問題81(日本語)の答え・・・全体の半分以上を充てて説明されていたのは、(5)日本語クレオールタミル語説です。
この学説は、問題34 (日本語)で触れた『日本語練習帳』(岩波新書)の著者であり、『岩波古語辞典』の編者でもある、国語学者の大野晋氏が2000年5月に刊行した『日本語の形成』(岩波書店刊、以下では『形成』と略記します)などで唱えられた説です。
タミル語は、南インドやスリランカ北部(スリランカの反政府勢力、「タミル人武装組織」はニュースでおなじみだと思います)の5、000万人によって話されている言語です。タミル語最古の文学は「サンガム」(Cankam)で、この詩集には、B.C.
200年ころからA.D.200年ころまでの2400首の詩が集められているそうです。これに対して、日本語の最古の文学とされている、「古事記」が完成したのは、西暦712年とされているそうですので、タミル語は日本語よりもはるかに長い歴史を持っているようです。
同じ著者による、『日本語の起源、新版』(大野晋著、岩波新書、216―217ページ、以下では『起源』と略記します)によれば、縄文時代までの日本人は、選択肢(4)で触れたオーストロネシア語族の一つであるポリネシア語族に近い音韻組織を持っていた何らかの言語(基層言語)を使っていたようですが、縄文時代末期に、タミル人の来訪などのために、タミル語が重なった(クレオール語が形成された)と考えられるようです。さらに、驚くべきことに、(A)日本人固有の心情を表現するために、日本独自のものと考えられてきた「大和言葉」(ヤマトコトバ)の多くがタミル語起源と考えられ、(B)いくつかの日本の風習(1月15日の「どんど焼き」など)とほとんど同じ風習がタミル地方にも現存しているようです。
Wikipediaの「日本語の起源」の項では、この説に対しては、賛否両論があり、いまだに解決を見ていないとされていますが、解説全体の半分以上がこの説の説明に充てられていることからも分かる通り、最も有力な説という印象をわたしは受けました。ただ、大野氏がこの説の出発点となる研究を1981年に『日本語とタミル語』(新潮社刊)に公表して以来、ほとんどの言語学専門家はこの説を黙殺してきたようです。この点について、Wikipediaの解説では、(大野説の最大の欠点は比較言語学の正統的方法に従っていない点であるという批判について)「この点、大野説批判は、言語学者などによる「新説に対する強い排他的動機」が働いているという印象も拭えない」と指摘しています。
2022年6月22日追記:この説に対する日本の言語学者の拒絶反応は非常に深刻なものであることの一例を 「房江さんの「日本語クレオールタミル語説」についての否定的なコメントを削除するに至った理由」にご紹介しました。
五つの根拠
日本語がクレオールタミル語であるという大野氏の説の根拠が、『起源』(214-215ページ)に載っていましたのでご紹介します。
①すべての音素にわたって音韻の対応がある。
②対応する単語が基礎語を中心に500語近くある(『起源』の巻末の「日本語とタミル語の対応語一覧」にはこのうち約300語が掲載されています)。
③文法上ともに膠着語(こうちゃくご、比較言語学上の動詞の活用の仕方による言語分類法で、動詞がまったく活用しない「孤立語」〔中国語など〕、動詞が活用する「屈折語」〔すべてのヨーロッパ言語〕、動詞が活用し、さらに他の品詞がその後に付け足される(膠着していく)言語〔日本語、朝鮮語、東アジアに多い〕の三つに分類されている、詳しくは、孤立語・屈折語・膠着語というページをご参照ください)に属し、構造的に共通である。
④基本的な助詞、助動詞が音韻と用法の上で対応する〔係り結びも一部共通である。〕
⑤歌の五七五七七の韻律が共通に見出される。
以下、『起源』と『形成』に基づいてこれらの理由のうち、①と②をご説明します。③以下については、長くなるため、ご自分で『起源』でご確認いただくようお願いいたします。最後に、この説についてのわたしの考えを追加させていただきました。
①すべての音素にわたって音韻の対応がある。
古代タミル語の単語の音素(最小の音の単位)と日本語(正確には8世紀ころの「古代日本語」)の音素には対応関係があり、タミル語の単語の音素を一定の法則に基づいて変換すると同じ意味の日本語(日本語の古語、方言も含まれます)になるケース(厳密に言えば、最初の3音素だけが対応している場合も含める)が500例近くもあることを大野氏は発見しました。
