問題27 (報道)の答え・・・( b. 朝日新聞 )が正解です。

花田紀凱氏は、月刊誌『マルコポーロ』の編集長に就任する前には、88年以来『週刊文春』の編集長をしており、その間に同誌の発行部数を飛躍的に伸ばすなどの成果を上げたこともあって、「文芸春秋の顔」とも言われた人物だそうです。また、日本テレビの「ザ・サンデー」にレギュラーで登場していたことがあるなど、一般での知名度も高いようです(同氏の写真はhttp://www.asahi.com/ad/ad-bellsalon/talk3.html で見ることができます) 。

〔朝日新聞が開設している Asahi.com のこのサイトは2001年2月4日までに消去されたようです。同氏の写真は同日現在 http://kodansha.cplaza.ne.jp/motoki/content029/content5.html で見ることができます。このサイトによれば、同氏は2000年3月現在、角川書店で Men's Walker の編集長をされていたようです。このサイトには、竹下登氏が、田中角栄氏に反旗をひるがえしたときに、角栄氏にどなりつけられ、左右の靴を履き違えて、転びそうになりながら田中家を退散したと、田中真紀子氏が語ったため、これをインタビュー記事にしようとしたところその部分は削除を求められたという、花田氏の話が載っています(2001年2月4日追記)〕

しかし、後から説明するように右寄りとみられている文芸春秋社を、このような問題で辞めた編集者を、これも後から説明するように左寄りとみられている朝日新聞が採用するのは、かなり理解に苦しむところです。朝日新聞は出版部門の不振をばん回するために、女性月刊誌『uno!』専属の契約編集長として、実績のある同氏を迎えたようですが、同紙の廃刊に伴って、花田氏は今年(98年)6月に退職されたそうです。この事件は、朝日新聞のような権威ある新聞でも、「金もうけ第一主義」に陥っていることを示すものではないかと思います。

文芸春秋社の問題点

『メディア・ファシズムの時代』(浅野健一著、明石書店)によれば、「70年代後半から、文芸春秋は、当時の自民党タカ派や公安調査庁などの権力と密接な関係を持ち、平和運動、反核運動に敵対してきたように思う。歴史の面では、日本の15年戦争(引用者注:1931年の満州事変勃発から太平洋戦争までのことでしょうか)を美化し、侵略戦争ではなくアジアの民族解放に貢献したというイデオロギーをばらまいてきた。」(同書235ページ)そうです。「マルコポーロ」にばかげた記事が掲載されたのには、同社のこのような歴史観が背景になっているのは明らかです。

また、同社は人権に対する配慮という面でも問題があるようです。同書は、「『週刊文春』は、89年に東京都足立区で起きた少女軟禁事件(引用者注:女子高生コンクリート詰め殺人事件)では、被疑者の少年たちについて「野獣に人権はない」と言い放って実名報道。被害者少女も実名報道して・・・・・・、被害者にも問題があったかのように報じ(同書229ページ)」、さらに「92年3月に千葉県市原市で起きた一家四人殺人事件で、被告の少年が94年8月死刑判決を受けたが、「マルコポーロ」9月号は・・・・・・「少年の人権を言うなら、被害者の人権こそ考えられるべきだ」と書きながら、新聞・放送が被害少女の人権に配慮して報道しなかった内容を、「判決文から再現してみよう」と称して生々しく描いた(同書237ページ)」と指摘しています。同社は、販売部数を伸ばすために、人権への配慮を犠牲にしているといえるのではないでしょうか。

朝日新聞の問題点

『21世紀のマスコミ 01 新聞』(桂 敬一立命館大学教授他編、大月書店)によると、最近では「一般記事の方は、どの新聞も・・・・・・画一化の方向に動いているのにたいして、論調の方は・・・・・・しだいに二極分化の方向に動いて」おり、「ひと言で言えば、「読売・産経新聞」対「朝日・毎日新聞」という構図である(同書35ページ)」そうです。

『読売新聞』のタカ派的性格は、92年末に新聞社として「憲法9条を改正せよ」という提言を出したことにはっきりと表れているようです。『21世紀のマスコミ 01 新聞』によれば、『朝日新聞』は、太平洋戦争は「無謀な戦争であり、日本はアジアに対する侵略者、加害者であることを常に忘れてはならない」というの歴史観を持っているそうです(同書41―42ページ)。これに対して『産経新聞』、『正論』、『諸君!』などの、右寄りとみられているメディアは、「自虐的にすぎる」、「東京裁判史観に毒されている」として激しく非難」しているそうです。『毎日新聞』は95年10月11日の閣議後の江藤隆美総務庁長官の「植民地時代、日本はいいこともした」というオフレコ(報道しないという条件で行われた)発言を、『東京新聞』とともに日本の新聞としては最初に報道するなど、権力に迎合しないという姿勢が他社よりも強いようです。

