「すべてを理解することは、すべてを許すこと」という警句はトルストイが最初に使ったようです

フランスには、『すべてを理解することはすべてを許すことTout comprendre, c'est tout pardonner. 英語では、to understand all is to forgive all)』ということわざがあり、このフランス語がそのまま『ランダムハウス英和大辞典』に載っていたことは、問題65(生き方)答えでご紹介しました。さらに、『許せないことがある場合には、理解していないことがある(フランス語訳は"Ne pas pardonner, c'est ne pas comprendre."『許せないことは、理解していないこと』・・・下の[2018年5月29日追記]を参照)という文(命題)は、このことわざと論理学でいう『対偶の関係』にあり、同じ意味(論理的に等価)であることを、問題75(論理学)答えで示しました。

(2018年5月29日追記)「許せないことがある場合には、理解していないことがある」をフランス語ではどう言うのかを国立東洋言語文化大学(ラング・ゾー)ご出身のお知り合いのフランス人の方にお聞きしたところ、"Ne pas pardonner, c'est ne pas comprendre."ではないかとのことでした。これを日本語にすると、『許せないことは、理解していないこと』となります(英語では"Not to forgive is not to understand.")。さらにこれを上と同様に日常表現に直すと、「人を許せないと思うのは、その人を理解していないためである」ということになるようです。

上記の二つの問題では、この言葉は「フランスのことわざ」として扱いましたが、2013年3月7日に読者の小林順子様が、こんなことわざはフランスには存在せず、これは、トルストイの『戦争と平和』に出てくる名句であることをメール(2013年3月7日付の小林様のメール)で教えてくださいました。私もインターネットで調べてみましたが、小林様のおっしゃるとおり、これはトルストイの『戦争と平和』で初めて使われた名句(以下ではほぼ同じ意味の警句(けいく:(広辞苑)人生・社会・文化などについて真理を簡潔な中に鋭く表現した語句)という言葉にさせていただきます)のようでした。

その下に、(1)『戦争と平和』の原文と英訳で、この警句はフランス語で書かれていた(2)同じ趣旨の警句が『戦争と平和』以前にもあったという文を追加しました。

ここまで書いたところで、小林様にこの内容をお送りして、ご確認をお願いしたところ、小林様から内容に問題はないという趣旨のコメントとこの警句が使われているエマ・ゴールドマンの「婦人解放の悲劇」という文章のフランス語の原文とご本人による日本語訳をお送りくださいましたので、最初のメールの下にコピーさせていただきました(2013年3月16日付の小林様のメール)。小林様は、「もしこの文が示すとおりスタール夫人がこの表現をしょっちゅう使っていたのだったら、当時フランスでこの表現が流行ったことも考えられます」と書かれています。もしそうだとすれば、なぜフランスでは現在あまり使わなくなったのか不思議ですが、小林様は、これは一種の流行語のようなものだったので、100年後までは残らなかったのではないかというご意見です。

小林様は、フランス西部のテザックという町にご主人のクサビエさんと3人のお子様(マックス君、とみ君と、女の子のうみちゃん)とお住まいの自称「一主婦」の方です。ご主人はフリーランスでお仕事をされているそうです。テザックに移られたのは、2012年夏でそれまで15年間はパリにお住まいだったとのことです。また、「田舎ってどう? ---フランスの田舎での生活」というブログ(http://junko17600.blog.fc2.com/ )を公開されていて、ブログによれば、15年前にソルボンヌで勉強をされていたとのことですので、翻訳はお手の物のようです。このブログの「現在私を実験中」というコメントでは、日本に戻るたびに、親戚の方が小林様に対して持たれているイメージとご自分のイメージの間にギャップを感じているため、ご自分のイメージを伝える方法を実験中であると書かれています。この文章の最後の部分から引用させていただきます。

「では、どうしたらよいか。それは同じことを言い方を変えながら何度も説明し、他人と自分との間にあるズレを矯正していく事。私という人間を様々な角度から見せる事は、一つの答えに対して何通りもの計算式が存在している事に似ている。私は私という答えを求めてより多くの異なった実験を行うべきだ。」

この中で、「私という人間を様々な角度から見せる事は、一つの答えに対して何通りもの計算式が存在している事に似ている」という部分は、私のような理科系の人間にも大変分かりやすく、説得力がありました。いろいろな言い方を探しているうちに、自分の別な面も発見するのではないかという気もします。

また、自民党政権誕生が、小学生のうみちゃんに涙を流させていたというコメント(「暗号解読」)は特に印象的でした。

『子供って何かをパッと見抜く能力を持っていると思う。

うみと日本の原発事故の話をしていて「・・・それなのに以前から原発を推進していた自民党が選挙で圧勝したんだって。」と言うと「日本人って馬鹿なんじゃないの!?」と憤慨し、福島の人々を思って涙を流していた娘。

自民党が政権を握ることになり今後現存している原発の再稼動や新設の可能性が出てきた。前回の選挙では国民が民主党に幻滅し、消去法の結果として自民党が選ばれたのかもしれない。棄権票、白票が多数を占めていたり(ちなみにベルギーでは棄権票は違法である)小選挙区制という制度の問題もあったかもしれない。それでも自分の一票が持つ重みを知り、国民一人一人が責任を持って政治に参加して自分達の意向が少しでも反映される政府を作っていくべきだと思う。

うみみたいに政治の事をちっとも知らなくても、正しい人間の心で物事の本質をパッと見極めることが出来る子供達が日本に大勢いるのならば私はこの国の将来に希望を持つ事が出来ると思うのだが。そのような事を言ったら「お母さん、希望は何があっても失なわれないものなんだよ。」と逆に慰められてしまった。

