人間らしく生きるためには、人間とは何かを理解する必要があります。実存主義哲学者のサルトルは「実存主義とは何か・・・実存主義はヒューマニズムである」(人文書院、私が持っているのは1955年に初版が発行された伊吹 武彦氏の翻訳で、以下のページ数もこの版のものです)の中で、人間と物の差を、ペーパー・ナイフを例に挙げて説明しています(15―17ページ)。
ペーパー・ナイフは、「一つの概念を頭に描いた職人によって造られたものである。職人はペーパー・ナイフの概念にたより、またこの概念の一部をなす既存の製造技術――結局は一定の製造法――にたよったわけである。従ってペーパーナイフは、ある仕方で造られる物体であると同時に、一方では一定の用途を持ってもいる。・・・・ゆえに、ペーパー・ナイフに関しては、本質――すなわちペーパー・ナイフを製造し、ペーパー・ナイフを定義しうるための製法や性質の全体――は、実存(引用者注:現実に存在すること)に先立つといえる。
ところが人間の場合には、逆に「実存が本質に先立つところの存在」であるとサルトルは言っています(18ページ)。この意味を私なりに勝手に解釈すると次のようになります。人間は生まれたばかりのときには、確かに存在していますが、どんな人間か、つまりその人の本質を考えるなどというのは、意味のないことで、遺伝的素質や、その後の環境の影響によってだんだんと、その人らしさが備わってくるという特徴があるということを言っているのではないかと思います。その意味で、サルトルも「実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったところのものになるのである。・・・人間はみずから造るところのもの以外の何者でもない」と言っています(19ページ)。
では、人間はどのようにして、みずからを造るのでしょうか。サルトルは「人間は・・・まず第一に主体的にみずからを生きる投企(とうき)なのである」と言っています。ここで出てきた「投企(とうき)」という言葉は実存主義では重要な概念になっているようです。「投企」は、英語のproject(計画、企画)と同じ語源で意味もほとんど重なっている、フランス語のprojet(
プロジェ)の訳です。サルトルはこの言葉を、「未来にむかってみずからを投げる」という意味で使っています。「みずからを投げる」というのは、再び私流の勝手な解釈によれば、自分の殻を突き破ることだと思います。つまり、自分が当たり前だと思っていたことでも、疑ってかかることによって、絶えず自分を深めようとすることが投企ではないかと私は考えています。
さらにサルトルは、一人の人間の行為は、すべてわずかずつではあるが、社会全体に影響を与えるため、一人ひとりの責任は大きいとも言っています。一人の行為が社会全体に影響を与えることを、サルトルは「アンガジュマン」(直訳すると約束、契約という意味になり、英語のengagement
とほぼ重なりますが、実存主義では社会参加という意味も含んでいます)と呼び、アンガジェするという動詞表現もこの本では使われています。
サルトルはさらに、この「アンガジュマン」に伴う責任のために、人間は人間らしく生きている以上「不安」から逃れることはできないと言っています(24ページ)。「人間は不安であると実存主義は好んで主張する。・・・・・すなわち、自分をアンガジェし、自分は自分がかくあろうと選ぶところのものであるのみならず、自分自身と同時に全人類をも選ぶ立法者であることを理解する人は、全面的な、かつ深刻な責任感をのがれることはできないだろう、ということである。いかにも多くの人々は不安を感じていない。しかしそれらの人々は自分の不安に目を覆い、不安をさけているのだとわれわれは主張するのである」
そのため、実存主義によれば、人間的な生き方というのは、宗教のように一つの目標に向かって努力するのではなく、不安を抱えながら自分を絶えず変革しようと努力することであるようです。
サルトルの実存主義の出発点になった「現象学」の哲学者で、サルトルと同時代に活躍したメルロ=ポンティも、主著である「知覚の現象学」(みすず書房)の序文の最後につぎのように力強く宣言しています。「・・・哲学は・・・(引用者追記:世界との)対話ないしは無限の省察ということになるであろうし、それが自分の意図にあくまで忠実にとどまるちょうどそのかぎりで、それは自分が一体どこに行くかをけっして知らない、ということになるだろう。こうした現象学の未完結性と、いつもことをはじめからやり直してゆくその歩みとは、一つの挫折の兆候ではなくて、不可避的なものなのであって、それというのも、現象学は世界の神秘と理性の神秘とを開示することを任務としているからである。・・・・現象学はバルザックの作品、ブルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品とおなじように、不断の辛苦である――同じ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとする同じ意志によって。こうした関係のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである」
