問題26(日本語)の答え・・・すべてが正解です(a. 断定表現を繰り返すと押し付けがましい、b.この表現の第一の用法は前の文章を受けて説明することであるため、強調のためだけに繰り返すのはおかしい、c.この用法は、文頭に「驚くなかれ」といった言葉が潜在していることを表すことがあるので、繰り返して使うと意味がはっきりしなくなる)。

新聞記者の本多勝一氏が、ある出版社に送った原稿が大幅に修正されて出版されてしまった話が、同氏の著作、『日本語の作文技術』(朝日文庫、209ページ)に出ていました。本多氏の有名な『ニューギニア高地人』の少年版を刊行するときの話で、次の文章で、太字下線の部分がカッコ内のように、訂正されていたそうです。

・・・アレガメは、親しい友人(友だち)に尊敬の(意味)をこめてよぶときのことば(のだ)。ヤゲンブラやコボマなど、親しい男たちと私たちはこう呼ぶ間柄になっていた。(わたしたちは、ヤゲンブラやコボマなどと、こうよびあうことのできる親しい仲になっていたのだ)。〔本多勝一著、『生きている石器時代』〕

子どもにもわかりやすくなるように、書き直されている部分もありますが、同氏は、「どうしても許しがたいのは、「ノダ」のようなことばを勝手に加え、しかも繰り返していることである」と指摘しています。その説明として、同氏は「ノダ」、「ダ」などの助動詞「だ」を含んだ表現は下記のように三つに分類され、下記の第一や第二の用法のように役割がはっきりしているときに効果を考えて使うのは問題がないが、第三の用法のように、単なる強調のために「あまり使うと押し付けがましいだけでなく、本当に必要な場合と区別がつかなくなってしまう」と言っています。『日本語の作文技術』で挙げられている三つの用法を下で説明して、同書から用例を引用させていただきます。

・第一の用法・・・・「ナゼナラバ」

「・・・ノダとかノデス・ノデアルの第一の用法は、その前の文を受けて説明するときである。したがってこの用法のときは、前の文章と内容が密接につながっている。文の頭に「ナゼナラバ」がつくような形の場合と思えばよい。例えば――

彼はびっくりして立ち止まった。(ナゼナラバ)20年前の恋人が眼前にすわって雑誌を見ているのだ。」

・第二の用法・・・・「オドロクナカレ」
第二の用法として、同氏が挙げているのが、「オドロクナカレ」といったことばが潜在しているとみてよい場合です。これについては二つの例が挙げられています。

…サイゴン陥落、全土開放。あの監獄の島・コンソン島も開放された。政治囚たちは自由の身になった。その中に、バア少年の父親もいたのだ。(本多勝一著『再訪・戦場の村』)

私の頭の髪はこのごろ白毛が増え、顱頂(ろちょう、頭のてっぺん)部がすこし薄くなっているが、後頭部は毛が濃い上にばりばりするほど硬いのである。(井伏鱒二著『白毛』)

・第三の用法・・・・単なる強調

第三の用法は単なる強調のためのもので、次のような例が挙げられています。

「値上げ前のお米で作ったはずなのに・・・・と苦々しい思いでそのお菓子を買う私です。」(『朝日新聞』74年11月23日朝刊「ひととき」)

この三番目の用法は、いかにも文章を書き慣れていないという印象を与えることが多いため、使わない方がいいと私は思っています。また、これはへたな翻訳者がよく使う表現でもあるようです。

・広辞苑による分類

広辞苑によると助動詞「だ」には以下の三つの意味があるそうです。
@事物を断定し、または解説する・・・用例「わたしが父親だが、何か用かね」
A相手の未知のことを解説・教示し、また強く決意を表明する・・・用例「それはこういうことなのだ」「我々はどうしても明日行くんだ」「それはおもしろいんだ。読み始めると止められないよ」
B単純な強調・・・用例「我々はだ、この際だね、言うだけのことはだ、はっきり言うべきだよ」

本多氏の第三の用法に、Bが相当することははっきりしています。また、@とAはほぼ第一と第二に相当するようですが、完全には一致していないような感じがします。本多氏の説明の方が分析的で、分かりやすいのではないでしょうか。

というわけで、「のだ」、「のです」、「だ」、などの表現を、やたらと使うといかにも内容が無さそうな印象を与えると思います。バカボンのパパの口癖の面白さは、一般にはあまり意識されていないかも知れない、この辺の事情を逆に利用したものなのかもしれません。(98年10月31日)。

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