サンクトペテルブルク見聞記・・・治安が非常に悪いようです

前に勤めていた会社の先輩で、現在ロンドンにお住まいの蓮見様が、「St. Petersburg(サンクトペテルブルク)見聞記」というメールを送ってくださいましたので、ご本人のご了承を得て、ご紹介させていただきます。


皆様へ

4泊5日のロシアの St. Petersburg見聞記です。
 
歴史
 
ロマノフ王朝が1703年にフィンランド湾の沼沢地に新都建設を開始。2003年5月27日は300年祭です。
 
Petrograd(ペトログラード), Leningrad(レニングラード), 1991年からドイツ語のSt. Petersburgと3度名前を変えました。1917年10月の共産革命はここで始まりました。日露戦争時のバルチック艦隊はここから出航しました。
 
過去の遺産
 
Hermitage Museum(エルミタージュ美術館)では名画をじっくり鑑賞、至福(bliss)の時を過ごしました。特に感動したのはダビンチの「The Madonna Litta (1490-91、下の絵)」です。 モナリザより優れた作品と思います。

 
(ここで、小倉がちょっと口を挟ませていただくと、私は、同じくエルミタージュにある、ラファエルの「コネスタビルのマドンナ(The Conestabile Madonna、下の絵)」の方が好きです。)


フランス印象派では、Renoir(ルノワール)の描いた白いドレスを着た「Jeanne Samary(下の絵)」が圧巻。Monet(モネ)のThe Waterloo Bridge (Effect of the Mist) が気に入りました。

 
オランダのRembrandt(レンブラント)はもちろん、Danae(1636)(「ダナエ」、すぐ下の絵)と The Return of the Prodigal Son(1668-69)(「放蕩(ほうとう)息子の帰還」)。


(下の「放蕩息子の帰還」は白黒写真で、元の絵には色があります)
 
西へ30km、夏の宮殿Peterhofは海岸に面し、東西2kmの森の中にあります。噴水の芸術です。 
 
Hermitage Theaterでの Swan Lake (バレー、白鳥の湖)もすばらしいの一語に尽きます。
 
ロシア社会の実態
 
だが治安の悪さが問題です。帰りのフライトで隣合わせの英国人夫婦は、スリ・グループに囲まれ、カード、パスポート、現金を強奪されました。警察署には被害者が何人もいたとのこと。幸い私は無事。"You are lucky. You are a rare exception"(あなたは幸運でしたね。あなたは、ごくまれな例外です。)といわれました。私はカード、その日に使う以外の現金はホテルのsafety boxに預けました。これが1日3ドルの有料で宿泊客に有料とは初めての経験でした。
 
外人からはすべてぼったくりです。空港からホテルまで17km、予約しておいたハイヤーは50米ドル、帰りは知り合った日本人男性留学生に教えて貰ったメトロと市バスの乗り継ぎルートはたったの10ルーブル(40円)。 1ドル30ルーブルですから、1,500対10と150倍の差は狂っています。コンサート、バレーのチケットもホテルで買うと2-3倍は当たり前。
 
帰りの空港での手続きは行列で1時間かかりました。荷物検査に30分、チェックインまで20分、パスポート検査に10分の行列です。
 
結び

ロシア社会は中進国です。St. Petersburgの日本人の単独行動は危険です。団体旅行の方がはるかに安全です。

ここまでがメールのコピーです。

蓮見さん、貴重な見聞録ありがとうございました。幸か不幸か私はロシアにはぜんぜん行きたいと思わないのですが、このメールを拝見して、ますます行きたくなくなりました。ただ、エルミタージュ美術館に行きたいと思っている人は多いようですね。メールを拝見しますと、サンクトペテルブルクの治安は、非常に悪いようですね。蓮見さんのように、海外旅行経験の豊富な方だから、無事だったということではないでしょうか。知り合いのアメリカ人に聞くと、ロシアの都市はどこも似たり寄ったりだと言っていましたがどうなんでしょうか。

外務省の渡航情報(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/travel/index.html#iti)の中のロシア連邦の危険情報( http://61.117.201.21/info/info4.asp?id=178#danger )によれば、チェチェンなどの一部地域では4段階のうち3番目に危険度の高い(4段階の危険度情報については、最初のページの「渡航情報とは」というところに説明されています)「渡航の延期をおすすめします」とされていますが、これらを除いた地域については、4段階のうち一番危険度の低い(米国のように「危険情報」が出ていない場合もありますので、厳密に言えば、二番目に安全な)、「十分注意してください」という指針が提示されています。このため、ロシアの都市が危険なのは、サンクトペテルブルグに限ったことではないようです。さらに、「安全対策基礎」(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/travel/safety/s_178.html )というページに載っているロシアの都市犯罪の実例をみると、とてもわざわざ行ってみる気にはならないと思います。この記事によると、日本人がよく訪問する都市の中で、特に危険なのは、モスクワ、ウラジオストク、ユジノサハリンスク(サハリン州)とサンクトペテルブルクのようです。下にコピーした事例が本当だとすると、サンクトペテルブルグでは警官も信用できないようです。

『夜中1時頃、チョルナヤ・レーチカ近くで飲んでいた際、気分が悪くなったため、外で休んでいたところ、5〜6人の警官に職務質問され、そのまま警察署へ連行された。所持品の検査を受けた後、警官から戻された所持品を調べると財布から現金、クレジットカードが抜かれていた』

日本人は安全に対する認識が希薄で(「安全ぼけ」とでもいうんでしょうか)、とんでもなく危険なところに平気で観光旅行に行く人がいますが、自分の安全のためには、旅行会社のいいなりになるのではなく、渡航情報くらいには目を通すべきだと思います。

ロシアは中進国とおっしゃっていますが、91年のソビエト連邦崩壊までは、米国の最大のライバルだったのが嘘のようですね。やはり、経済ががたがただと、治安も悪化するのではないでしょうか。日本も経済が崩壊しつつあるため、最近では以前に比べて治安もかなり悪化している気がします。ロシアのようなことにならなければいいのですが(2002年9月7日)。

バルチック艦隊はリトアニアから出航したそうです

蓮見さんから、サンクトペテルブルクの歴史の説明の最後の部分についての訂正のメールを9月にいただきましたので、ご紹介させていただきます。

日露戦争のバルチック艦隊は正確には現在のリトアニアから出航したそうです。日英同盟によりスエズ運河が通れないので、CapeTown回りとなり、途中フランス植民地で補給したとのこと。

また無煙炭は英国が抑え、やむなく煙の出る石炭を焚いていたので、日本海軍の発見も早かった由。

ヘトヘトに疲れ果てたバルチック艦隊は、ウラジオストックに向けて最短距離を取り日本海に入るはず、との読みに東郷平八郎は国運を賭けました。明治維新から30数年の日本が、ロシアと互角に戦えたのは、優れた指揮官と運が味方してくれたおかげでした。

以上は歴史に詳しい同僚に教えてもらいました。英米の支援を得ていた明治時代の日本は、望ましい方向に歩んでいました。日本が破滅の道へ狂い始めたのは、日英同盟が切れてからです。


ケープタウン回りで、はるばる航海してきたのでは、日本に負けても当たり前という気がしますね。蓮見さん、貴重なお話をありがとうございました。また、面白いお話があれば教えてください。

手元にエルミタージュ美術館のガイドブックがありましたので、お話に出てきた絵のうち、載っていた分だけ写真も掲載しました(2002年12月6日)。

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