四文字首相は『オール霞が関』の操り人形

認知症老人さえも不安に陥れる狂気の決断

野田佳彦首相が「政治生命をかける」としてきた消費税増税法案が、2012年6月15日に民主・自民・公明3党の実務者協議で合意されたそうです。ただ、民主党内で、小沢一郎元代表のグループや中間派は、マニフェストで消費税は引き上げないとした公約に反するという理由で、この法案に反対しているため、最終的に増税法案が衆議院を通過するかどうかは微妙な情勢のようです。

また、野田首相は、世界最大規模の原発事故から1年足らずで、安全策がほとんど実行されていないにもかかわらず、「安全宣言」をして、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を2012年6月16日に正式に決定しました。

民主党政権の誕生で日本が変わることを期待していた一般国民にとっては、今回の決定によって、民主党・自民党・公明党はほぼ一心同体になったことがはっきりしたために、大きな失望だと思います(この点については、「(2)私のお返事・・・「3.11」から1年経った日本」もご参照ください)。

6月16日に訪問した、母親が入っている介護施設の食堂で、近くに座っていた、普段はほとんど話すことのない認知症の女性のご老人が、夕食前に原発再稼働決定のニュースを見て、「暫定的!」とうなるように声を上げただけでなく、多くのご老人が、ため息のような共感の声を上げたのには驚きました。野田首相の決断は、認知症老人さえも不安に陥れているようです。

このような、狂気の決断をしたのは、どうも「オール霞ヶ関」が背後にいるためのようです。東京新聞(2012年4月11日付)の「『チーム仙石』再稼働主導」という記事によると、「財務省の勝栄二郎事務次官事務次官は省内で官僚としてはトップの地位ですも野田首相に直接、再稼働を働きかけている」そうです。官僚組織の中心と考えられる財務省の事務方のトップである事務次官が直接首相に圧力をかけたようです。

また、朝日新聞(4月5日付)によれば、「野田佳彦は菅内閣で3代目財務相に昇格すると、財務官僚の仲介で自民党の財務相経験者と会合を重ねて政界屈指の『財務族』となり、11年の党代表選で消費増税に言及して勝利。」・・・「消費増税と社会保障改革をまとめる内閣府の事務次官には、財務省で勝の1期後輩の松本崇が就いた。」そうです。(これら記事に対して、財務省は抗議しているようですが、両紙は訂正を拒否しているようです)。

私の印象としては、このような強力なバックアップのために、野田首相は過去の国民に対する約束はほごに(なかったことに)してでも、増税と再稼働を、押し通せると考えるようになったみるのが、このような豹変を一番うまく説明できると思います。つまり、野田首相は「国民生活のため」などとうそぶきつつ、実際には、『オール霞ヶ関』の操り人形になってしまったと言えるでしょう。

四文字熟語好き

野田首相は何かと言えば、四文字熟語を持ち出すという、中学受験生のような習性があるようですが、場違いな使い方をすることが多いため、教養のなさをさらけ出しているようです。

朝日新聞デジタル(2012年5月28日付)によると、野田首相は、5月30日の小沢元代表との会談について、「お会いする以上、乾坤一擲けんこんいってき、運命を賭してのるかそるかの勝負をすること)だ。一期一会いちごいちえ一生に一度限りであること)のつもりで説明したい」と述べ、消費増税法案への協力を求める考えを強調したそうです。

乾坤一擲の語源は「天下をかけて一度さいころを投げる意から」きているそうですが、日本の政治や国民の安全の確保をばくち感覚でやられたのでは、国民はたまったものではありません。一期一会も一生に一度限りのつもりと言っておきながら、会談が物別れに終わると、3日後の6月3日に再度会談したようですが、そうなると、「一生に一度のつもりだったんじゃないの、でなきゃ、単なる嘘つきじゃない」と言いたくなります。

野田氏は、色紙に何か書くことを求められると、「誠心誠意」(広辞苑によると、ごまかしのないまじめな心)ならぬ「正心誠意」と書かれるようです(実物はこちらですが、歴代首相の中でもかつてない稚拙な文字のようです)が、「誠心」を「正心」にした理由が不明です。私の推測では、どこかで間違って「正心誠意」と書いてしまったものの、訂正するのも格好が悪いため、もじったことにしたというのが真相ではないかと思います。

ことわざや古い熟語を頻繁に使う人は、物の見方が自己中心的で、自分の見方を改めようとする努力に乏しいという傾向があると私はみています。野田首相も、引きつったようなメタボ顔で、四文字熟語を交えて、松下政経塾で学んだ「金儲けの哲学」(商売で一番大切なのは信用で、いったん信用を失うと取り戻すのは容易ではないということを幸之助氏は弟子達に伝えなかったのでしょうか)にのっとった、自民党とほとんど同じ政策を推し進めようとしていますが、一般庶民の意見は無視していながら、ひたすら「国民の生活が第一」を強調する臆面のなさにはあきれます。

臆面のなさと言えば、小泉元首相の「三位一体改革」からのパクリで、どこが一体なのか不明の、「社会保障と税の一体改革」の方は、社会保障改革の部分が後退するばかりで、「改悪」であることが誰の目にも明白になったため、最近では鳴りを潜めつつあるのかも知れません。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の不吉な予言

最後に、問題38(政治)答えに引用した、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社1994年刊、342ページ)から同氏による不吉な予言をご紹介します。

もし、55年体制に取って代わるのが、野党と一応言われている党が集まってできた「巨大な自民党」のようなもので、はっきりと別の政策原理と政策目標を掲げるものはもしかして共産党だけ、ということになれば、それは悲惨なことになる。それは、1930年の政治エリートの有力者たちが「大政翼賛会」――党派的活動が完全に排除された政党システム――をつくったとき、胸に描いていた図式と同じものである。

政治家をただ集めただけのこのような大集団は、官僚たちとの一蓮托生(いちれんたくしょう、善くても悪くても行動・運命をともにすること)の共生関係のなかに生きるだろう。そうなれば、日本の必要な大改修に向けた国民的運動はもう起こりにくい。

しかし、このような大結集は必ず起こるということではなく、そして日本の人々が政治的に十分に行動的ならば、防げることである。


(2012年6月17日)。

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