ダイヤモンドと消しゴムをいっしょに扱っている商店
街の商店は、販売している商品の価格が一定の範囲に収まっているという特徴があるようです。例えば、八百屋や文房具店で1万円以上や10円以下の商品を探すのは大変だと思います。八百屋や文房具店の場合には、「価格の開き」(一番高い商品の価格÷一番安い商品の価格)は1000倍(1万円÷10円=1000倍)以内になるようです。高額の商品を扱う宝石店の場合には、大体、1000万円から1000円くらいに収まるため、価格の開きは1万倍くらいとみられます。
これは、「価格の開き」が大きすぎると、混乱が生じるためではないかと思います。例えば、宝石店でダイヤモンドといっしょに消しゴムも売ったり、文房具店でダイヤモンドも売ったりすると、混乱が起きることは容易に想像できます。第一に、ダイヤモンドと消しゴムでは、対象とする顧客層が異なるため、学校帰りの小学生のグループと資産家の奥様が同じ店の中でひしめき合うというようなことになるでしょう。客層がばらけると、対応も変えなければならないため、営業の効率が下がることになります。商品の価格が一定の範囲に収まっていないと一番困るのが、取引で間違いを起しかねないことでしょう。消しゴムを買った小学生にダイヤモンドを渡して、ダイヤモンドを買った資産家の奥様に消しゴムセットを渡してしまったなどということが絶対に起こらないとも限りません。実は、こんな(ありそうもない)お話をしたのは、日本の株式市場は、ちょうどこんな混乱状態にあるのではないかと思うからです。
日本の株式市場の「価格の開き」は米国市場よりも1000倍以上大きい
たとえば、東京証券取引所の主要市場である市場第1部には、現在でも株価が100円以下の銘柄がある一方で、ヤフー(ジャパン)の株価は会社四季報によれば、最高で1億6,790万円になったこともあったようです。そのため、日本の株式市場での「価格の開き」は167万倍以上になります。お知り合いの経済学者の方のお話では、アメリカの株式市場では株価が100ドルを超えると「株式分割」によって株価を下げるのが通例になっているため、100ドルを大きく上回る株はないそうです。また、1ドルを大きく下回る株もあまりないそうです。そのため、アメリカの株式市場では「価格の開き」は1000倍は下回ると推定できます。こう考えると、日本の株式市場は、米国市場よりも「価格の開き」が1000倍以上(167万倍÷1000倍
= 1670倍)大きいことになります。
株式分割とは
上で触れた「株式分割」の仕組みのことをここで説明しておきましょう。「株式分割」とは、ある時点のすべての株主に対して、それぞれの持ち株数に一定の割合を掛けた株数を無料で新たに割り当てる(配る)ことです。例えば、「1対2の分割」と言えば、持ち株数と同じ株数を割り当てて、分割後の株数を2倍にすることを言います。「株式分割」が行われれば、新たに発行された株式の分だけ、会社が発行している株式数の合計(「発行済株式数」と言います)が増えるため、通常、株価はその分だけ下がります。例えば、「1対2の分割」の場合には、発行済株式数が2倍になるため、ほかの条件が同じなら、株価は半分になると考えられます。株式を新たに発行するにもかかわらず、「分割」と言うのは、受け取ることができる配当金や株主総会議決権の保有比率の合計は、分割前後で変化しませんが、株数が増えた分だけ、1株当たりでは、減ることになるためで、ちょうど株券の持つ権利を分割したのと同じ効果が得られるためです(1対2の分割の場合では、株数が2倍になり、通常、1株当たりの配当額は半分になります)。
ライブドアによる1対100の株式分割
粉飾決算で逮捕されたホリエモンは、この株式分割を株価をつり上げるために使ったようです。その手口は、通常では考えられないような大幅な分割をすることでした。例えばライブドアは2003年12月末割当で、1対100の分割を実施しました。この場合、株主に1株について99株が割り当てられるかわりに、ほかの条件が一定だったとしたら、株価は100分の1になるはずでした。ところが、実際に株券が発行されたのは、2月2日でしたので、この分割実施後1カ月間は、発行済株式数が100分の1になったのと同じ効果が生まれ、従来1株を保有していた株主は、対応する100株を売ろうとしても、99株はまだ発行されていないため、もともと持っていて、価値が100分の1になった株式、1株しか売れない状態になります。市場全体で、株式を売ろうとしても売れない状態を人為的に生み出したというわけです。さすがに、これは汚い手であるという認識が広まり、取引所も発行会社に対して、1対5を上回る倍率の分割は避けるように申し入れしました。
このような大幅な分割が可能となったのは、日本の株式市場の「価格の開き」が大きいためで、仮に米国市場のように、株価が100ドルから1ドルの範囲に収まっていたとしたら、100ドルの株価を分割して、市場で最も低い価格まで株価を下げて、わざわざ安値株(極端に価格が安い株は、倒産リスクが高い場合が多く、日本では「ぼろ株」、米国では「ペニー・ストック(Penny