古代タミル語の母音は、日本語のア、イ、ウ、エ、オに対応する短母音のa, i, u ,e, oと、それぞれの上にバーが付いた長母音、ā, ī,
ū, ē, ō(発音は、それぞれアー、イー、ウー、エー、オー)の合計10個あり、区別されていたそうです。例えば、"kal"は「石」という意味になるのに対して、"kāl"は「脚」という意味だそうです(『形成』の13ページ)。大野氏が古代タミル語との対応を考えている古代日本語の母音にはa,
i, u, e, oのほかに、三つの母音の上に二つの点を付けて表記されている ö, ё, ï という三つの母音があったことが分かっているそうです。ただし、9世紀には、これら三つの母音は、それぞれ、二つの点の付いてない母音と合流したため、母音の数は五つに減ったそうです(『形成』の9ページ)。『起源』巻末の「日本語とタミル語の対応語一覧」の1―3ページに載っていた対応表を下にコピーさせていただきました。
(a)母音の対応
タミル語の母音 | 日本語の母音 |
---|---|
a, ā | a(特別の場合、öになることもある) |
i, ī | i |
u, ū | u |
u, ū | ö |
e, ē | i(特別の場合、e になることもある) |
o, ō | a(特別の場合、 o になることもある) |
タミル語でも日本語でも、単語の最初に表れる子音(第一子音)と2番目以降に表れる子音(第二子音)とは異なる性質を持つため、区別して扱う必要があるようです。
(b)第一子音の対応
タミル語の第一子音 | 日本語の第一子音 |
---|---|
k | k |
c | s |
t | t |
ñ,n | n |
p, v | F |
m | m |
y | y |
v, p | w |
上記の第一子音は、第二子音にも同じように使われるそうです。
(c)第二子音の対応
タミル語の第二子音 | 日本語の第一子音 |
---|---|
ńk | ng |
ñc, cc | nz |
nt, ņţ | nd |
mp, v, vv | mb |
ţ | t |
ņ, n | n |
r, l, r, ļ, r, | r |
ここで、ńk, mp, nt, ņţ, ñc,は 「鼻音+子音」の組み合わせ(鼻音の子音複合, nasal culsters)を表します。『形成』には、このほかnr(日本語の対応はd)を加えて6種類の例が挙げられていました(53ページ)。一番下の行の3番目の文字、r (イタリック体のr)は、原典のrの下に点が二つ(・・)付いた文字を表します(私のパソコンにその文字が入っていないため)。
(d)特別な対応
タミル語の第二子音 | 日本語の第一子音 |
---|---|
頭子音ゼロ | s |
頭子音 c- | ゼロ |
t-, -ţ-, -ţţ- | s |
e, ē, a, ā | ya |
一つの単語の音素が、別の言語では、別の音素に対応するという例は、多くの言語で認められるようです。
例えば下の例Aは、英語のdがドイツ語のtに、例Bは、英語のthがドイツ語のdに対応していることを示しています(ともに『起源』10ページからコピーさせていただきました)。
例A :英語のdがドイツ語のtに対応することを示す例 |
例B 英語のthがドイツ語のdに対応することを示す例 |
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|
日本語の方言でも、このような関係が成立している例があります。下の表に示したように、東京の方言(標準語)のhは、宮古島方言のpに対応しているようです。しかも、宮古島の方言とタミル語の発音は非常に近い場合があるように感じます。
日本語 | タミル語 | |
---|---|---|
東京 | 宮古島 | |
ha(歯) | pā | pal |
hat-a(旗) | pat-a | paţ-am |
hat-ake(畑) | pat-āki | paţ-ukar |
hat-e(果て) | pat-i | paţ-u |
hats-u(初) | pats-u | paţ-u |
haba(幅) | pab-a | pamp-al |
har-e(晴れ) | par-a | par-al |
har-u(貼る) | par-u | parr-u |
hak-a(墓) | pak-a | pokk-aņai |
hits-u(櫃)良い | pits-u | peţţ-i |
hun-e(舟) | pun-i | puņ-ai |