歴史学の分野でも、英国の歴史学者の E. H. カーは『歴史とは何か』(岩波新書、清水幾太郎訳、183ページ)の中で、次のように言っています。「私たちがある歴史家を客観的であると呼ぶとき、・・・先ず、第一に、その歴史家が、社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況から来る狭い見方を乗り越える能力――・・・半ばは、いかに自分がこの状況に巻き込まれているかを認識する能力、いわば、完全な客観性が不可能であることを認識する能力に依存するところの能力――を持っていることを意味します」
若者と不安
アメリカの臨床心理学者(精神病の治療を目的としている心理学者)のエリクソンが、精神病とノイローゼ(軽度の精神的失調で、患者の行動が理解可能なもの)との中間くらいの重さの病気に悩む青年たちを治療した経験から「アイデンティティ」という概念を1950年に提唱しました。アイデンティティ(identity)は英語で、もともとは、同一であることつまり、自己同一性、自分自身であること、独自性、主体性、本性、帰属意識などという意味を持っています。これらの青年がしばしば、「自分とは何か」「どういう自分であることが最も自分らしいのか」「世界は自分になにを期待しているのか」「世界には果たして自分の座る椅子はあるのか」などと自問自答していることがこの概念を思いつくきっかけになったそうです(笠原
嘉著、『不安の病理』岩波新書、88―89ページ)。
具体的にいうと、若者がアイデンティティを確立するためには、次の二つの「自分の証明」つまり「自信」が必要だそうです。
(1)生まれてこのかた自分は「一貫した存在」として今日まで生きつづけており、さらに今後もその延長上を生きるであろうという自信。
(2)自分という存在もしくは自分の生き方が、自分の生きているこの「社会によって是認」されているはずだという自信。
また、青年たちに多くみられるこの精神的失調の症状には「部分的撤退」という特徴があるそうです(同書91ページ)。アイデンティティが原因となった神経症は、「不安神経症や憂うつ症のように「内側に」「体験として」の症状をつくることはなく、「外側に」「行動として」の症状をつくる。「行動化」する。その"行動"には、性的な逸脱行動とか、盗みとか、やたらにものを食べるといった陽性の行動もあれば、社会参加を放棄するという陰性の行動化もある。社会参加の放棄は好発(引用者注:よく起こる)症状である。ただし、分裂病者の自閉のように社会生活の全面から撤退することはない。部分的撤退とよぶ理由がそこにある」。
京都の小2殺人事件の岡崎容疑者、新潟県三条市の女子小学生を9年間も監禁した佐藤容疑者などの最近の事件に共通している、「家庭への居候(パラサイト、寄生虫という意味もある)」、「閉じこもり」にも、アイデンティティの問題が関係しているような気がします。
どうしたら不安は解消できるか
不安というのは、よく分からないことが原因になっていることが多いようです。自分なりにできるだけよく調べて、それに基づいて対策を立てるというのが、不安に対する最善の対策でしょう。
例えば、あなたが余命が数日しかないと医師に宣告されたとします。死に対する不安というのは、人間にとって考え得る最大の不安でしょう。その場合、ショックのあまり、残された時間を失意の中で送ることも考えられますが、残されることになる家族が困らないように最善の努力をするとか、世話になった人にお礼を言うとか、これまでぜひやってみたかったにもかかわらず、いろいろな事情でできなかったことをするとか、残された時間を有効に使う努力をする方がはるかに有意義でしょう。その場合には、どのようにして残りの時間を有意義に使うのかということに意識が向けられるため、不安は軽減されるのではないかと思います。
小さな不安でも、原因と対策という形で、ノートなどに書き出すとずいぶん気持ちが楽になるものです。自分でできるだけのことをしたという確信を持つことができれば、たとえ対策がうまくいかなくても、あきらめがつくことも、この方法のメリットではないかと思います。
島崎敏樹氏のアドバイス
