問題65(生き方)の答え・・・重要性の高い順番に、(g. 相手の言うことを聞かない、 j. 質問をしない、 e. 押しつけがましくする)の三つです。「交渉術」というと、こちらの意見を相手に納得させる方法だと思っていた私には、問題点リストの最初の三つの項目が、相手の立場を理解することと関係するような項目であったのは意外でした。下にこのリストに簡単な説明を添えてご紹介します。

交渉の障害となる10の問題点

1.相手の言うことを聞かない(Not listening) 情報が得られない、相手の言うことを聞きそこねる。
2.質問をしない(Not asking) 質問をしないと十分な情報が得られない。質問には相手が自分の「立場」について再考したり、自分の「立場」を離れるきっかけを与えるという役割も期待できる。
3. 押しつけがましくする(Selling too much) こちらの「立場」だけを押しつけてもいい結果は得られない。
4.考え方を明確に示さない(Not presenting ideas clearly) 要点を最初に話し、次に必要な詳細事項によって説明を補うべきである。
5.交渉に勝とうとする(Trying to win) 必要以上に勝とうとすると、相手の反発を招くことになる。
6.交渉の本題に早く入り過ぎる(Negotiating too early) 情報を得るのが先。
7. あまりにも多くのささいなことにこだわる(Focusing on too many details) 相手を飽きさせる。
8. 感情的に反応する(React emotionally) 自分にとって何が重要かを忘れてしまう。こちらを感情的に反発させるという作戦を相手が採っている場合には、相手の思うつぼにはまることになる。
9. 不適切な言葉や語法を使う(Using inappropriate language techniques) 例えば、「しかし(but)」は避けて「はい、そして・・・(Yes, and...)」を使い、「・・・か・・・のどちらか(either/or)」は避けて「・・・と・・・の両方(both/and)」を使う方がいい。
10. 不適切な身体や声の使い方(Using inappropriate body and voice techniques) 例えば、不賛成であることを伝える場合には、やわらかい声の調子でゆっくり話した方がいいのに対して、同意や熱意を表すのには、大きな声で歯切れ良く話した方がいい。

いい交渉には、自分と相手の Interests の理解が不可欠

テキストの2ページ目には、交渉の進め方が図で示されています(下にコピーしました)。交渉は4段階で進められ、Position(「立場」、何を求めているのか)、Interests(利益、それぞれにとって何が重要か、なぜ自分が提示したPositionを得たいと望むのか)、Problem solving/suggestions(問題解決、提案、どうしたら両者のInterestsを満足させることができるのか)、Solutions(解決法、どうしたら自分が思い付いた解決法を提案できるか)という各段階の名称の頭文字からPIPS構造と名付けられています。


PIPS構造のポイントは、Positionではなくて、Interests つまり何が両者にとって重要なのかを、理解し合うことであるようです。それぞれのPositionを相手に押しつけるだけなら、交渉の余地がないからです。

例えば、店で商品を値切ることを考えてみましょう。店の人は値引きは、希望小売価格から10%が限度だと言ったとします。あなたは、30%引きで買いたいという希望を提示したとします。ところが、こう言っただけでは、なかなか受け入れてもらえないでしょう。学生なのであまり余裕がないとか、ほかの物も買うので、まけてもらえないかというようなこちらの事情を話すと、交渉の余地が生まれてくるかもしれません。店の人も、上司から値引きは10%が限度と言われているが、再度上司と交渉してもいい。ただ、仕入れ値が30%引きの水準なので、経費を考えると30%引きでは赤字になる、などと言うことになるかもしれません。いろいろとお互いの事情を話しているうちに、落としどころが見えてきて、結局あなたも20%くらい引いてもらえば満足かな、と思うようになるかもしれません。相手も、20%引きはけっこうきついが、なんとか20%引きで売れるように上司と相談してみようと思うこともあるでしょう。最終的に、20%引きで売り買いが成立することになるかもしれません。

こんな買い方をすると、あなたも店の人ができるだけのことをしてくれたという感謝の気持ちを持つことができるでしょうし、店の人も値引率は大きくなったとはいえ、自分の努力で商品を売ることができ、顧客に満足を与えたという自信が持てるかもしれません。こんな解決法が、PIPS構造が目指している、両者がともに満足できる結果("Win-Win" solutions)です。

このコースを受けて気づいたことを二つご紹介します。

(1)ハッピーな気持ちになれる

ハーバード・ビジネス・スクール(経営学部大学院)の授業は、具体的な事例について自分で調べたり、議論する「ケーススタディー」が中心になっているそうです。このコースでも、生徒が1対1またはグループ対グループで、与えられた条件で交渉のケーススタディーをするという形式となっています。このクラスに参加して、一番意外だったのは、交渉相手との間で十分に話し合って、いい解決法が得られた場合には、非常にハッピーな気持ちになるという点でした。この感じは、提出された架空のケーススタディーの問題を終えたことによる充実感というよりも、献血をしたあとのように、人のために、なにかいいことをしたことによる、人間本来の喜びが湧いてきたという感じに近いものでした。何人かの参加者が、私に近い印象を持ったとおっしゃっていました。なぜ、そんな気持ちになったのかは分かりませんが、日常生活では、お互いの立場を考え合う機会はあまりないため、相手の Interests を考えるという、このコースの訓練が、非日常的な喜びにつながったのかもしれません。