標準語ではすでに使わなくなった言い方が、方言には残っている場合があることは、言語学ではよく知られています。例えば、英語の場合でも、イングランドの17世紀の発音のうち、標準的ブリティッシュ・イングリッシュ(容認英語)では使わなくなった発音が、現代の南部アイルランド英語に残っているそうです(『世界の英語小辞典』石黒昭博編、研究社出版刊、29ページ)。そのため、宮古島の発音は、大昔の日本語の発音が残っている可能性があるのではないかと思います。そうだとすれば、タミル語に近い、宮古島の方言は大野説を支援する有力な証拠と言えるのかもしれません。
②対応する単語が基礎語を中心に500語近くある(『形成』にはこれらすべて、『起源』の巻末の「日本語とタミル語の対応語一覧」にはこのうち約300語が掲載されています)。
大野氏が、あるタミル語の単語とある日本語の単語が「対応」していると言うのは、①両単語の最初の少なくとも三音素が上記の対応関係を持っていて、②二つの単語の意味が共通しているということを意味しているようです。『形成』には約480語が、『起源』の巻末の「日本語とタミル語の対応語一覧」には約300語がそれぞれ「対応語」として紹介されています。以下で、具体例をご紹介しますが、問題でご紹介したWikipediaの記事では、タミル語neriと日本語nori(漢字では、法、則、典、範、矩などと表記されます)という単語は、①規則、②方法、③宗旨、仏法、④曲がっていること、など六つの意味が共通している例を挙げていますが、この例は『形成』には含まれていませんでした。私の推測によれば、neriのeがnoriのoに変化するという対応は、上記の表には含まれてないためでないかと思います。ただ、この場合もタミル語では、「eの古形(引用者追記:古い発音)aからa/o対応した」〔これは田中孝顕著「日本語の起源」(きこ書房2004年刊)での説のようです〕ものと考えれば「対応する」という解釈も可能なようです。Wikipediaの記事には、「タミル語の多義語と日本語の多義語には、まるでそれが転写されたかのような合致が多く認められる」と指摘されています。
以下では『起源』の187―212ページに基づいて、対応するタミル語がある日本語のうち、ほとんどの人が日本固有の言葉と考えている、いわゆる「ヤマトコトバ」11語とそれぞれに対応するタミル語をご紹介します。
以下で挙げる、アメ、カミ、マツル、コフ、ハラフ、ホク、ウヤ、アガム、アガル、のほかに、イム(忌む)、ハカ(墓)もタミル語との対応が付いているため、「日本人の基本的宗教観念を表す語の大部分がタミル語と対応することが分かる。これらは漢語以前の日本人の世界把握の観念の表現であり、かつ漢語を受け入れた後も今日に伝わる宗教的意識である」と『起源』の201ページに書かれています。さらに、アハレ(あわれ)、ハジ、サビ、のような、最も日本的と考えられる単語や、スキ、ワルシのような、感情を表す基本単語がタミル語起源である可能性が高いことが分かります。
(a) 「アメ」(天、古形(引用者追記:古い言い方は「アマ」)--- 対応するタミル語は、am-a (am-ara 〔神の、天の〕、am-arar
〔天国の人々〕の語幹)
「アメ」は天上にあって神々のすむところのこと。天照大神(あまてらすおおみかみ、皇室の祖神で、日の神と仰がれていて、伊勢神宮の内宮にまつられている)や高天原(たかまがはら、日本神話での天上の国)にあり、凶暴な弟、素戔嗚尊〔すさのおのみこと〕の行いに怒って、天照大神がこもったため、天地が真っ暗になったとされる洞穴は「天の岩屋戸」(あまのいわやと)と呼ばれています。
「アメ」に対応するタミル語は、am-aですが、タミル語最古の文学「サンガム」(Cankam, B.C. 200 -- A.D. 400)にも次のような用例があるそうです。
「大きな力を持つ天国の人々(amararkku)に勝利を差し上げた黒い首の神(シバ神のこと)」
日本語の「アマ」、「アメ」に相当する観念は、問題の選択肢(1)でも触れたアルタイ語族にもあり、アルタイ語族に含まれるモンゴル語では、tenguri(天)と呼ばれているそうです。日本語の「アマ」、「アメ」とモンゴル語のtenguriでは、ともに建国、国家の形成、統治などと結びついているそうですが、タミル語ではこのような関係はないため、日本語の「アマ」、「アメ」の意味のうち、この部分については、アルタイ語族の影響ではないかという見方を大野氏は『形成』(522ページ)に示されています。
