問題67(メディア)の答え・・・両方とも正解です。(a. 太陽が一つだとすると)こんな写真にならないだけでなく、(b. 二つの写真を合成しないと)こんな写真にはなりません。

地球上同様、月面上でも、人の影は、人が太陽光を遮ることによってできます。太陽は非常に遠距離にあるため、太陽からの光は平行光線と考えられます。2本の平行光線を写真に撮ることを考えると、レンズの方向と光の方向が近い場合には、遠近法のように末広がりに写ったりしますが、レンズの方向と光の方向がほぼ垂直になっている場合には、2本の光線は画面上でも平行線になると考えられます。この写真の場合には、影がほぼ真横に伸びているため、光線の方向は、レンズの方向とほぼ垂直になっていると考えられます。(注:光線の方向とレンズの方向の関係によって光線の写り方がどう変わるかについては、一番下に例を示しました)

この写真に写っている二人の宇宙飛行士の頭の先と、その影を結んでみると(赤線で示しました)、明らかに平行線ではないことが分かります(2本の赤線の間には、7度程度の角度の差があります)。仮に左側の光線と平行な光線が右側の人に当たったとすると、頭の影は青線の線上にできるはずです(影のできる位置はこの直線が地面にぶつかるところです)。従って、二人の宇宙飛行士の影を作った光線は、別々の方向から来たものであると考えられます。太陽は一つしかないため、この写真にはなにかの細工が施されていると考えられます。

また、仮にスタジオにライトが2個あって、別々の方向から光が当たっていたと考えると、影はそれぞれの飛行士に二つずつできるはずですが、この写真では、それぞれ一つずつしか映っていないため、この写真は別々の2枚の写真を合成したものである可能性が高いことが分かります。

NASAは、数々の疑問点に対して、反論しているようですが、反論にはあまり説得力はないようです。NASAの反論や、最近の動きについては、「月面着陸は嘘だった!?」-検証編-というサイト( http://www.crc-japan.com/research/l-m-d/ )、同じく疑惑編(http://www.crc-japan.com/data/l-m.html )をご参照ください。

なぜ米国はこんなアホなことをしたのかという疑問が当然浮かんできます。ソ連[現在のロシア共和国が中心となった連邦国家で1991年に分裂・崩壊した]が世界初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げ(1957年)と、ユーリ・ガガーリンによる人類初の有人宇宙飛行(1961年)に成功したため、宇宙開発でソ連に完全に先を越されたアメリカのケネディー大統領が、1961年にスタートさせたのが、アポロ計画でした。当時は、「宇宙を制するものは世界を制する」と言われていたそうで(39ページ)、宇宙開発で後れを取ることは、「冷戦」での敗北を意味するため、何が何でも宇宙開発競争に勝たなければならないと考えられたようです。

この計画では、「1960年代末までに、月に人間を着陸させて地球に帰還させる」と宣言されました。ところが、下に書いた技術的な問題によって計画の実現が困難となったため、壮大なでっち上げが行われたようです。その問題というのは、地球の数百キロ上空の「バン・アレン帯」という放射線帯を宇宙船に乗った人間が安全に通過するための技術は、まだ確立されていない可能性が高い点だそうです。ソ連が、月面着陸に踏み出せなかったのは、この技術がなかったためだという指摘もあるそうです(65ページ)。でっち上げのアポロ計画以降は、現在まで30年以上も、月面に立った人がいなかった(ということは、いまだかつて誰も月に行っていない)のは、この技術がまだ開発されていないためであるという説は、結構説得力があります。

〔2010年6月5日追記:宇宙船に乗った人間の放射線被ばくの問題については、2010年5月9日付の問題87(メディア)をご参照ください。〕

国家のウソはアポロ計画だけではなかった

『アポロってほんとうに月に行ったの?』は、実は翻訳書ではなく、表紙に訳者と書かれている芳賀正光氏が書かれたものであることが、同書の「訳者あとがき」に書いてありました。こんなウソなら、罪はないのですが、罪深いのは国家が戦争を引き起こしたり、正当化するためにつくウソでしょう。同書の「国家もウソをつく?」(91ページ以下)には、アポロ計画以外の国家がついたウソの例がいくつか紹介されていました。

