小澤征爾の「運命」は最高でしたが、その後が・・・

ウイーン国立歌劇場(「ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団」の母体でもある)の音楽監督をされている、世界的指揮者の小澤征爾(おざわ せいじ)氏が指揮するNHK交響楽団の演奏会の切符を、ある方のご厚意でいただきましたので、2005年10月26日に久しぶりにクラシックのコンサートに行ってきました。この演奏会は、「輝く日本人たち、それぞれの競演」といういかにもNHKらしい副題の付いた、「NHK音楽祭」の公演の一つで、ハイビジョンで実況中継されました。また、この公演は、主に小中学生を対象とした「こどものためのプログラム」の一つということで、多数の小中学生が聴きに来ていました。曲目は、ベートーベンの交響曲第5番ハ単調「運命」、ガーシュイン作曲の「ピアノ協奏曲へ調」、千住 明作曲の「日本交響詩(2005年)」の3曲でした。

小澤征爾氏が指揮する演奏を直接聴くのは初めてのことで、クラシック音楽には詳しくないので偉そうなことは言えませんが、「運命」の演奏はすばらしく、聴き飽きたと思っていたこの曲も、演奏のすみずみにまで注意が払われている気がして、眠くなることもなく、大いに楽しませていただきました。どうも「運命」は小澤氏の得意とするレパートリーのようで、「青春の小澤征爾」という小澤氏の若いころの演奏を集めたCD(会場のCD売り場に並んでいたのですが、買いそびれてしまいました)の最初の曲がやはり「運命」でした。当たり前かもしれませんが、小澤氏は、スコア(すべてのパートの楽譜を縦に並べた大きな楽譜)に目をやることがないにもかかわらず(舞台が遠すぎて、スコアがあるかどうかも分かりませんでした)、曲の流れの感じを的確に指示している気がして、指揮という行為が一つのショーのように感じました。

ショーと言えば、小澤氏の舞台への登場の仕方にも感心しました。クラシックのコンサートというと、指揮者は、オーケストラのチューニング(調弦)のあとに、もったいぶった感じで現れて、独特のやり方であいさつするのかと予想していたのですが、小澤氏は忍者のような低い姿勢で走るように登場し、最前列ではなく、第一バイオリンと第二バイオリンの間をぬうようにして、素早く指揮台にたどり着くと、コンサートマスターや、最前列のビオラ、チェロ奏者と次々と握手を交わし、聴衆に一礼したあと、指揮台に上り、いきなり、やはり低い姿勢で、ジャジャジャジャーンというおなじみの部分の指揮を始めました。ところが、3-4小節演奏したところで、指揮をやめて、(指揮棒は使われていなかったと思います)マイクを持ち、「これがおなじみの運命です」みたいなことを言ったため、大受けしました。これは、こどものための趣向のようで、そのあと、この曲について、(1)「運命交響曲」と呼んでいるのは、「運命はこのように戸をたたく」とべートーベンが弟子に言ったことがあるためですが、(2)この曲を「運命交響曲」と呼ぶのは、日本だけで、海外では通じない、(3)ジャジャジャジャーンという主題が、アレンジされて、何百回(回数を言われたような気もしますが忘れました)も繰り返され、(4)第3楽章と第4楽章は切れ目なく続けて演奏されるなどという、説明がありました。

わたしは、交響曲のような長い曲の演奏会では、一度は必ず眠くなるという「特技」があるため、一度も眠くならなかったのは驚きであると同時に、「世界のオザワ」のすごさを一部でも感じ取ることができたのではないかと、「自分で自分をほめてあげたい」気持ちになりました。ところが、これはわたしに限ったことではなく、すぐ前の席に座っていた小学校低学年の男の子も、オペラグラス(望遠鏡)を時々のぞきながら、身を乗り出すようにして、真剣に聴き続けていたのには、正直感心しました。 