また同じページには、次のようにも指摘されていました。「また、am-ara、am-arar という単語はa-marと分析され、aは否定詞、marは「死」を意味するインド・ヨーロッパ語で、英語に訳せば im-mortal
となり、不死を意味する」
(b) 「カミ」(神)--- 対応するタミル語は、kōm-ān (①超能力を持つ恐るべき存在、シバ神、ヴィシュヌ神など、②王として統治するもの)
次のようなタミル語の用例が挙げられていました。
「天国のシバ神(kōm-ān)よ、眠らずに起きていてください」(出典は、Tiruppavai. 17。10世紀の女流詩人で聖人でもあるAndalが、歌ったとされる30首を集めた詩集。日本の正月に当たり、12月中旬に始まり、1月中旬に終わる、"Margazhi"の1カ月の各日は、Tiruppavaiの30首のどれかの名前が付けられているそうです。WikipediaのThiruppavaiの項)。
日本語の「神」の語源について、「神は上(かみ)にいる存在である」ため神というようになったという説もあるそうですが、「この二つのカミの「ミ」は、8世紀ころの日本語では、異なる音として、厳密に使い分けられていた可能性が高いため、簡単には受け入れられないと大野氏は指摘されています(『起源』の191ページ)。
日本語のカミの古形は、kam-uと考えられ、この言葉は次の五つの意味を持つと考えられるそうです。①雷、②恐るべき猛威を持つ存在、鬼、虎、狐など、③山や坂、川、海、道などを領有し支配して、通行する人間に時には禁止の命令を出したりする恐ろしい存在、④天皇、⑤、「社(やしろ)」に祭られていて、人間の動きを見抜く超能力を備えた存在。このため、kam-uは、人間に猛威をふるう恐ろしい存在という意味が中心になっているようです。kam-uとタミル語のkōm-ānの意味はほぼ重なるようです。日本の現代語の「神」のように、人を助けてくれることもある超越的存在を意味するようになったのは、カミホトケなどと言う言葉に代表されるように、仏教のホトケとの融合のためだそうです(『起源』の193ページ)。
(c) 「マツル」(祭る)--- 対応するタミル語は、maţ-u (①食べさせる、のませる)
タミル語 maţ-u の語根、maţ-を名詞化するために接尾語 -aiを付けて、maţ-aiとすると「神に捧げる食物」という意味になるそうです。
「神への捧げ物(maţ-ai)として沸かす牛乳」(Kali. 109)
という表現が、「サンガム」(Kali. 109)にあるそうです。日本の「祭り」も神に捧げ物をして気分をよくしてもらい、多くの恵みを得ることを願うため、maţ-uは日本語の祭るにほぼ対応するようです。
(d) 「コフ」(乞ふ)--- 対応するタミル語は、kūpp-u (①神への礼拝のときなど手を合わせる)
日本語の古語、「乞ふ」は、「神仏、主君、親、夫などに対して、人、臣下、子、妻などが祈り、または願って、何かを求める」という意味だそうです(『岩波古語辞典』、現代語では普通、「請う」と表記し、「許しを請う」などと言う)。「サンガム」には、
「柔らかい指を合わせて祈って(kūpp-u)、家に住む神様に食物を差し上げよう」(Akam. 282)
という用例があるそうです。
(e) 「ハラフ」(祓う)--- 対応するタミル語は、paravu (①礼拝する、あがめうやまうこと)
結婚式や、新築工事を始める前に行われる、「建前」(または、「むねあげ」、「上棟式」など)と言われる儀式の際に、神主が、白い和紙の束(「紙垂」〔「しで」と読むようです〕)が棒の先に付いた「はたき」(ちりはらい)のような道具(「大幣」〔おおぬさ〕と呼ばれるそうです)を振り回して祈ることを「お祓(はら)い」と言いますが、その意味は、神に祈って、罪・けがれ・災いなどを取り除くことだそうです(広辞苑)。タミル語のparavuは、罪を犯したり、間違いをしたときにそれを取り去る、捨て去るための行事を指すそうです。「サンガム」には次のような用例があります。
「悩むな我らの心よ、我々は礼拝し、我々は戦い・・・・・家族とともにお祓い(paravu)をします」(Pari. 2: 74)
タミル語のparavuの語根、par は、「大きくなること」を意味しており、上の(b)第一子音の対応の表に示されているように、par に対応する日本語は
