問題 16(政治)の答え・・・b.「またバブルになったら乾杯しましょう」が正解です。
岸宣仁著『賢人たちの誤算』(日本経済新聞社刊)の16ページに次のような記述があります。
ミニ・バブルを懸念する尾崎の言葉に初めは穏やかな顔で聞いていた宮沢だが、ついには・・・冷たく尾崎を制した。そして、「またバブルになったら、乾杯しましょう」とのひと言で、くってかかる尾崎の反論を封じたのである。
そして、同じく6ページには以下のような記述もあります。
(この言葉を)伝え聞いた私は一瞬耳を疑った。一国の宰相として、この人の視線は本当に国民の方を向いているのだろうか。庶民感覚から遊離した、“視線の高さ”が透けて見えた。政界随一の経済通といわれるこの人の言葉に、私は不快感を通り越して憤りを感じていた。
結局、ミニバブルは発生しなかったため、乾杯の必要はなかったのですが、この言葉からは、自民党の経済政策がバブル経済を生み出す重要な要因となったことに対する、反省というものが全く感じられません。
戦後ほぼ一貫して、日本経済は拡大を続けたことが背景となって、資産価値も高い伸びを続けました。このような状態があまりにも長く続いたために、地価や株価は必ず上昇するという「神話」が生まれました。大蔵省をはじめとする政府当局、金融機関、証券会社、不動産会社、建設会社などは、この「神話」に便乗するだけでなく、結果的に地価や株価の上昇を後押しすることになったようです。
80年代後半の地価高騰のきっかけとなったのは、85年5月に国土庁が発表した「首都改造計画」だといわれています(同書169ページ以下の「官製土地神話」をご参照ください)。国土庁は同計画のなかで、2000年までに東京都区部だけでも約
5,000ヘクタール(超高層ビル250棟に相当する)のオフィスが必要になると予想しました。この計画の発表がきっかけとなって、85年ころから、東京都心部で地価の急騰が始まり、やがて、地価の高騰は全国に波及することになったようです。地価の高騰を金融面からさらに加速させたのが、日銀による超低金利政策でした。日銀は87年2月に公定歩合を、それまででは史上最低の2.5%に引き下げ、それ以後2年3カ月間もこの水準で据え置きました。この超低金利政策によって、土地投機はますます活発になり、金融機関は審査機能を事実上マヒさせてまで、貸し出し競争に熱中することになりました。これが、金融機関が現在膨大な不良債権を抱え込むことになる原因となりました。
株価上昇の背景となったのは、上場企業(株式市場で株式が取引されている企業のこと)の業績の拡大が予想されたことのほかに、上場企業同志の株式の持ち合いがさらに進んだだけでなく、4大証券会社などによる株式の大量推奨売買が横行したことなども影響したとみられます。株価が上昇すると、上場企業は高い価格で株式を発行することによって、大量の資金を調達することができるようになります。このようにして調達された資金の多くは、設備投資に向けられるのではなく、「財テク」と称して、いろいろな投資対象に投資されましたが、そのうちのかなりの部分が、株式の持ち合いのために投資され、結局資金が株式市場に還流しました。その結果、株価の上昇が上昇を呼ぶという、典型的なバブル相場が実現してしまったというわけです。
このような典型的なバブル相場になった場合、冷静な判断が可能とみられる学者、研究者が警鐘を鳴らすことが期待されるのですか、今回のバブルの時には、学者・研究者が株価上昇を煽(あお)ったといわれても仕方がない報告書が出ました。これは、日本証券経済研究所が88年10月に発表した「日本の株価水準研究グループ報告書」というレポートのことです(『賢人たちの誤算』の206ページに紹介されています)。この研究グループは若杉敬明東京大学経済学部教授が中心となり、証券大手4社系の研究所と証券経済研究所の研究員から構成されていました。この報告書の中で、(最近でもよくテレビに登場している)証券経済研究所の紺谷典子主任研究員(当時)は、「qレシオ」という企業買収の際に使われることの多い尺度を持ち出して、「日本の株価は、(企業の利益に対する株価の倍率で、標準的な株価評価尺度とされている)PERの異常な高さに示されるように、企業収益を基準にすると過大評価のようであるが、一方、qレシオで示されるように、企業資産の価値と比較すると反対に過小評価のようにみえる」とし、「日本の高株価は十分合理的な根拠を持つものといえよう」と結論づけまし
た。その後の株価の動きをみると、この説は誤りであったのは明白ですが、これら関係者から、この点やこのレポートがバブルを爆発するまで膨張させる一因となったことについての反省の声は全くといっていいほど聞こえてきません(『日本経済新聞』97年7月1日によれば、若杉教授は厚生省の「年金積立金の運用の基本方針に関する研究会」の座長だそうです。こういう人によってわれわれの年金の運用方針が左右されるかと思うと、空恐ろしい気がします)。
官、民、学者、研究者が一体となって、「神話」を信じることになったのは、「哲学」がなかったからです。宮沢元首相や大蔵官僚に哲学と呼べるようなものがあったとすれば、せいぜい「地価や株価が上昇していれば、みんながハッピーだ」という見方だけでしょう。しかし、本当にみんながハッピーだったのでしょうか。地価が急騰したため、住宅の取得をあきらめざるを得なかった人が多数いました。また、株価が上昇して喜んだのは、主に富裕層と株式全体の7割程度を保有している法人(金融機関と企業)だったのではないでしょうか。