でも、その後が・・・

この演奏会のお話をお聞きしたときには、2曲目はガーシュインの有名な「ラプソディー・イン・ブルー」とのことでしたが、その後同じ作曲家のあまり知られていない「ピアノ協奏曲」に変更されました。ところが、「ピアノ協奏曲」はオーケストラとマーカス・ロバーツ・トリオ(ピアノ:マーカス・ロバーツ、ベース:ローランド・ゲリン、ドラム:ジェイソン・マルサリス)というジャズトリオが共演し、アドリブ(即興演奏)も含まれているらしい、非常にしゃれた曲で、ジャズ・ファンには大受けすると思いますが、ジャズに親しんだことのない、大半の子供には、難しすぎる曲だと思いました。実際、前の席の小学生は、演奏が始まるとすぐに隣の父親によりかかって眠ってしまい、しばらくすると、手に持ったオペラグラスを、一段低くなっている、前の席の後ろに落としてしまいました。その小学生は、大きな音を出したため、はずかしそうに隣の父親を見上げたあと、かがみ込んで、オペラグラスを取ることができましたが、またすぐに眠ってしまいました。

最悪だったのは3曲目で、『日本交響詩(2005)』〔NHK放送80周年記念委嘱作品〕と大げさなタイトルである上に、「初演」とされていて、いかにも歴史的な演奏であるかのような印象を与えますが、この曲は単なる日本民謡のメドレー(種々の曲またはその一部を組み合わせた混成曲)でした。正確な演奏時間は忘れましたが、20―30分程度の演奏時間のうちに、断片が演奏された曲は、プログラムによれば、『故郷(ふるさと)』、『最上川舟歌』、『花笠音頭』、『佐渡おけさ』、『ソーラン節』、『五木(いつき)の子守歌』、『中国地方の子守歌』、『てぃんさぐの花』、『金比羅船々』、『阿波踊り』、『さくらさくら』と11曲に達しました。『音楽中事典』(音楽之友社)によれば、「交響詩とは、管弦楽によって詩的あるいは絵画的内容をあらわそうとするもので、表題音楽の一種・・・主題を詩的観念にしたがって自由に変容してゆく新しい形式の管弦楽曲」だそうです。これだけ多数の曲が次々と演奏されてしまうと、「主題を・・・自由に変容してゆく」という部分がほとんどなくなり、単なる編曲となっていたようで、もしこの曲が、交響詩なら、懐メロでも演歌でもメドレーにすれば交響詩になると思いました。「世界のオザワ」にこんなものを指揮させのは、失礼なのではないかと感じました。

おまけに、この曲の最後は、「さくらさくら」を「NHK東京児童合唱団」と観客が大合唱するという趣向となっていました。ところが、わたしの周りには、普通こういう場合には、合唱に加わるのではないかと思われるこどもたちも含めて、歌っているひとはほとんどいませんでした。そのため、近くに座っていたグリークラブ(合唱クラブ)出身らしいおじさんの声は響きわたっていましたが、観客の声を収録できるように、オーケストラは小さな音量で演奏していたこともあって、会場全体が静まり返っていたかのような印象をわたしは受けました。

NHKの真の狙い

この音楽会でのNHKの真の狙いは、小澤征爾氏のような「輝く日本人たち」の演奏によって、「輝く日本」を子供たちにすり込む(印象づける)ことであったのではないかと思います。2曲目を、あまり面白くない曲に変更したのも、唯一の日本関係の曲でありながら、あまりにもお粗末な3曲目を引き立てるためだったのではないかと勘ぐりたくもなります。それに、中年以上なら誰でも知っている「さくらさくら」という曲も、最近のこどもは知らないのではないかという気がしました。「やよいの空」「においぞいずる」「いざや いざや 見にゆかん」などと言われてもなんのことやら分からないのではないかと思います。戦前と同じ発想で、日本のすばらしさをこどもたちに教え込もうとしても、時代が変わっているために難しいということに気がついていないようです(2005年11月3日、文化の日)。

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