問題85(集団遺伝学)の答え・・・「(c. バブ・エル・マンデブ海峡を渡り、アラビア半島から南インドまで海路で到達し、さらに、海路で、インドネシア、フィリピンを経由して)日本に到達したことが分かりました」が正解です。

民族、人種などの集団に含まれる個体の遺伝子の特徴を調べることによって、その集団の進化や他集団との差を明らかにすることを目的とする「集団遺伝学」の進歩によって、民族、人種などに関する従来の考え方が見直しを迫られるケースが多いようです。例えば、国立遺伝学研究所人類遺伝研究部門助教授、総合研究大学院遺伝学専攻助教授(発表当時)の宝来聡博士は、細胞質中にあり、エネルギー産生や呼吸代謝の役目を持つ小器官であるミトコンドリアのDNAのDループという部分の分析から、日本人の混血率は65%と高く、日本人と韓国人は遺伝学的にみるとほとんど差がないことを発見されたことを、問題49(民族)答えでご紹介しました(
宝来聡博士は、現在は米国アリゾナ大学教授をされているようですが、愛国主義的な文部科学省傘下の研究所ではこんな研究は冷たくあしらわれたためかもしれません)。以下の説明は、特に断らない限り「ゲノムが語る人類の拡散」の内容に基づいています。

最初の人類は「ミトコンドリア・イブ」

集団遺伝学の最大の成果とも言えるのが、「さまざまな集団に属するすべての人間は、約20万年前に生きていた1人のアフリカ人女性の子孫であるという説」です。この研究は、1987年にカリフォルニア大学バークレー校の Rebecca L. Cann と Allan C. Wilson が、やはりミトコンドリアの分析に基づいて導き出したもので、そのため、この女性のことはキリスト教の旧約聖書『創世紀』のアダムとイブの神話になぞられて「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれているそうです。

最近ではミトコンドリアDNAより塩基数がはるかに多いため、集団を識別する能力が高いY染色体(
男性から息子だけに受け継がれる性染色体で、塩基数は前者の1.6万個に対して数千万個)が比較されるようになったそうです。人類の旅のルートは、Y染色体の特定の遺伝子マーカー(特定の系統だけにみられるDNA配列の特異的変化のこと)に基づいた名前が付けられています。

下の図にあるように、日本は、M130とM174という二つのマーカーに対応するルートが通っていますが、この二つのルートはほぼ平行に走っていて、かなりの部分で重なっています。日本にはほかのルートは通っていないため、集団遺伝学的に言うと、日本民族の本流は問題の(c)のルートを通って日本に到達したと考えられるようです。

注:このチャートは「ゲノムが語る人類の拡散」、35ページからコピーさせていただきました。このチャートには、JEN CHRISTIANSEN; INFORMATION SOURCE: NATIONAL GEOGRAPHIC MAPS, P. HAWTIN Photo Researchers. Inc. (bacterium)という出所が書かれていました。

最新の研究の結果に基づいて、パリのパスツール研究所のLLuis Quintana-Murci は次のように語っているそうです。

「人種などは存在しない。・・・遺伝学の立場からわかることは、地理的な勾配のようなものだ。ヨーロッパ人とアジア人の間に明確な違いはない。アイルランドから日本まで、ここから何かが完全に変わるというはっきりとした境界はない」

なお、日経サイエンスの『ゲノムが語る人類の拡散』という記事は、 "Scientific American" という米国の雑誌の2008年7月号に載っていた、"Trace of a Distant Past"という記事の翻訳です。ただ、翻訳版には「複雑な日本人の起源」という、英語の原文にはなく、かつ原文の結論を否定するような記事が追加されています。この記事はこれまでの日本国内での研究結果を紹介したもののようですが、本文の研究の壮大さに比べて、こちらの記事の方は、日本と近隣諸国のみを視野に入れた、近視眼的研究のような気がします。

大野晋氏の「日本語クレオールタミル語説」を支持する説

日本人が、南インドを経由して海路で日本にたどり着いたという説は、2008年7月14日に亡くなられた大野晋氏がかなり以前から主張されていたものの、日本の専門家からは無視され続けていた説でした。大野氏は、日本語は南インドの言語であるタミル語が、海路日本に到達したタミル人によって日本に伝えられ、変形してできたものであるという説(日本語クレオールタミル語説)を主張されましたが、この説については問題81(日本語)で詳しくご紹介しました。また、この説に対する日本の言語学者の拒絶反応は非常に深刻なものであることの一例をご紹介しました(「房江さんの「日本語クレオールタミル語説」についての否定的なコメントを削除するに至った理由」をごらんください)。

大野氏の『弥生文明と南インド』(岩波書店、2004年刊)の序文の最初には次のように書かれています。

「日本から7000kmも離れた南インドの文明が3000年も前に日本に到来し、弥生時代という新しい文明の時代を開く原動力となった。それに伴って古代タミル語が古い日本語にかぶさり、単語と文法が受け入れられて、ここに一つのいわゆるクレオール語が成立した。それが日本語の原型である。このような考えは誰にとっても信じがたい、天かける空想としか受け取れないだろう。しかし、わたしはここに広範な事実を証拠として提出し、その空想を地上のlogos(理性的法則)の世界に引き下ろそうとしている。」

さらに、序説の後半には、つぎのような指摘もあります。

「・・・こうした文明や言語の比較については、しばしば人種的な関係はどうなのかという質問に出会う。しかし、DNAの研究をはじめとして、比較人類学は日本人について近隣の朝鮮、中国、モンゴル、台湾などを資料とするばかりで、南インドを考慮に加えた考察はいまだ見ない。これも今後進められるべき研究の課題である。」

翻訳版だけに追加された、「複雑な日本人の起源」という記事は、大野氏がここで指摘したような中途半端な研究であるような気がします。

Scientific American の論文を大野氏が生前ごらんなったとしたら、さぞ喜ばれたことと思います。さらに、日本人のルーツが南インドにあるという、Scientific Americanで紹介された説が正しいとすると、(全くの素人考えによれば)タミル語の影響で日本語が変形したというより、もともと日本語がタミル語の派生語/方言であるという考えも可能になるような気がします(2009年6月19日)。

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