問題45(教育)の答え・・(c.どんなひどい「いじめ」でも、学校が認識していなければ、教師としての責任を問われることはないため)が正解です。

広辞苑によると、「いじめ」とは「いじめること。特に学校で、弱い立場の生徒を肉体的または精神的に痛めつけること」のことを指すそうです。これは世間一般の認識とも一致していると思います。ところが、『いじめを考える』(岩波ジュニア新書、19ページ)によると、文部省では「いじめ」とは「自分よりも弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を認識しているもの。なお起こった場所は学校の内外を問わないことにする」と、文部省初等中等教育局中学校課というところが出した通達で定義しているそうです。さらに、「この定義に当てはまらないと「いじめ」ではない」そうです(20ページ)。

この定義から、文部省が「いじめ」の問題を解決しようと真剣には考えていないことが分かります。「いじめ」で苦しんでいる子どもがいても、自分たちが責任を問われないようにするために、「学校が認識しているもの」以外は「いじめ」ではないと考える辺りは、とても子どもの教育を真剣に考えている人間の発想とは思えません。

もし、殺人の定義が、「他人の生命を奪うことであって、警察としてその事実を認識しているもの」であったとしたら、殺人が横行しても、警察は何もしないで、「事実を認識していない」と言えば責任は問われないことになるでしょう。

さらに、あまりにも、見え透いた責任逃れのためのただし書きを付け加えたため、最後に「なお起こった場所は学校の内外を問わないことにする」などという、もっともらしいく聞こえるにもかかわらず、全く内容のない文を付け加える辺りは、意図が見え透いているという意味で、お役人の作文としても最低の部類でしょう。

「いじめ」の問題が注目されるようになったのは、1986年に東京都中野区立富士見中学校2年生の鹿川裕史君が、父親の実家に近い盛岡駅前のショッピングセンターの地下1階で、「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」という遺書を残して自殺した事件の頃からだと思います。あれから14年経ちましたが、「いじめ」はますます広まっており、「いじめ」のない学校は珍しくなってきたよう気がします。「いじめ」による自殺も、毎月のように報道されています。

学齢期の子どもとその親の最大の問題が「いじめ」ではないかと思います。安全が保証されない場所では、勉強をする気になるはずがありません。文部省は「心の教育」、「ゆとり」、「生きる力」、「人物重視の教育評価」などと具体性に欠ける言葉を教育改革の中心的な標語として掲げていますが、最初に掲げる必要があるのは「安全」ではないのでしょうか。「いじめ」が横行している学校に子どもを送り出すというのは、親としても、つらいことです。余裕のある親が、子どもを私立学校に入れたがるのは、「いじめ」の問題がかなり大きな原因になっているからだと思います。私立学校と公立学校の学力の差が開いているのも、「安全」の問題が関係しているのかもしれません。

「いじめ」は、日本の教育制度の問題点が最も明確な形で表れた現象であるような気がします。文部省初等中等教育局中学校課通達に表れた、見て見ぬふりをするという、文部省の責任回避的行動が、この問題の解決を遅らせていることは確かなようですが、その背景にはもっと大きな問題が隠されているようです。

「いじめ」は一種の「差別」

なだ いなだ氏は「いじめ」は、一種の「差別」で基本的人権の侵害に当たると考えています(38ページ、64ページ、91ページ)。「いじめ」では、勉強がよくできる、太っている、金持ちの医者の息子である、帰国子女であるなどという、ほかの子どもと違う特徴のある子どもが標的にされることが多いようです。このような行動は、少数民族、身体障害者、女性などに対する差別と同列に扱うことできる、人権侵害と考えられるようです。

なだ氏によれば、強い者による弱い者いじめという事実は大昔からあったにもかかわらず、「いじめ」という言葉が生まれたのは、江戸時代後半に当たる、今から200年くらい前のことだそうです。しかも、そのころから「同じ人間なのに」という言葉が誰の口からも自然に出るようになるなど、人権という考え方も広がり始めたそうです。つまり、「いじめ」という言葉は、それまでは問題視されていなかった行動が、人権意識の広がりとともに問題化する過程で生まれてきたとなだ氏は考えているようです(65ページ)。

最近は江戸時代の庶民生活を賛美する風潮がありますが、その実態は悲惨なものだったようです。士農工商の階級差別がはっきりしており、武士に対して、農民や商人は弱い立場で、武士にどんな無理を言われても受け入れなければならず、ちょっと逆らえば、「切り捨て御免」などというリンチ殺人が公認されており、武士が理由もなく庶民を殺しても、処罰は形だけだったようです(33ページ)。農民の生活は、ロシアの農奴と大差なかったようです(35ページ)。

