米国社会のタブー

会社の同僚の米国人の話から、近代合理主義が支配原理となっているかと思われている米国社会も、キリスト教に関しては、タブー(触れたり口に出したりしてはならないとされる物・事柄)が存在するらしいという印象を受けました。

その同僚は米国の大学で、文化人類学の有名な教授の授業を受けたことがあるそうです。その時、人類起源神話が話題に上り、説明のために、原始民族の持っている奇想天外な人類起源神話の例がいろいろと挙げられたそうです。

その中には、日本書紀の話も出てきたそうですが、具体的な内容は忘れました。世界大百科事典によれば、例えば、ヒンドゥー教では、神々がプルシャ(原人)の体を切り分けたときに、その口からバラモン(司祭)、両腕からクシャトリヤ(政治家や戦士)、両腿(もも)からバイシャ(農民、商人)、両足からシュードラ(手工業者、奴隷)が生み出されたとされており、人類は出現当初から4バルナ(階級)に区分けされていたと考えられているそうです。

学生達は、いろいろな話が出るたびに、面白がって大騒ぎしたそうです。しかし、最後に教授が、キリスト教では「アダムの肋骨(ろっこつ)からイブがつくられた」という聖書神話の話をすると、教室は静まり返ってしまったそうです。西欧合理主義とは相いれない、このような神話でも、キリスト教の教えであれば、面白がれるほど、客観的に評価できなくなっているのかも知れません。仏教、神道、無神論がごちゃ混ぜになっている日本人から考えるとちょっと意外な行動と考えられるのではないでしょうか。

米国では、建国以来政教分離の原則が確立し、信教の自由が憲法によって保障されているはずです。しかし、米国の裁判では、証言の前に証人は、神または神聖なものの前で宣誓(oath)する必要があり、大統領就任のときもキリスト教に基づく宗教的宣誓や祈りなどを行うことになっており、国家と結びつく宗教的慣行が多い点が、問題になることもあるようです。このようなこともあって、米国は実質的にはキリスト教国に近いと考えられます。

キリスト教が根深く浸透していることと関連して、無神論者や仏教徒などの異教徒に対する見方も、かなり偏ったものがあるようです。例えば、同じ同僚についての話ですが、一緒に仏教系の新興宗教の大きな伽藍(がらん)のような建物の前を通った時に、その同僚は、こんなものはアメリカにはないと言いました。新興宗教の本部という意味で言えば、ボストンにはクリスチャン・サイエンスの巨大な本部があり、ソルトレークシティーには、やはり巨大なモルモン教の本部があります。彼にとって、キリスト教系の新興宗教と仏教系や神道系の新興宗教は、全く違うという意識があるようです。キリスト教系以外の新興宗教に対しては、異端とか邪教というような意識が持たれているのではないかと感じました。

アメリカのような、政教分離の原則が確立したとされている国でさえ、キリスト教以外の宗教に対する見方が、かなり偏っているとすれば、一つの宗教によって国家が統治されているような国の国民が、ほかの宗教を信じる人々を見る目というのは、非常に偏ったものになると想像できます。

世界中で頻発している、民族紛争の多くは、宗教的対立が背景になっているようですが、宗教というものが関与すると、問題の解決が難しくなることが、この例からも分かるのではないでしょうか(99年4月6日)。 

2011年12月11日追記:宗教については、問題58(宗教)問題82(宗教)もご参照ください。

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