(2)「交渉術」は日常生活でも使える

このコースに参加したあと、「交渉術」は日常生活でも生かせるということに気が付きました。職場や家族の間で問題が発生したときの交渉で、この考え方を使うと、長い間なんとなくしっくりいかなかった問題でも、けっこう友好的な解決法がみつかることがありました。

フランスには、『すべてを理解することはすべてを許すこと(Tout comprendre, c'est tout pardonner. 英語では、to understand all is to forgive all)』ということわざがあるそうです(このフランス語がそのまま『ランダムハウス英和大辞典』に載っていましたので、英語圏でも知られたことわざのようです)。このことわざを裏返して表現すれば、「相手のことを十分に理解していなければ、許せない気持ちになることもある」ということになります(
)。人と人との間の対立は、相手に対する無理解が原因になっていることが多いようです。自分に不都合になることであっても、相手がなぜそうしなければならないかを理解すると、不思議に許せるようになるようです。相手の言うことを理解する第一歩は、相手の言うことをよく聞くことのようです。ところが、人の言うことを相手の立場になって聞くというのはなかなか難しいことです。そこで、一番下に「聞く技法」という節を設けて、どうやったらうまく人の話を聞けるかという話をします。

注:この文とことわざとは、厳密な意味では等価ではないことがあとから分かりました。ことわざと論理学的にみて等価な表現は問題75(論理学)に示しました(2006年2月18日追記)。
注:「すべてを理解することは、すべてを許すこと」という文はトルストイの『戦争と平和』で最初に使われたことが分かりました。詳しくは、「最近近気付いたこと」「『すべてを理解することは、すべてを許すこと』という警句はトルストイが最初に使ったようです」をご参照ください(2013年3月18日追記)。

熱心に聞くことは、話し手に強い安心感を与える

相手の言うことをよく聞くと、相手に対して、非常に強い安心感を与えることができるという点も、聞くことの大きな効用です。この点に関連して、末期ガン患者などに対するターミナル・ケア(終末期医療)に関する医学生や医療従事者に対するアンケート調査の結果は非常に興味深いものです。この話は『「聴く」ことの力(ちから) -- 臨床哲学試論』(鷲田清一(わしだ・せいいち)著、TBSブリタニカ刊)の10ページに載っていた『医療クリニック』(中川米造著)の引用から孫引きさせていただきました。

「わたしはもうだめなのではないでしょうか?」という患者の言葉に対して、下記の五つのうちどの返答が最もふさわしいかというアンケートに対して、精神科医の多くは同じ答えを選んだそうです。

(1)「そんなことを言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。
(2)「そんなこと心配しなくていいんですよ」と答える。
(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。
(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。
(5)「もうだめなんだ・・・とそんな気がするんですね」と返す。

答えは(5)だそうです。『「聴く」ことの力』の11ページからこの解答についてのコメントをコピーさせていただきます。

一見、なんの答えにもなっていないようにみえるが、じつはこれは回答ではなく、「患者の言葉を確かに受けとめましたという応答」なのだ、と中川は言う。<聴く>というのは、なにもしないで耳を傾けるという単純に受動的な行為ではない。それは語る側からすれば、ことばを受けとめてもらったという、たしかな出来事である。こうして「患者は、口を開き始める。得体の知れない不安の実体が何なのか、聞き手の胸を借りながら捜し求める。はっきりと表に出すことができれば、それで不安は解消できることが多いし、もしそれができないとしても解決の手掛かりは、はっきりつかめるものである」。

これに対して、精神科医を除く医師と医学生のほとんどが(1)を、看護婦と看護学生の多くが(3)を選んだそうです。次に、なぜ精神科医が(1)から(4)までを選ばなかったかについて、私の勝手な見方を述べさせて頂きます。

(1)「そんなことを言わないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます。・・・・この返答は相手の言っていることに全く耳を貸さないで、頭ごなしに自分の考えを押しつけているため、病人には新たなストレスを加えることになる可能性が強いと思います(
余談ですが、(1)のような内容のことを、うつ状態にあるうつ病の患者には決して言わないというのが、精神科医の常識のようです)。

(2)「そんなこと心配しなくていいんですよ」と答える。・・・・これも自分勝手な考えを押しつけています。極めて深刻な不安を訴えている人に対して、全く説明なしに「心配しなくてもいいですよ」と言っても、理解してもらえないだけでなく、反発を買うだけかもしれません。

(3)「どうしてそんな気持ちになるの」と聞き返す。・・・生命の危機にひんしていて、極度の不安を訴えている人に対して、「どうしてそんな気持ちになるの」などと聞くのは、全くの無神経としか言いようがありません。こんな質問は、健康な人が瀕死の人にするべきではありません。この質問は、相手を苦しめるだけであるのは明白です。瀕死の人ができる答えとしては、せいぜい「健康な人には分からないと思いますが、とても不安になることがあるのです」くらいでしょう。こんな質問をすると、もう心を開いてくれなくなるのではないかと思います(「なぜ」、「どうして」という質問をするときには、注意が必要であることは、問題19(語学)答えで説明しました)。

