昭和の団地

東京都杉並区で二つの「公団の団地」(公団とは、旧日本住宅公団、現在の住宅・都市整備公団のこと)が再開発のために取り壊されるようなので、散歩がてら、写真を写してきました。上の写真は「公団荻窪団地(1958年入居開始、賃貸、875戸)」の一番北側に位置する単身者棟で、右側の、1号棟、少し角度がついてこれにつながっている2号棟、2号棟の裏側で見えない3号棟までがなぜか少しずつ向きをずらして連結された構造になっています。ここに写っているのは裏側で、窓の内側は廊下となっていますが、団地というより、倉庫のような感じがしました。この建物を裏側の正面から見たのが下の写真で、左から順に、1号棟、2号棟、3号棟が写っています。正面側に立つと、普通の団地と同じ印象ですが、建物に取り囲まれた感じがするため、かなり壮観です。

この団地には、下の写真に写っている、三角形の建物もあり、当時としては、かなり斬新な建物だったようです。下の写真の左側のフェンスは、すでに取り壊しが始まった部分ですが、正面と右側の部分はまだ使われているようでした。

下の写真は、「阿佐ヶ谷住宅」(1958年入居開始、分譲、350世帯)で10年以上前に写した写真です。この広場は中央広場と呼ばれていて、左側の建物のような3または4階建ての一般的な団地の建物のほかに、正面に見える、テラスハウスがあるのが特徴です。テラスハウスは、東京文化会館も設計した、前川國男氏の設計だそうです。阿佐ヶ谷団地にお住まいの建築家、「おおかわさちえ」さんのサイト、「阿佐ヶ谷住宅日記」( http://www.geocities.jp/asagaya_jyutaku/page/what/index.htm )によれば「緑あふれる配置計画は 「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなもの(=コモン)を、市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか」(津端修一)をテーマに、公団の設計課が行った」そうです。実際、団地は、一応立ち入り禁止ですが、内部に塀がなく、自由に歩き回るために、団地住民だけでなく、近所の住民にも人気の散歩ルートとなっているようです。

現在では、JR阿佐ヶ谷駅と井の頭線、浜田山駅を結ぶ、杉並区南北バス「すぎ丸」が団地内を走っていて、それほど広くない団地内に3カ所も停留所があるため、ゆっくりと団地内を眺めることができます。下の写真は「阿佐ヶ谷住宅西」という停留所にバスが着くところです。残念ながら、取り壊しが迫ってきたため、テラスハウスの多くが空き家となっています。こんなゆったりとした団地が取り壊されで、普通の団地になるというのは、惜しい気がします。

(2008年6月21日)

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