問題6(経済史)の答え・・・b.第二次世界大戦ころです
大正年間(1912-1926年)までは日本の労働市場はかなり移動の激しい市場だったようです。野口悠紀雄著「1940年体制」(東洋経済新報社)によれば、大正年間の大阪市『労働調査報告』に「我が国の労働者の最大の欠点はなんといっても、同一工場に勤務している期間の短いことで、このため工業全体が被っている損害は少なくない」という意味の指摘があるそうです。そのため、雇用の調整(人員削減など)はかなり早く行われたそうです。ただ、第一次大戦(1914-1918年)後に本格的な工業化が進むなかで、一部の重化学工業の大企業については、雇用が長期化し、給料には年功的要素が導入されていったようです。
終身雇用制が一般に定着したのは、第二次世界大戦中(1939-1945年)とみられます。戦争準備を目的とした「国家総動員法」が1939年に制定された際に施行された「会社利益配当及資金融通令」によって企業の配当に規制が加えられました。さらに1940年には「会社経理統制令」が制定され、配当統制が強化されただけでなく、株主、役員の権利が制限され、企業は従業員の共同体的な性格のものとなり、終身雇用制が定着したようです(同書25ページ)。
年功序列制も、「総動員法」の下では、賃金が統制され、賃上げは従業員全体を一斉に昇給させる場合以外は認められなかったことから定着したようです。ただ、年功序列が広く普及したのは、戦後の高度成長期からであるという見解もあるようです(26ページ)。
日本独特の制度と考えられているもののなかにも、実際は、戦争を遂行するために導入されたものであるケースがけっこうあるようです。以下に、このような制度や慣行の例と、戦時体制とのつながりを、同書に基づいて紹介します。
年功序列や終身雇用制のような日本独特の雇用慣行は、日本国民の民族性に根ざしたものではなく、戦争遂行のために導入されたものであるといえましょう。
ただ、終身雇用に近い制度は世界中で採用されてきたことも確かです。カナダ人の知人から聞いた話によると、10年以上前にはかなりの会社が終身雇用に近い制度を採用していたそうですが、その後このような企業は急速に減ってきたそうです。米国でも、優良企業の代表ともいわれてきた、IBMはかつては終身雇用に近い雇用形態を採用していたと聞いていますが、私の記憶によれば、90年代始めに大規模な人員削減を実施して、ほかの米国企業に近い雇用形態になったようです。
日本企業が、従来通りの雇用慣行をこれまで維持することができたのは、日本経済が戦後ほぼ一貫して高い成長を維持してきたことが一因となっていると思います。戦後ほぼ一貫して日本企業は順調に成長してきたため、毎年の採用人数が持続的に拡大してきました。このため、企業の階層別人員構成もピラミッド型になり、賃金の相対的に低い若い多数の労働者が、給料以上に働くことによって生み出した利益を、賃金の比較的高い少数の中年以上の労働者に配分することが可能でした。しかし、成長の鈍化に伴って、採用人数が頭打ちになるに伴って、このようなシステムを維持するのが困難になりつつあります。
世界的に企業間の競争が激化し、競争に国境がなくなってきているために、一つの国だけでコスト高につながるような制度を採用し続けるのは困難になりつつあるのかも知れません(97年10月31日)。
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