問題72(読書)の答え・・・、「(c. およそ半分以上)に目を通し、要約が具体例を含んで言えるならば「その本は読んだ」と言えると私は考えている」が正解です。

「要約が具体例を含んで言えるならば」という条件が付いているとはいえ、半分しか読んでいなくても
「本を読んだ」と言っていいという考え方があるのには驚きました。こんな法則を作った理由の一つは、「読んだということの基準をあまり厳しくすると、本をたくさん読みにくくなるからだ」そうです。さらに「・・・『あの本読んだことがある』と言ってみたい気持ちは誰にでもある。読んだ基準を多少ゆるめに設定することで本をめぐる会話が活性化する」とも述べられています(19ページ)。

読んでもいない本を『あの本読んだことがある』と言ってみたい気持ちのことは、世の中では普通「虚栄心」と言います。また、「その本は読んだ」と言うのは、普通「全部読んだ」ことを意味しており、半分強しか読んでいないのに「その本は読んだ」と言うのは、「うそ」とみなされます。さらに、「うそをつく」ことを、「基準を多少ゆるめに設定する」などと、もっともらしく表現するのも、非常にうさんくさい感じを受けます。こんなことを平気で言うような人の主張は信用しない方がいいでしょう。こんな先生から勉強を教えられている明治大学の学生さんは、注意した方がよさそうです。

斎藤氏が伝えたかったは、「本をたくさん買って、適当にとばし読みすれば、全部読んでなくても、『あの本読んだことがある』と人に言うことによって、虚栄心を満足させられますよ」(そしたら、私のふところには印税〔著述したことに対して、著者が出版社からもらう報酬のことで、売れた部数に比例して支払われることが多いため、税金との連想でこう言われるようです〕が転がり込みます)ということではないかと思います。この本に限らず、本を読むことによってなにを考え、なにを感じたかよりも、本をたくさん読んでいるかどうかが重要であるという考えが、当然のように語られています。これは、人の知的水準を読んだ本の冊数によって評価するという、出版社や著者たちの自分勝手な論理です。読者は、たくさん読んだといえるかどうかよりも、本を読んだことによって、自分は何を得たかを考える方が重要だと思います。さらに言えば、国語の先生にしかられるかも知れませんが、この世の中に、万人が読んでいなければならない本などというものはなく、自分が好きな本や、必要だと思った本だけを読むのが、正しい読書法ではないかと思います。

ここまで読んで、私はこの本を読むのをやめましたが、クイズのネタにするために、再び目を通してみると、上で引用した部分に続いて、19ページの最後を、「本をめぐる会話の重要性は第III章でも述べたい」と締めくくってありましたので、第III章もちょっとのぞいてみました。ところが、こちらにも、次のようなとんでもないことが書いてありました。

「本を読んでもその内容をすぐに忘れてしまう。そんな経験は、おそらく誰にでもあるのではないか。・・・そのため私が効果的だと思うやり方は、本を読んだらとにかく人にその内容を話すということだ。読んだ直後や読んでいる最中ならば、何とか話の内容は覚えている。・・・読んだらすぐに人に話すようにすれば、記憶は定着しやすい。できれば、3、4人の人に同じ話しをするようにする。そうすると、ほぼ後で使うことができるような形で記憶することができる」(188ページ)

この文章から、斎藤先生にとっては、(1)本の内容を「記憶する」ことが重要であり、その内容を味わったり、それについて「考える」ことは二の次になっているらしく、(2)昨日読んだ本の話を記憶するために、相手の都合にはお構いなしに、その内容を周りの人に話しているらしい、ということが分かります。前日読んだ本のことを、消化不良にもかかわらず、人に話さないではいられない人がよくいますが、私の印象では、そういう人は大体自己中心的で、考え方が表面的で深みがないという特徴があるような気がします。自分の読んだ本のことを、ほかの人に伝えるのは、相手が必要としていると考えられる場合だけにするべきで、自分が内容を記憶するために、読みかけにした本の内容を、(3、4人にも)相手かまわず繰り返し話すというのは、自己中心的というか、幼児的という印象を受けます。こんな会話なら、ご本人以外はだれも「活性化」してほしいとは思わないでしょう。

30ページくらい読んだだけの印象では、この本のタイトルは『読書力』というより、『読書の弊害』または『読んでもいない本を読んだとウソをついて自己満足しているものの、かすかにうしろめたさを感じているかも知れない自称読書通に、「私のような地位のある学者でさえ、その程度のウソはいつもついていますよ」と言って安心させて、書籍を手当たり次第に購入させ続けるだけでなく、はた迷惑この上ないこんな自称読書通を増やすことによって、書籍の売り上げを伸ばすための本』にした方がふさわしいと思いました。

最後に、『朝日新聞』(2003年9月11日付)に載っていた、大江健三郎氏の「9.11 文化の転回点から2年」という文章を引用させていただきます。

「・・・私が憂えるのは、この国の現在の言葉の力の衰退です。「声に出して読む日本語」の奨励にあわせて、黙って考えながら読む言葉も顧みられなければなりません。論理の整合も、発言の持続も二の次で、それを恥じない政治家の人気に動く社会は、滅びにいたる社会です。2年前の「9.11」に私らをとらえた沈黙、考える言葉に向けてそれぞれにした手探り。そこに立ち返ってみなければなりません」

(2004年12月5日)。

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