Stock)」などと呼ばれています)にすることは、ほとんどあり得ないと思います。
誤発注事件
2005年12月8日に発生した、みずほ証券による、ジェイコム株の誤発注事件は、61万円で1株売却するという注文を、1円で61万株売却すると入力してしまったことによって発生したようです。これは、ダイヤモンドの例で言えば、ダイヤモンドを1個を60万円で売るという注文を、60万個のダイヤモンドを1粒1円で売ると入力したことになります。1円でダイヤモンドが売りに出れば、誰でも買おうとするのが当然だと思います。このような ばかげたミスが頻発(2001年に一度、最近でも、このほかに2度発生したようです)するのは、日本の株式市場の「価格の開き」が大きすぎることが一因になっていると思います。
アメリカのように、株価はおおむね100ドル以下で、取引単位は100株(ということは、取引金額の単位は1万ドル、約118万円以下)と決まっている場合には、株数と価格を間違っても、巨額の損失が発生する可能性は非常に小さいと思います。例えば、50ドルの株を200株売るつもりが、200ドルの株を50株売ると間違ったとしても、株価が極端に高いため、誤発注が疑われるだけでなく、売買株数が単位未満であるため、通常の取引としては入力できないことになると思います。ところが、日本市場の場合には、株価がどんなに高くても、安くても、また、売買単位も1000株のこともあれば、1株のこともあることから、注文株数が1株でも、それだけでは、誤入力と判断できないために、このよう誤発注事件が簡単に起こることになると思います。
「価格の開き」が大きくなったのは、81年の商法改正が原因
日本でも昔は、ほとんどの会社の株式には額面金額(資本金を発行済株式数で割った金額)が定められていて、ほとんどの場合、1株の額面金額は50円で、取引所の取引単位は1,000株でした。ところが、1981年の商法改正(施行は82年)で「単位株制度」(保有株数が1,000株未満の株主は株主総会に参加できないという制度)が導入された際に、新たに設立される株式会社の額面は、当時一般的だった50円の1,000倍の5万円以上と定められました。そのため、額面が50円の株と額面が5万円の株が同じ市場で売買されることになりました。どうもこの辺が、ボタンの掛け違いとなって、その後のいろいろな混乱の原因となったようです。
投資家にとっては、株価が安く、取引単位が小さい方が、取引しやすいにもかかわらず、わざわざ取引がしずらいように、法律を改正したのは、表向きは、総会屋対策とされています。「株主総会に出席して社長など経営陣に対して嫌がらせの発言をしたり、あるいは反対に「賛成!」「議事進行!」などと叫んで、会社側に協力する人たちを一般に総会屋と呼んでいる」そうです(『株主総会』奥村宏著、岩波新書、3ページ)。81年の商法改正以前は、多数の企業の株式を1株か2株ずつ持って、できるだけ多くの株主総会に出席して、カネをもらおうという総会屋が多数存在していたそうです。81年の商法改正では、罰則規定(「利益供与の禁止規定」)が設けられたこともあって、現在では総会屋の数は数百人程度まで減った(『Wikipedia』によれば、400人弱)ようです。
しかし、企業経営者と総会屋のつながりは、その後も後を絶たず、「1996年には、高島屋、そして97年には味の素が商法違反で摘発され、ともに社長が退任に追い込まれ、取締役や部長などが逮捕されている。このあと・・・野村証券、第一勧銀(合併して現在ではみずほフィナンシャルグループに統合されました)、山一証券(97年に倒産しました)、大和証券、日興証券(現在では、日興コーディアルグループ)、松坂屋、三菱自動車と続いたのだが、こうなると総会屋スキャンダルはもはや個別の会社の問題ではなく、日本財界全体の問題になる」(『株主総会』、4―5ページ)そうです。つまり、商法を改正しても、企業経営者と総会屋の密接なつながりはその後も続いていたことになります。
「1株株主運動」の阻止を狙ったと考えるのが自然
従って、81年の商法改正には別の狙いがあったと見るのが自然でしょう。この改正の狙いは、1960年代から70年代にかけて広がった「1株株主運動」の排除にあったようです。当時、公害に反対する市民団体が、公害の原因企業が責任を取ろうとせず、責任者との話し合いさえもできない状態を打開するために導入したのが、総会屋の動きからヒントを得た、「1株株主運動」でした。この運動は、公害反対運動をしている人たちが、責任企業の株式を1株ずつ買って、株主総会に出席して、会社側に抗議するというものでした。特に注目されたのは、水俣病(詳しくは、問題64(社会)の答えをご参照ください)に対する運動の場合で、責任企業であるチッソだけでなく、そのメーンバンク(主力銀行)である日本興業銀行(現在では、みずほフィナンシャルグループに統合されました)も抗議の対象となりました。『ヤクザ』(D.