今放送しているのかどうか知りませんが、テレビドラマの「水戸黄門」では、悪代官の犯罪を、黄門様が庶民の立場に立って解決するという設定となっていますが、黄門様がいくらがんばって、週に1件ずつ問題を解決したにしても(実際にはほかの仕事もあるので、滅多に事件にかかわることはなかったのではないでしょうか)、大勢に変化はなかったでしょうから、悪代官が勝手なことをやっても誰も文句が言えないという状態がほとんどだったのではないでしょうか。【問題51(県民性) でご紹介した『県民性の人間学』〔祖父江孝夫(そふえ たかお)著、新潮社、新潮OH!文庫、74ページ〕によれば「水戸黄門漫遊記」は〔水戸光圀(みつくに)の〕死後100年以上もたった幕末から明治初年にかけて作られた講談をもとにしており、悪い役人等を懲らしめながら全国を歩いたというのは全くのフィクションであるらしい」そうです(2001年2月23日追記)】

明治時代に入ると、「士農工商」の差別は廃止されて、「四民平等」とされましたが、封建時代に士農工商より下に置かれていた被差別部落の人たちは、戸籍に「新平民」と書かれ、維新のあとも平民の下に格付けられました。現在では、この差別は、法律上ではなくなりましたが、社会生活に大きな影響を与えている地方もあるようです。そのほか、明治時代には、身体障害者、精神障害者、伝染病患者なども差別されたそうです。

その後も、「嫁いじめ」、軍隊の「初年兵いじめ」、などいろいろな「いじめ」が残りました。しかし、戦後になると、大人の社会では、徐々に人権が守られるようになって、「いじめ」が次第に減っていったそうです。これに対して、子どもの世界には、「いじめ」の問題が残ってしまったようです。これは、子どもには十分な発言権がなかったためであるとなだ氏は言っています(91ページ)。現在でも体罰を容認している親や先生が多いようですが、これも一種の「いじめ」と考えられます。興味深いことに、生徒同士の「いじめ」事件の起きる学校や、そういう学校の多い地方の大人たちは体罰容認の傾向が強いそうです(117ページ)。

要するに、「かつてはあたりまえのように行われていたこと(引用者注:人権侵害行為)が、今では「いじめ」と考えられるようになり、犯罪や違反といわれるようになって」きたようです(75ページ)。最近の例では、セクシャル・ハラスメントやストーカーなどがはっきりと、人権侵害行為と考えられるようになってきました。この背景には、「人権という意識をもつようになった人たちは、「いじめ」にあっても、もう泣き寝入りしない。世論に訴え、法律を作らせ、それに違反するものを告発し、裁判で争うようになる」ためであると指摘されています(76ページ)。

子どもの役に立っていない日本の公的初・中等教育

「いじめ」事件の報道などを見ると、加害者になる生徒は、落ちこぼれであったり、学校に対して不満を持っている生徒が多いようです。このような生徒が増えているのは、生徒にとって学校があまり役に立つ場所ではないためではないかと思います。

まず、学校教育の内容ですが、東京大学大学院教育学研究科教授の佐藤 学氏によれば、「この30年間、文部省は教育内容の「精選」を繰り返し、教育水準のレベル・ダウンを繰り返してきた。・・・皮肉なことに、この30年間、高校入試と大学入試の水準は学習指導要領の水準ほどには下げられていない。その隙間に、まさに隙間産業として予備校や塾が氾濫したのが実体であった」(『世界』2000年5月号、「子どもたちは何故「学び」から逃走するのか」、79ページ)と指摘されています。つまり、普通の学校に行っているだけでは、受験に必要な学力を身に付けるのはますます難しくなっているようです。

さらに日本の学校の授業時間は欧米諸国の学校の授業時間よりもかなり短いようです。授業時間に関して、佐藤 学氏は次のように述べています。「フランスでは小学校でも朝9時から夕方5時まで授業が行われるのが一般的である。アメリカでは日本と同様に3時頃には学校が終わるが、「全人教育」を特徴とする日本の学校のように、朝の会や終わりの会や学級会や道徳の授業や部活の活動や行事の取り組みなどの時間はない。昼休み以外は休息時間もなく授業が続くのが一般的であり、学校生活は教科学習だけで組織されている。欧米の学校は週5日制であっても、日本の学校の6日分学習時間が組織されているのである。前回の学習指導要領の改訂における小学校低学年の「生活科」の設置、そして今回の改訂における学校5日制の完全実施による授業時間の削減と「総合的な学習の時間」の設置によって、授業時間は大幅に削減された。今後、教育内容の三割削減のもとで授業時数の削減が「学力低下」に拍車をかけることも必至(引用者注:ひっし、確実)であろう」

