問題49(民族)の答え・・(a.植民地時代に支配階級と被支配階級として差別されるようになった)が正解です。

『民族の世界地図』(191ページ)によれば、「ルワンダ、ブルンジ、旧ザイールにおける民族間抗争で知られるツチとフツは、ルーツは異なるものの、少なくとも今はたがいに独自の民族であるといえる差異がほとんどみあたらない」そうです。つまり、同じ言語を話し、肉体的特徴も、信じる宗教も同じということになります。ツチはかつては王族や首長などの支配者層を形成していたグループのことで、フツは農民層のことだったそうです。しかし、「もともと、牛の所有者かどうかなどというあいまいな境界しかなかったツチとフツの間に、生業の違いやら背の高さ、鼻の形の違いやらを持ち出して民族意識、ひいては対立をもたらしたのは、旧宗主国(引用者注:かつてこの地域を植民地としていた国)ベルギーや、西洋の人類学者だった」そうです(192ページ)。

「ベルギーによる間接統治にとって「支配階級ツチ」の存在はまことに都合がよかった。・・・ベルギーは徴税のための手先として、少数派ツチを重用した・・・・・西洋人に押しつけられた「部族意識」のために、1962年の独立を機にしたツチとフツの力関係の逆転以来、数万人から数十万人の死者と数百万人の避難民を出す惨事が繰り返された・・・・(ツチとフツの抗争の歴史は)まさに植民地政府の政策によって対立が生じることになった悲劇の一例である」と指摘されています(190ページ)。

ところで、ツチ族、フツ族などとわれわれが何の抵抗もなく使っている「族」という言葉は、日本民族のことを日本族と呼ぶとおかしいことからも分かる通り、先住民族または「未開の土人」のイメージを持たされた人々のことを指し、先進国を構成している民族に対しては使われないようです。「族」という言葉は、英語の「tribe(部族)」同様、植民地主義が背景となった言葉だそうです(20ページ)。そのため、主要民族が自らを漢族と呼び、55の少数民族にもそれぞれ「族」を付けて正式名称としている中国以外の民族については、「族」を使うのはなるべく避けて、英語のエスニック・グループの訳語である「民族集団」という言葉を同書ではなるべく使うようにしたそうです。

一つの民族を構成する集団は、共通の生物学的な特徴を備えて、同じ言葉を話し、同じ宗教を信じ、結婚も同じ民族同士で行われるため、広い意味での血族集団であるかのような印象を受けます。しかし、ツチとフツのように、同じ人種でも、差別的植民地政策によって、別々の「族」と呼ばれるようになった例もあります。

工業化とナショナリズム

産業化で先行した欧州各国は、植民地支配のために、途上国の人々の間に、民族意識、部族意識による対立を生み出しただけでなく、自国の国民の結束を図るために、ナショナリズム(民族主義、国家主義、国民主義、国粋主義、独立主義などと訳されています)を利用してきたようです。たとえば、『民族という名の宗教』(なだいなだ著、岩波新書)によれば、「(19世紀のヨーロッパでは)・・・フランスとイギリスは、産業革命以後の時代にふさわしい体制として、近代国家に変わりつつあった。その国家はこれまでの手工業時代にふさわしくこじんまりとまとまった王国ではなく、たくさんの王国を統合した規模の、大都市を中心とした国家だった。もちろん強大な軍備を備えた国家だ。その国家を支えるために国民を一つにまとめるイデオロギーが欲しい。そこで生まれてきたのが、ナショナリズムさ。我らが国は国民に支えられた国民国家だと、それらの国々では国民意識がもりあげられた」「・・・ナショナリズムは国家主義だったんだ。この訳語がふさわしかった」と指摘されています(108ページ)。

日本の場合も、「明治維新は国民国家をつくろうとする動きだった。それまで殿様のためになら命を投げ出す、というモラルを持っていた人間に、別のものに命を投げ出させるようにしなければならない・・・そこで、古代王国のイメージが復活してくるのさ。新しい統一の象徴として。天皇家は新国家の神話には格好の材料だった。ナショナリズムはまず国家のイメージから始まるんですね。そして国家にふさわしい国民のイメージが求められる。それが民族というフィクションだ。日本は数多くの部族からなっていたのではなく、日本人という単一民族としてまとまっていたというフィクション・・・」(111ページ)が作り出されたようです。

また同書では、国民とか市民などと呼ばないで「民族」というフィクションがなぜ必要なのかという問いに対して、「国は人の生命さえ犠牲として要求する、いわば宗教なのだよ。ことに民族独立のために戦争が控えている場合にはね。宗教が天国といううそを必要していたように、あるいは御利益(ごりやく)というあいまいな約束を必要としていたように、民族という不死の集団のフィクションには「独立」あるいは「民族独立」という天国の約束が必要になる」(115ページ)と回答されています。

日本人は混血人種

日本人は、他民族とは独立した民族であるというのはフィクションであり、混血人種であることが、最近の分子生物学の研究ではっきりと示されました。『DNA人類進化学』(岩波科学ライブラリー 52)の著者である、国立遺伝学研究所人類遺伝研究部門助教授、総合研究大学院遺伝学専攻助教授の宝来聡博士は、細胞質中にあり、エネルギー産生や呼吸代謝の役目を持つ小器官であるミトコンドリアのDNAのDループという部分の分析から、このことを明らかにしました。