花田氏の採用は、ナチスドイツの行動を容認していると考えられても仕方がない面があると思います。そのため、これは朝日新聞の持っているとされる歴史観とは相いれないものであり、雑誌部門の収益を上げるために、新聞社の持っている基本スタンスを捨てたと言われても仕方がないものではないでしょうか。

新聞業界の体質

国民の重要な情報源である新聞が、一般に考えられているほど、国民の方を向いたものではなく、旧態依然とした体質を持ち、営利主義に陥っているのではないかと考えられます。

現代マス・メディアの最大の使命は、国民全体の知る権利を具体化させることであり、本来個人の基本的人権である言論の自由権が、巨大な組織であり同時に営利事業でもあるマスコミ機関にも認められるのは、まさにその行動が本質的に国民の人権に根ざすものとみなされるからであるというのが一般的な見方です(『マス・コミュニケーション概論』(清水 秀夫他著、学陽書房)163ページ参照)。

この使命を果たす際に障害になっている要因の一つが、営利主義です。金もうけのために、権力に迎合したり、スポンサーである企業に都合の悪い記事は隠したりすることは日常化しているとみられます。

新聞業界は広告収入への依存度が高いために、スポンサーに不利になる記事の掲載は避ける傾向があるようです。新聞社の収入全体の約40%が広告収入であり、販売収入は47%と半分以下にとどまっている(『マス・コミュニケーション概論』105ページの95年下期のデータ)ために、企業に不都合なことは報道されない傾向があるようです。最もわかりやすいのは、どのメーカーの自動車が統計的にみて、故障や事故を起こしやすいかという非常に重要な問題について、報道した新聞や雑誌はないようです。これは、あるメーカーの自動車が統計的にみて、故障や事故を起こしやすいということを報道した場合には、そのメーカーからの広告収入の減少が予想されるためであると推定できます。

国民の知る権利と関連して現在最も大きな問題となっているのは、「記者クラブ」制度です。記者クラブというと、親睦会のような印象を受けますが、「実態は、警察署をはじめとする、官公庁、大企業などで、「記者室」を提供され、事務職員(公務員または嘱託職員)の派遣、電話、ファックスなどの便宜供与を受け、メンバー以外のメディア記者を排除していると批判されている。・・・・部屋をただで借り、様々な便宜供与を受けているから、当局の意のままになる。」『メディア・ファシズムの時代』(277ページ)そうです。『メディア・ファシズムの時代』の著者である浅野健一氏は、共同通信の記者出身で、千葉支局に勤務していた時に、千葉県警記者クラブ、千葉県政記者会(県庁担当)、千葉経済記者会、千葉市役所記者クラブに所属していたことがあるそうですが、これら記者クラブについて「どのクラブにも麻雀室があった。クラブ配属の職員を顎(あご)で使う記者も少くなかった。忘年会と称して、警察が押収した猥褻(わいせつ)映画の鑑賞会もあった」(同書275ページ)と述べています。

また、同書によれば、記者クラブが各省庁にできたのは1926年に成立した治安維持法下だそうです。「日本のファシズム化が進む中で、一県一紙体制(一つの県に新聞は一紙に統合)が確立したのと平行して完成した」と指摘されています。また、記者クラブの数は全国で1,200を上回っていると同書では推定しています(276ページ)。

ファシズム化と関連して、問題6(経済史)で引用させていただいた、『1940年体制、さらば「戦時経済」』(野口悠紀雄著、東洋経済新報社)には、「読売、朝日、毎日の三大紙の起源は19世紀に遡(さかのぼ)れるものの、発行数と影響力を格段と増したのは戦時期の現象であるという」『Japan in War and Peace』(John W. Dower, New Press, 1993)という本の見方が紹介されています。『1940年体制』はさらに、「政府は1941年に「総動員法」にもとづいて「新聞事業令」を制定し、42年には「日本新聞会」を発足させた。新聞事業令に基づく統合と、一県一紙主義によって1939年に848紙を数えた日刊新聞は、42年には54紙にまで減少した」と指摘しています。

戦争のために巨大化し、戦争の遂行に全面的に協力した大手新聞が、50年以上経った現在でも、記者クラブのような、ファシズム時代の制度に上にあぐらをかいて、絶大な力を維持することが可能であるのは、まさに権力と密接に結びついているためであると考えられます。そのような、新聞がその基本的歴史観さえも捨てて、金もうけに走ることがあるとすれば、見逃すことができない問題だと思います(98年11月22日)。

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