(4)「これだけ痛みがあると、そんな気にもなるね」と同情を示す。・・・これは(5)と後半は似ていますが、原因が痛みだけであると決めてかかっている点が違います。患者は、痛みだけではなく、いろいろな不安を抱えている可能性が強いにもかかわらず、自分の意見を押しつけるのは、やはり無神経と考えられます。それに、この質問は病人の苦しみを他人事のように扱っているため、返答者は非常に冷たい人という感じがします。

聴く技法

(1)「最善の交渉者」の聞き方

「交渉術」のコースのテキストから、人の話を聞くポイントをご紹介しましょう。

・最善の交渉者は、話すより聞く方に重点を置く
・最善の交渉者は、本当の意味で聞く
・最善の交渉者は、聞いている間は、次の段階のことは考えない
・最善の交渉者は、ほかの人が話しているのを妨げない
・最善の交渉者は、聞いている間、相手の目をきちんと見る(make eye contact)。
・最善の交渉者は、聞いている間にフィードバック(相づちなどの受け答え)を使う:Uh huh(アー、ハー)、I see(分かりました)、Okay(O.K.)、Yeah(イエアー)、Yes、I got your point.(あなたの言いたいことは分かりました)
・最善の交渉者は、聞いている間に相手を励ます:Please go on.(続けてください)、And then?(それで?)、Then what happened?(それで何が起こったのですか)、Really, that's interesting.(本当ですか、それは面白い)
・最善の交渉者は、意味を確認する:You mean this...?(こんな・・・のことを言おうとしているのですか)、Do you mean...?(...という意味ですか)、 I think you are saying...?(あなたは...とおっしゃっているわけですね)、Am I correct in thinking you are saying...?(あなたは・・・とおっしゃっていると考えていいですか)(相手方が、あなたの言ったことを訂正した場合は、相手方は理解されていると感じて満足するでしょう)
・最善の交渉者は、相手の言ったことを要約して相手に確認する

(2)精神科医が人の話を聞く際のコツ

人の話を聞く専門家である精神科医が人の話を「聴く」際のコツが、問題19(語学)答えでも触れた『精神科診断面接のコツ』(神田橋 條治著)に載っていましたので、これもご紹介します。

同書102ページによれば、インタビューの名手と言われていた、高橋圭三氏は、街頭インタビューのコツとして、「なるほど」という受け方と、相手の話の末尾をくりかえし「・・・と思われるのですね」という受け方を考案されたと、『どうも、圭三です』という新書版で書かれているそうです。神田橋氏も面接の際にこれを多用したそうですが、あとから海外の専門書でも同じ受け方がのっていたのをみつけられたそうです。また、これは上で示した例の(5)「もうだめなんだ・・・とそんな気がするんですね」とほぼ同じ受け方です。

神田橋氏が特に推奨する受け方は、「ほう」だそうです。104ページによれば、「意識して意味を付与しながら「ほう」を使うように努めると、自然に表情や姿勢が同調して、好奇心、驚き、同情、軽視、疑いなどの非言語レベル表現が上達する」ことになるそうです。ただ、若い人など、「ほう」を使うのに抵抗がある場合には、「そう」「ふうん」「へえ」「なるほど」などがあるそうです。しかし、「それらのいずれも、「ほう」よりも意味が限定されてしまう」そうです。

人の話を集中して聞くときのコツについては、問題61(読書)解答でもご紹介した「空中の眼」が役立ちます。また、集中して話を聞くときに、神田橋氏の恩師であるパデル先生は、「顔全体がいくぶん弛緩(しかん、筋肉をリラツクス)したような表情」をされていたそうです(106ページ)。さらに、神田橋氏は、パデル先生の「しばしば現れる信じ難いほどの理解力の秘密は、どうやら、この聞き方の姿勢のあたりにあるらしいと思うようになっていった」そうです。昔私の話を聞くときに、こんな表情をされていた方がいらっしゃって、真剣に聴いていただいているのだなと思ったことがありました。

英語のリスニングのコツとして神田橋氏が編み出したのが、「耳になる」という方法だそうです。「自分の全身が、巨大な耳になったと空想する。そして、自分の両眼と口とを含む領域が穴になって、話し手の言葉がその穴へ流入してくるというイメージをつくるのである。この変身空想を保ちながら話し相手に対面していると、聞きとりの量が格段に増大する。外国語に限らず、日本語の話を聞いている時でも、同じ効果がある」そうです(107ページ)。

それから、意外だったのは「患者の話を聞きながら、それを筆記するのは禁忌(きんき、禁止)とされている」点でした。これは「聴くことと、関わることがお留守になるからである。面接の記録は、終了後、記憶を頼りに書くのが定法とされている」そうで、聴いたことを忘れないようにするためには「患者の話を次々に視覚イメージにおきかえながら聴くというやり方を工夫した。映画のシナリオを読みながら、できあがった映像を空想するあの作業と同じことをする」といいそうです
(2003年2月23日)。

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