価格が永遠に急上昇し続けることなどあり得ず、いずれ経済原理からみて「適正」な水準に落ち着くというのが歴史の教えるところです。政府は、地価や株価を高水準に維持できると考えて、懸命に努力してきたようです。しかし、価格が適正な水準に接近した場合、つまり大幅に下落した場合に、不良債権が大量に発生する可能性があることや、住宅を購入したものの、住宅の価値が下落して、売却してもローンを返済できないような人が多数発生するというような可能性については、全く目をつぶってしまったというわけです。
話は脱線するのですが、それにしても、日本には神話が多いですね。上記の「株価は永遠に上昇するという株高神話」、「地価上昇神話」だけでなく、「耐震設計の神話」、「安全神話」、「保守政治安泰の神話」、「日本の官僚は優秀であるという神話」、さらには「政治は三流だが経済は一流であるという神話」など、数えればきりがなさそうです。これらの神話のほとんどがここ10年間に、単なる思い込みであったことが分かりました。
第2次世界大戦中までは、天皇は「現人神(あらひとがみ、つまり人間であると同時に神でもある)」であり、いずれ「神風」が吹いて、戦争に勝つと信じていた国民が、50年やそこらで大きく変わるのを期待するのも無理なのかもしれません。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というビートたけしのせりふがありますが、日本人の精神構造をうまく表したことばだと思います。物事を論理的、倫理的に考える習慣がないため、付和雷同することでしか、不安を解消することができないようです。新しい考え方や新製品が出ればわれ先にと飛びつき、また、さらに新しい考え方や新製品がでると、すぐに乗り換えるという集団的な方向転換を繰り返している、根無し草的民族なのではないでしょうか。
故丸山真男氏はこのような日本人の行動パターンを「集団転向現象」と名付けています(例えば、加藤周一、木下順二、丸山真男著、武田清子編、『日本文化のかくれた形』岩波書店、同時代ライブラリー、129ページ)。この本で、「集団転向現象」の例として挙げられているのが、キリスト教伝来についての話です、キリスト教が日本に伝来したのは、15世紀でしたが、半世紀の間に、キリシタンの数は40―50万人に達したと、丸山氏は推定しています。ところが、禁教によって、日本にキリシタンはほとんどいなくなりました(隠れキリシタンは数からみても社会的な影響度から考えても、ほとんど意味のない存在であったようです)。キリスト教がこれほど急速に普及し、禁教によってこれほど見事にキリシタンの痕跡が絶滅された国は東アジアにはないと同氏は指摘しています。「中国の場合にも、朝鮮の場合にも、キリスト教の渡来にたいする抵抗は日本よりはるかに強いが、いったん浸潤しますと何べんも弾圧されているにもかかわらず、連綿と近代まで
その跡をたどることができ」るそうです。
話が大きく脱線してしまいましたが、本題に戻りましょう。
神話崩壊の原因となったのは、バブルの崩壊、阪神大震災、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、自民党政権の崩壊、証券、金融不祥事、官官接待、官民接待の横行などでした。10年間にこれだけいろいろなことが起こったというのも不思議な気がします。阪神大震災も天災という側面だけでなく、耐震設計の不備、ヘリコプターによる消火が全く試みられないなどの消防体制の不備、自衛隊が出動するまでに長時間(記憶によれば確か1日以上)かかったことなどを考えると人災という面もあると考えられます。こうしてみると、戦後の日本の経済成長を支えてきた社会システム全体が制度疲労を起こして、各所に亀裂が生じてきたということができるのではないでしょうか。
亀裂を修復するためには、亀裂が生じた原因をはっきりさせる必要があると思います。例えば、バブル崩壊による打撃を修復するためには、どのような原因からバブルになったかを突き止める必要があります。政府、大蔵省はこのような原因究明には全く興味を示すことなく、場当たり的な対策に終始してきたために、バブル崩壊後8年も経ってもまだその損失の全体像がつかみきれていない状況にあるとみられます。原因や全体像がつかめていない事件に対する対策を立てようとしても無理な相談でしょう。このように、場当たり的な対策に終始してきたのは、第一に、原因を追求すると、誰かが責任をとらなければならないこと、第二に、御用学者が多過ぎて、学者研究者の中に、ごく少数の例外を除いて政府に対して正面切って反論できる人がいなかったからともいえるのではないかと思います。
これに対して、米国の87年の株価暴落(ブラック・マンデー)のときには、レーガン大統領によって設置された大統領株式市場特別委員会のほかに、証券取引委員会(SEC)、商品先物取引委員会(CFTC)がそれぞれ、暴落の原因を調査して、報告書を出しただけでなく、多数の関係者が処罰されました。
金融機関が不良債権を抱え込んだことについて、責任のあると考えられる関係者全員にはっきりと責任を取ってもらわない限り、税金を救済資金として使われる国民としては、納得がいかないのではないかと思います(98年4月8日)。
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