一つは1990年に始まった湾岸戦争のときのウソです。同書の93ページによれば、米国の下院議会で「クウェート難民」と称する少女が「私はクウェートから脱出してきたばかりです。私は、イラク兵が保育器から未熟児の赤ちゃんを取り出し、冷たい病院の床の上で死なせるのを見ました」と証言したことがあったそうです。ところが、その後の調査で、この少女はワシントン駐在のクウェート外交官の娘であり、イラクの侵攻時、クウェートにいなかったことが分かったそうです。証言は、クウェートが米国の大手広告代理店に依頼してやらせていたことが分かったそうです。

やはり湾岸戦争のときに、「イラク軍がペルシャ湾に原油を流出」させたため、原油まみれで真っ黒になった水鳥の写真(下の写真、同書95ページのAP/WWPによる写真をコピーさせていただきました)が、西側メディアで報道されましたが、その後、流出した原油は米軍が爆破した貯蔵施設から流れ出ていたことが明らかになったそうです。自分の間違いを相手の責任にして、世界の世論を誘導しようとしたようです。

最後に、芳賀氏がこのような本を書いたのは、日本人も「健全な猜疑心」を持つようになって、いろいろなことを考え、想像するようになればという願いがあったためであると、「訳者の後書き」に書かれています。

余談になりますが、私がアポロ計画のウソのことを知ったのは、2002年11月のテニス合宿の飲み会で、テニス仲間の松田先生が詳しく教えて下さったためでした。最近、子供にこの話をしましたところ、初耳であったこともあって、結構興味を示しましたので、問題を作りました。

最近、コートサイドのベンチで順番待ちをしている間に、「日本の新聞には、政府に都合の悪いことは書かれていないので、注意する必要がありますね」と松田先生に申し上げたところ、「日本の新聞がまともだったことってこれまでにあった? 」という厳しいご指摘をいただきました。確かに、太平洋戦争中は、でたらめな「大本営発表」の伝達のためのメディアに成り下がり、その後も、そのことを本気で反省しているのかどうか分かりません。でも、2002年度、2003年度と2年連続で新聞協会賞を受賞した、毎日新聞の大治朋子(おおじ・ともこ)記者の活躍はけっこう印象に残っています(2003年9月20日)。

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読者の方からこの問題についてのメールをいただきました・・・・2003年10月15日に読者のA様(匿名を希望されています)から、この問題についてのメールをいただきましたので、最近気付いたことの「問題67(メディア)について読者のA様からメールをいただきました」でご紹介しました(2003年10月31日追記)。

注:光線の方向と写り方の関係

太陽の方向にカメラを向けると、光線の方向とレンズの方向が(向きは逆ですが)ほぼ同じになります。その場合、長い廊下を遠近法で描いた絵のように、光線が放射状に広がって写ります。

セバスチャン・サルガドの写真展、「人間の大地」(1993年)の図録から、「サヘルの飢餓・エチオピアのティグレ地方からスーダンへの集団移住、エチオピア、1985年」〔2010年6月5日追記:この写真を写したときの状況を来日したサルガドが語ったテレビ番組が放送されましたので、そのときのコメントを「風景写真アルバム」の「夜の東京 (1) 渋谷、恵比寿」に引用させていただきました。〕

これに対して、レンズの方向に対して、光線が横向きになっている場合には、光線は平行に写ります。下の写真はこの例ですが、この写真の場合には、広角ぎみのレンズを使っているため、手前の光線と奥の光線ではわずかに角度のずれが生じています。問題に取り上げた写真の場合には、おそらく35mmフィルム換算で焦点距離 150mm以上の望遠レンズで撮影したとみられ(もっと焦点距離の短いレンズで撮った写真をトリミングして、一部だけ残した場合にも同じ効果が得られます)、また、二人の宇宙飛行士の大きさがほぼ等しいことから、カメラから両飛行士までの距離もほぼ等しいとみられるため、下の写真よりもはるかにずれが小さいと推測できます。

この写真も同じ図録からコピーさせていただきました。「サヘルの飢餓・コレム難民キャンプ、エチオピア、1984年」

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