far-(現代語ではhar-)となり、立体的に大きくなる「張る、腫れる」、平面的に広々としたことを意味する、「原」、「遙(はる)か」、広がって拡散してしまうことを意味する、花が散るときなどを形容する副詞の「はらはら」、雲が拡散、消失した状態である「晴れ」は、みなタミル語の「par-」から派生していると考えられるそうです(『起源』の40―41ページ)。
(f) 「ウヤ」(敬)、「ウヤマウ」(敬う)--- 対応するタミル語は、uy-ar (①高い)、uy-arttu(①高くする、②尊敬する)
ウヤは、漢字では「礼」、「敬」と書く古語です。次のような用例が「サンガム」にあるそうです。
「その大きな鼻を人々が敬う(uyartta)象」(Tirumuruku. 158)。
(g) 「アガム」(崇む)、「アガル」(上がる)--- 対応するタミル語は、ōñku (①高い、②上にあがる、③尊いとされる、④吐く、⑤死ぬ)
日本語の「上がる」は、上にあがるという意味以外に、「あげる」と言えば「吐く」、「魚があがる」と言えば「死ぬ」という意味になりますが、タミル語の
ōñku にもこの三つの意味があるそうです。「サンガム」の用例としては、
「尊敬( ōñku )の態度を大きく示す護衛」(Mullaippa. 53)
が『起源』の200ページに挙げられていました。
(h) 「アハレ」(哀れ)--- 対応するタミル語は、avalam (①苦悩、苦痛、②貧乏、窮乏、③泣くこと、悲しむこと、④心配、⑤欠点、⑥病気、⑦(詩語)悲哀の情、(古典では)、自分自身についての悲哀の情と、他人についての悲哀の情、つまり「共感」があるとされているそうです)
アハレは現代語では「あわれ」と表記し、気の毒、かわいそう、悲しい、みじめな状況を表す形容詞ですが、「平安時代の文学の作品に表現された最も基本的かつ、代表的な情意はアハレ、あるいはモノノアハレであると言えよう。アハレは単に平安時代の宮廷文学における情趣〔しみじみとした味わい、おもむき〕であるだけでなく、それ以後、近代日本文学以前の日本の文学全般を覆う情意〔感情と意志、こころもち〕である」・・・「アハレは万葉集の中でもすでに路傍(ろぼう、道ばた)の死人を見て「旅に臥(こや)せる〔横たわっていることを尊敬、親愛をこめて表す言葉〕この旅人あはれ」(万葉集415)と歌っており、悲しさを表現している・・・・アハレは悲哀を中心にして相手に対する共感を示し、時には愛情そのものをいうだけでなく、「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮」(新古今和歌集、西行法師の歌、 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/html2/plaza0211.html というサイトに[出典 日経新聞 2002.10.6]として現代語訳が載っていました、「ものに動かされる心を捨てた出家の身にも、あわれをおぼえさせられる、鴫 (「個人的博物館」という素晴らしいサイト〔 http://www.pmnh.org/ja/birds/f_sandpipers.html
〕に写真が載っていました)の飛び立つ沢の、この秋の夕暮れ」)という歌などでは、しみじみとした情趣を表している。アハレは平安時代以後今日まで、悲哀、共感、愛情、情趣などの意で使われている言葉」だそうです(『起源』の201―202ページ)。
サンガムにみられるタミル語の用例としては、自分のことについて悲しみを表す例には、
「自分の悲しみ(avalam)を消し去るような薬は何もない」(Nar. 140)
他人の悲しみや嘆きをみて、それに共感して生じる悲しみ、あるいは哀れみを表す例には、
「愛がなくて、あなたが旅に出るならば、私は耐えることができないでしょう、この少女の哀れさ(avalam)に」(Nar.37:7)
があるそうです。「日本語 aFar-e とタミル語のaval-amとは、はじめの4音素が正確に対応し、意味も基本において共通である」と『起源』の203ページにに指摘されています。
(i) 「スキ」(好き)--- 対応するタミル語は、cuki (①性的快楽に耽(ふけ)る、②健康な、③繁栄している、財力のある)
スキという単語は、現代語では、男女関係以外についても使われますが、平安時代の文学では、男が女のひかれて動く情意、あるいはその情意にもとづく行為という、二つの意味に使われていたそうです。当時、スキモノと言えば、女にひかれて、あちこちに関係する女を多く持つ男のことを指していたそうですが、これは現代語の意味と同じようです。ただ、鎌倉時代になると、スキモノは、「趣味、芸道にひたる人」に傾き、室町時代になると、スキは「数寄」と書かれて、「茶の湯の道」を意味するようになったそうです。