(脱線)本題とは関係ありませんが、これだけの大発見をされた1946年生まれの研究者が助教授にとどまっているというのは、おかしい気がします。「教育勅語には非常に悪いところもあったし、とてもいいところもあったはずで、全部だめだったというのはよくない」とか「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく」などと発言してはばからない人が首相になっている国では、こんな発見をした研究者は冷遇されるのではないかと勘ぐりたくもなります。

同書では「日本の3集団(本土日本人、琉球人、アイヌ)〔引用者注:本土日本人は静岡在住の日本人、琉球人は沖縄在住の日本人、アイヌは北海道在住のアイヌ民族のことで、すべて日本国籍を持つ日本人です〕と韓国人、中国人からなる293人の東アジア人における、ミトコンドリアDNAの塩基配列(引用者注:DNA には、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基の配列によって遺伝情報が書かれている)の詳細な分析を通して・・・・・現在の日本人がどのように形成されてきたかを考察してきた。・・・本土日本人は、縄文人という日本先住民の子孫と考えられるアイヌや琉球人と、ある程度遺伝的に近い関係にあるものの、本土日本人における遺伝子プール(引用者注:サンプル)の大部分は、弥生時代以後のアジア大陸からの渡来人に由来するものであった。したがってこの結果は、現代日本人の起源について混血説を支持するものである。アイヌと琉球人は互いにある程度の遺伝的近縁性はあるが、弥生期の移住が始まったころには、別々の集団として存在していたと考えられる」(116ページ)と結論付けられています。宝来氏は、「数値のみが一人歩きしないことを望みたい」と断り書きを加えられているものの、「本土日本人において、弥生時代以降に渡来人によってもたらさられたミトコンドリアDNAの割合(混血率)・・・は65%となった」と指摘されています(109ページ)。本土日本人と最も近い集団は韓国人で、両集団の遺伝距離(引用者注:二つの集団間の塩基配列の統計的な差の尺度)は0と最小で、アイヌ、琉球人などとの遺伝距離よりも小さいことが判明したそうです(114ページ)。

いまほど「民族」が露骨に利用されている時代はない

共産主義体制の崩壊によって冷戦が終結したあと、旧ソ連や東欧をはじめ、多数の地域で、これまで冷戦構造の下で黙殺されてきた民族紛争が噴出しています。『民族の世界地図』では、「いまほど「民族」が、「イデオロギー」にかわる道具として露骨な陣取り合戦や政治的駆け引きのために利用されている時代はない。・・・今日もなお、新たな紛争の火の手があがり続ける民族問題解決のマニュアルは、いまだその表紙すらみえてこない」(14ページ)とも指摘されています。

さらに、「日本人はたまたま、他民族との交流が限られた島国で、古来から意図せずに国民国家を形成し、ネーション(引用者注:国家、国民)とエトノス(引用者注:ethnos、種族、民族、ethnic group)がほぼ重なり合うという特殊な環境にある。日本人イコール日本語を話す日本民族で、日本という国民国家は単一民族国家であるという虚構が、何となく受け入れられているこの国の大多数の住民にとって、民族紛争がどうしても対岸の火事としてしか理解できないのは、無理からぬことかもしれない」(17ページ)とも指摘されています。

ちょうど60年前の1940年10月9日午後6時半に、激しい空襲の中でリバプールに生まれた、ジョン・レノンが、「イマジン」という曲で示した理想世界は当分実現しそうにありませんが、自分たちを冷静に評価して、戦前のような盲目的な国家主義に走ることのないように、監視していく必要があるのではないでしょうか。

Imagine there's no heaven.
It's easy if you try.
No hell below us ,
above us only sky.
Imagine all the people
living for today

Imagine there's no countries.
It isn't hard to do.
Nothing to kill or die for
and no religion too.
Imagine all the people
living life in peace

You may say I'm a dreamer.
But I'm not the only one.
I hope someday you'll join us
and the world will be as one

Imagine no possessions,
I wonder if we can .
No need for greed or hunger,
a brotherhood of man
Imagine all the people
sharing all the world

You may say I'm a dreamer.
But I'm not the only one.
I hope someday you'll join us
and the world will live as one
想像してごらん、天国なんてないと
簡単さ、その気になれば
ぼくらの下に地獄はなく
ぼくらの上には空だけ
想像してごらん、すべての人たちが
今日だけを生きていると

想像してごらん、国なんてないと
決してむずかしいことじゃない
殺したり、死んだりする理由はなく
そして宗教もない
想像してごらん、すべてのひとたちが
安らぎの中で暮らしていると

夢想家と呼ばれてもいい
でもぼくはひとりじゃない
いつか、きみも仲間になってくれるといいな
そして世界はひとつに

想像してごらん、財産なんてないと
きみにできるかな
欲や飢えを感じる必要もなく
だれもが兄弟
想像してごらん、すべての人たちが
この世界をわかちあっていると

夢想家と呼ばれてもいい
でもぼくはひとりじゃない
いつか、きみも仲間になってくれるといいな
そして世界はひとつに

イマジンの歌詞は、『Imagine, A Celebration of John Lennon, イマジン ジョンレノン・メモリアルブック』(ソニー・マガジンズ)から引用させていただきました。すばらしい翻訳は奥田祐士氏によるものです。

「さいたまスーパーアリーナ」に「ジョン・レノン・ミュージアム」が今日オープンしたそうですが、近いうちにぜひ行ってみたいと思っています(2000年10月9日)。

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