『文芸春秋』2000年5月号の「新・階級社会ニッポン」(103ページ)という記事の中で、東京大学大学院教育学研究科教授の刈谷 剛氏は次のように指摘しています。「東大の合格者の中で、国立・私立の中高一貫校出身者が85年には50パーセントでしたが、99年には64パーセントと、この15年間で14ポイントも上昇しています。かつては地方の県立高校からでも本人の努力によって東大に入ることができましたが、最近は高校に入ってから挽回(ばんかい)しようと思っても、実はある程度、受験競争がそれ以前のところで終わっている可能性がでてきています」

必要なものが得られない上に、ほとんど意味のない校則にしばられるだけでなく、小学生の場合には、なんでも知っている今の子どもにとっては単なるお題目、またはきれい事に映るとみられる「道徳」までも教えられるわけですから、普通の生徒にとっては学校がおもしろいとは考えにくいのではないかと思います。

普通の生徒の気持ちをさらに暗くさせているのが、将来に対する見通しが立たないということではないかと思います。最近の就職難でも、大卒の就職よりも、高卒の就職の方がはるかに厳しい状況に陥っているようです。佐藤 学氏は「2000年春の高校卒業者のうち就職希望者は27万人であるが、そのうち12万人が就職できないでいる。・・・高卒労働市場の衰退は過激であり、92年に167万人あった求人が98年には36万人へと激減し、わずか7年間で求人数の8割が消滅している」そうです。

世界の動きに逆行する日本の教育「改革」

いじめの問題とは、離れますが、高校までの教育水準の低下に伴う、大学生の「学力低下」は深刻な状態にあるようです。この問題が注目されるようになったのは、西村 和夫氏(京都大学経済学部)と戸瀬信之氏(慶應義塾大学経済学部)による、「トップレベルの大学の学生の10人のうち2人が小学校の分数計算ができない」という大学生の数学学力調査(1998年)の結果でした。これは、大学入試の科目数の削減と高校の「選択中心の教育課程」が原因となっていると佐藤 学氏は述べています。必須科目が減ったために、最近の大学では、「数学を受験していない経済学部の学生」、「物理を履修していない工学部の学生」、「生物を履修していない医学部の学生」などが多数存在して、講義の理解に支障をきたす事態が生じている」そうです。

さらに、佐藤 学氏は次のように述べています。

「世界各国の教育改革が、過去20年間、どの国も教育内容の水準を高め、高次の学力の向上を中心課題にしてきたのは、「基礎学力」中心の教育では多数の若年失業者を生み出してしまうからである。一環して教育内容のレベルダウンをはかり「ゆとり」と「基礎学力」重視の教育改革を推進してきた日本の教育改革は、国際社会の変化と世界の教育改革の趨勢(引用者注:すうせい、大勢のこと)に逆行するものであり、ポスト産業主義社会引用者注:物を大量に生産することによって価値を生み出していた産業主義社会の後に到来すると考えられている、情報の生産・加工が主に価値を生み出す社会のこと。この社会では単純労働はほとんどが機械に置き換わり、単純労働者はあまり必要がなくなる)への対応を欠落させた独善的な施策と言わざるをえない。「学力低下」と学びからの逃走を放置すれば、日本社会は大量の若者が社会参加の機会と未来への希望を失って彷徨(引用者注:ほうこう、さまよい歩くこと)する社会へと突入するだろう」

明治時代に、海外の技術を導入する際に「和魂洋才」(引用者注:日本固有の精神を持って、西洋の学問・知識を学び取ること)という考え方が採用されましたが、「道徳」などという戦前の修身教育と大差のない教科を維持して、日の丸・君が代を実質的に強制しようとする、文部省は現在でもこの考えを守り続けているのではないでしょうか。心情的には、たとえ侵略戦争であっても、「天皇陛下ばんざい」と叫んで銃弾の中を突撃できるように教育すると同時に、最新の技術の開発もできるようにさせることができるとでも思っているかのようです。

仏教学者・思想家の鈴木大拙(1870―1966年)が敗戦直後の1945年に、哲学者の西田幾太郎の追悼のために書いた「西田の思い出」という文章が、『世界』2000年5月号、「学力低下」―私はこう考える(98―102ページ、著者は京都大学教授、上野 健爾氏)という記事に紹介されていましたので最後にこれを紹介します。

「今更科学科学と云って大騒ぎするが、科学なるものは、そんなに浅はかに考えられてはならぬのである。手っ取り早く間に合うようにといくら科学を団子のように捏ね(こね)上げようとしても、捏ね上げられるものではない。まづ物を客観的に見ることを学ばなくてはならぬ。(中略)科学や数学の学修を単なる実用面にのみ見んとする浅薄な考え方をやめて、学問の根底に徹する深甚(引用者注:しんじん、非常に深いこと)で強大な知性の涵養(引用者注:かんよう、養い育てること)を心懸けるべきである」 (2000年4月30日)

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