E.. カプラン、A. デュプロ著、松井道男訳、第三書館、246ページ)に載っていた、1970年11月のチッソの株主総会の様子が『株主総会』に引用されていましたので、少し長くなりますが、ご紹介します(173-174ページ)。
総会屋の戦術を借用して、水俣病患者とその支援者たちは、チッソの株を1口(引用者追記:1株の間違いかもしれません)ずつ購入し、チッソの株主総会に出席して動議を提案する資格を獲得し始めた。水俣病患者代表団約500人のメンバーは、1970年11月にチッソの株主総会に到着した。しかし、ほとんど誰ひとりとして正面入口から先へは進むことができなかった。支援の活動家たちは、まるで東京の暗黒街の中で最もいかがわしい領域から集めてこられたような警備員の列によって、行く手を妨げられたのである。うまく中に入れたある人は、経営者側のある提案を修正させようと試みたが無駄であることに気づいた。彼を待っていたのは、総会屋の一団であり、彼らは野次の合唱で彼の発言する声を簡単にかき消して、即座に総会の閉会を要求したのである。チッソの株主総会の所用時間は5分であった。
株式会社の一番重要な議決機関である株主総会が、経営陣の意のままに運営されているという実態は、チッソに限ったことではなく、現在でも、実質的な議論が株主総会で行われることはほとんどないため、ほとんどの企業の株主総会は30分程度で終わっているようです。『株主総会』の9ページに引用されていた、商事法務研究会編『株主総会白書』(1997年版)によれば、大半の主要企業の株主総会が同一日に開催されることもあって、全体の78%の企業の株主総会は、参加者が100人以下だそうです。
商法改正によって、「1株株主」は株主総会に参加できなくなりましたが、このことについて『株主総会』にはつぎのように指摘されています(155ページ)。
株主平等、1株1票、というのが近代株式会社の原理だが、この原理を総会屋排除、1株株主運動退治のためにまるで破れ草履(ぞうり)のように簡単に捨てるところに日本の法律家のいい加減さがある・・・・
投資家の権利を制限する一方、発行会社の意向が反映された商法改正
経営者に都合のいいように、商法を改正するという動きはその後も続き、2001年の改正では「額面株式制度」とこれと関係した「資本金」の制度も廃止され、「現在では、株式の単位としての大きさを、市場の状況や資金調達の便宜や株主管理費用などを勘案しながら常時適切に保つのは、会社の自由であり、責任である。法は干渉しない。」(『商法』浜田道代著、岩波書店刊、209ページ)ということになりました。
商法のこれらの改正は、投資家の権利を制限し、発行会社にとって都合のいい方向で行われてきたことは明らかだと思います。その結果、株式市場で、誤発注事件や、高い倍率の株式分割による、株価つり上げなどの、予想外の事態が起こり、ライブドア事件のように、多数の投資家が損失をこうむることになったと思います。さらに、これらの問題は、株式市場だけでなく、株主総会がほとんど機能していない点など、日本の株式会社制度の基本的な問題が背景になっているため、容易には解決できないのではないかと思います(2006年3月21日)。
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