タミル語のcuki の「性的快楽に耽る」という意味は、平安時代以後の日本語とも重なるようですが、タミル語の cuki は、「健康、幸福、賑わっている」という背景があるのに対して、日本語のスキがこの意味で使われるときには、社会的によくないことと見られる傾向があるそうです。タミル語の用例としては、19世紀のヨーガの本に、次のような例があるそうです。
「2人の扇使いに扇(あお)がせながら、王様は抱擁し快楽(cukippam)に耽った」(Nanava:Lilai.22)
(j) 「サビ」(寂)--- 対応するタミル語は、cāmpu (①しぼむ、②枯れる、③うなだれる、④衰退する、⑤やせ衰える)
サビは、古びて趣(おもむき)があること、閑寂な(かんじゃくな、物静かな)趣のことですが、サブシ(寂し)という形容詞(後にサビシの形になる)や、サブという動詞から変化したと考えられるそうです。「サブとは、「荒涼たるさまのなる」とか、「古びて行く」というのが古い意味で、およそ繁茂とか賑やかという観念とは反対を指す」と『起源』の207―208ページに指摘されています。サンガムには、次の用例があるそうです。
「花の寂れた(cāmpu)畑」(Pattina. 12)
(k) 「ハヂ」(恥)--- 対応するタミル語は、vaņţu (①卑しい行為)
日本文化は「恥の文化である」という説を1946年にルース・ベネディクトが『菊と刀』で提示しましたが、武士が最も大切にしたものは、恥をかいたり、辱めを受けたりせずに、名誉を保つことであったようです。タミル語の、vaņţu
もほぼ同じ意味のようです。恥の古い発音は、fad-i でしたが、これは vaņţu に正確に対応するようです(タミル語のvが日本語のfに、aはaに、ņţ
が nd、後にdに、対応)。タミル語の語根のvaņţ- は「汚い沈殿物、滓、泥」を意味し、これが人間の行為についていわれるとき、vaņţu となるそうです。タミル語の用例としては、シバ神の賛歌(7世紀)に次の表現があるそうです。
「汚い人物(vaņţal)の三つの城壁を壊すために弓を射た立派な人物」
(l) 「ワルシ」(悪し)--- 対応するタミル語は、varu (①過失、②失敗、③短所、④罪悪)
varu とwaru は発音意味ともに、ほぼ正確に対応しているようです。3世紀の仏教的叙事詩に次のような文例があるそうです。
「間違い( varu)はしない神」
なぜこの説が黙殺されてきたか
これだけ多くの証拠がありながら、なぜこの説が黙殺されてきたかというと、安部晋三首相のような、愛国主義者、民族主義者、国粋主義者、さらに、その影響を受けた、愛国主義的な国語学者たちにとって、この説は受け入れ難いものであるためだと思います。これら愛国主義者が「美しい国、日本」について一番誇りにしている、日本文化の核心部分(神道、わび、さびの精神など)が実は、インドからの導入文化であったとすれば、日本文化は、ユーラシア大陸の辺境の一文化に過ぎないということを認めざるを得なくなるでしょう。さらに、狂信的な愛国主義者が引き起こした戦争で、あれほど悲惨な目に遭ったにもかかわらず、愛国主義的集団ヒステリー状態が、依然として続いているのが不思議です。
日本は「美しい国」、特別な国だというような意識は、ナチスドイツが、アーリア民族(ドイツの白人)が最高の民族であると主張していたのに近いと思います。このような考えの行き着く先は戦争であるのは、歴史が示すところです。実際、安部晋三首相をはじめとするこれら愛国主義者は戦前の軍国思想と徴兵制の復活をもくろみ、国民を悲惨な戦争に駆り立てようとしているようです。日本は、自分で自分のことを美しいなどとうそぶくのはやめにして、アジア、アフリカのほかの国とあまり違わない、民主化してからまだ62年しか経っていない途上国だと思って再出発しない限り、世界の流れからますます取り残されていくことになるのではないでしょうか(2007年7月19日)。
(2009年7月4日追記)集団遺伝学の最新の研究によれば、日本人の祖先は南インドから海路で渡ってきたようです。これは、大野晋氏の日本語クレオールタミル語説を強く支持するものではないかと思います。詳しくは、問題85(集団遺伝学)をご参照ください。
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