは全く違う意味になります。誤解を避けるためには、2番目の組み合わせのように、「みどり」と「もえる」を離せばいいようです。

最近はどうか知れませんが、小、中、高校でこのような文章の書き方の基本を習った記憶はほとんどありません。今覚えているのは、起承転結(第一句で言い始めた事柄を第二句で展開し、第三句で転換した末に第四句でまとめる構成法、漢詩、ことに絶句の作法、明解国語辞典による)などという実際に普通の文章を書くときにはほとんど役に立たない技術くらいです。普通の人が文章を書く場合には、言いたいことが相手に正確に伝わることが最も重要で、起承転結などという形式はほとんど意味がないと思います(99年12月5日)。

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