私が学生だった30年以上前に、精神科医の島崎敏樹氏が書かれた新聞記事にずいぶん力づけられたという記憶があります。この記事は、『朝日新聞』(1967年4月30日付、朝刊)の「私の助言」というコラムに載せられたものです。最後に、スクラップしてあった、この記事の全文を引用させていただきます(天国の島崎先生、勝手に載せてすみません、でも先生なら許してくれますよね、一ファンより)。
傷つきやすい心・・・悩みを恐れずに社会を歩こう
有名校といわれる高校へみごと合格したのに、こんな東大予備校などにいてやるものかと、はいったばかりの学校を自分から捨ててしまった若ものを私は知っている。それから、第一志望校をはずして、旧女子系の高校へまわされたために、一日も登校しなかった青年もあった。ボクは自分ひとりで勉強して東大へ入ってみせるんだ――そう、彼は自分にちかった。ハイティーンの生命力と短見である。
しかし、大学生となると、多くのひとが意見をかえてくるらしい。「ボクの人生は学生のあいだで終りです」、ある学生はこう私に話してくれた。社会にでれば、もう自分は機構のワク組の一部だから、かけがえのない自分ではなく、人生は終わってしまったのだ――そういう彼の絶望にはロマンチシズムがあった。
ところで、一流会社に入った青年たちをみると、こんな非情な会社にだれがいてやるものかと、出ていく人物はないし、結構ひとりひとり自分なりの人生をこねあげていくものらしい。みんな、おとなになったのだ。
それだけに、ぼくはチームワークが苦しくてこまります――そんな悩みで私たちのところへやってくる小心な青年は気のどくである。彼はひとりっこ子なのだ。彼のとが(引用者注:「とが」は「あやまち」という意味)でも、母親のせいでもない。ひとりっ子だったのがとがである。
まあまあ、そう気おちしないで。だれとも和合して、ひとりで生きてゆける楽な人生もあるし、苦しみのなかからきずきあがる人生もあります。身軽にすたすた歩いてゆける人もあれば、重い荷を背負わされて、やっとの思いであるいてゆく人もあります。辛いことだが、それだけ足腰がしっかりするでしょう。――よく私はそんな風にこたえる。
ことがらはもちろんひとりっ子にかぎったわけではない。仕事の仲間やとくい先などと適当にうまくつきあってゆくのが性格的に得意でないひとはいくらでもいるものである。ことに社会に入ったばかりのころだというと、今まで学生の時代にはウマのあう友人をえらんで、その相手とだけ対面していればよかったのが、急に世間という外顔(そとがお)と外顔との微笑的対決の場にほうりこまれるのだから、ことは辛い。
ある私鉄に入ったばかりのひとだか、改札口にたって切符切りをしているあいだが一番楽です、という話をきかせてくれた。ラッシュの時など、せわしいことはもちろんだけれども、ひとりひとりの人との接触がないからかえって気楽で、事務室にいるときが実はやりきれないのです――そんな訴えだった。
それでも結構たいがいのひとは耐性があり、柔軟なものだということを私たちは知っている。ひとの目をみるのがまぶしいとかこわいとか、トイレの手洗いのコックにさわると自分の手が汚されてしまうのがこわくてとか、話をきいてみれば、このひとにこんな苦労性があったのかと意外におもうくらい、健康なひとたちにもさまざまな悩みがあるものである。
悩みがあったところでかまわない――しゃんとひとりで立ってひとりであるいて行けさえすれば、彼は立派な人物なのだ。悩みなどなにもないと得意な人間の方が、実は悩むことのできる生きた心にまずしい、無思慮の欠陥者であることがよくある。
世間に入るということは、だれそれという人物からしゃべられるのではない、ウワサの出所の分からぬ風評のなかに入ることである。そして風評というものはろくなことをいわず、ひとを傷つけるうわさときまっている。しかしこれで自分の心がきずつけられるようではもったいないことだと私はおもう。なぜかといえば、能力のあるひとのことはことさらおとしめなくてはいられないのが、世間というものの持前なのだから。
傷つきやすい、やわらかい心の、若いひとたちに声援をおくる。
以上が引用です。一流会社に入った青年もけっこう辞めるようになったとか、切符切りという仕事がほとんどなくなりつつあるなど、細かい点では実情に合わなくなっていますが、現在でも十分に説得力のある助言だと思います。つらいことがあったときに読み返すと必ず力づけられる文章だと思います(2000年2月27日)
【一部訂正しました】島崎敏樹氏のコラムは『北海道新聞』に載っていたと思い込んでいましたが、『朝日新聞』(1967年4月30日付、朝刊)の記事であったことを、かみさんが発見してくれましたので、本文を訂正させていただきました(2000年6月28日)。
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