希望を失わない子供達に未来を託そう。』

小林様、貴重な情報をありがとうございました。また、ブログに「クイズひまつぶし」へのリンクを付けていただいてありがとうございました。定年退職後でひまになるかと思っていたところ、予想外に忙しく、あまり更新できませんが、小林様から激励をいただきまして、更新頻度を高めようと思っておりますので、これからも「クイズひまつぶし」をよろしくお願いいたします(2013年3月18日)。


2013年3月7日付の小林様のメール

From: KOBAYASHI junko [*****************]
Sent: Thursday, March 07, 2013 3:46 AM
To: pb6m-ogr@asahi-net.or.jp
Subject:

こんにちは、はじめまして。

先日ジャック・ブレルの検索をしていてこのサイトに辿りつきました。非常に興味深く拝見させてもらっています。

ところで「フランス語には Tout comprendre, c’est tout pardonner  という諺がある」という記事に非常に感銘を受けたのですが、こんな諺あったっけ?とフランス語で調べてみると、実は存在していませんでした。結論から言えば、フランス語の諺ではなくトルストイの「戦争と平和」に出てくる名句でした。日本語でどう訳してあるかはまだ調べていませんが、一応ご報告までとペンをとりました。

これからも面白くて為になる問題を楽しみにしています。

小林順子


2013年3月16日付の小林様のメール

From: KOBAYASHI junko[*****************]
Sent: Saturday, March 16, 2013 7:47 AM
To: pb6m-ogr@asahi-net.or.jp
Subject: RE: 問題があればご連絡ください

小倉様。

いつものことながら小倉様の記事には感心させられます。緻密な下調べを基にした確かな情報こそが私達読者が常に探しているものだと思います。いい加減な情報が乱れるこの世の中で貴方のサイトは安心して知識を愉しむことの出来る非常に貴重なものだと私は思っています。

例の諺については、私もトルストイまでは探し当てたのですが、いくら当時貴族や知識人の間でフランス語が使用されていたにしてもロシア人がフランス語のままでこの表現をしたということはやはりフランスにそういった言い回しがあったのかもしれないという疑いが残っていました。歴史を遡りゲーテやスタール夫人まで辿り着いた小倉さんに脱帽です。有難う御座いました。

参考までにアメリカで活動したアナキストであるエマ・ゴールドマンの「婦人解放の悲劇」の中の一文にもスタール夫人の有名な警句としてこの表現が出ていたので記しておきます。この文は、もともと英語で書かれたものだと思いますし、信憑性は定かではありませんが、、、。

・・・ comment être soi-même et cependant se trouver en unité avec autrui, comment se sentir en profonde communion avec tous les êtres humains et conserver intactes ses qualités caractéristiques ? Ce me semble être le terrain sur lequel pourraient se rencontrer sans antagonisme et sans opposition et la masse et l’individu, et le vrai démocrate et l’individualiste véritable, et l’homme et la femme. La formule ne doit pas être : se pardonner l’un l’autre, mais bien : se comprendre l’un l’autre. La phrase si souvent citée de Madame de Staël, « Tout comprendre, c’est tout pardonner », ne m’en a jamais particulièrement imposé ; elle sent le confessionnal. Pardonner autrui évoque l’idée d’une supériorité pharisaïque. ・・・

日本語訳は調べていないので少し私の訳をつけておきます。

「・・・どうしたらありのままの自分でありながら他人との一致を図る事が出来るのだろう。個人の美質を損なうことなく人類がお互いに深い一体性を感じるにはどうしたらいいのだろう。それは対立関係無しに集団と個人とを、本来の民主主義と真の個人主義を、男と女を見出す事が出来る場であると思うのだ。そしてそこでの方策は「赦しあう」のではなく「理解し合う」ことでなければならない。スタール夫人があれほど口にした「全てを理解するものは全てを赦す」という台詞は私にはそれほど感銘を与えなかった。何だか教会の告解室を思わせるのだ。他人を赦すという行為はパリサイ人的な(偽善的)優越感を彷彿とさせる。・・・」

まぁ、もしこの文が示すとおりスタール夫人がこの表現をしょっちゅう使っていたとすれば、当時フランスでこの表現が流行ったことも考えられます。

それからこの表現が現在のフランス語に残らなかった理由としては日本での一時期の流行語が百年後には残っていないのと同じ理由ではないでしょうか。エマ・ゴールドマンも述べているように彼女はこの表現に共感出来なかったわけで、現在のフランス人の中にもこの警句に(現代のフランス人はトルストイの言葉として捉えているようですが)疑問を抱く人は多いようです。よほど真理を突き詰めていて万人に納得される言葉だけが後世に残るのだと思います。

毎回丁寧なメイルでの返答と疑問に関する答えを頂き感謝しています。


(1)『戦争と平和』の原文と英訳で、この警句はフランス語で書かれていた

まず、『戦争と平和』でこの警句が使われた箇所をご紹介します。近所の図書館で見つけた『筑摩世界文学大系42 - トルストイ - II』(翻訳中村 融)の82ページ(第1編第1部)から、関係部分を引用させていただきます。この部分に登場するのは、ナポレオンと戦うためにオーストリア戦線に出発する準備をしているアンドレつまりアンドレイ公爵(アンドレイ・ニコラーエヴィチ・ボルコンスキィ公爵、27歳。青年士官。優秀な実務家。アウステルリッツ以降の対ナポレオン戦争に従軍。父ニコライ老公爵の友人クトゥーゾフ将軍の副官などを務め、オーストリア王宮への使者の任にも就いた)、その妹のマリア、その妻リーズの三人です。また、この部分の英訳をThe Literature Networkから、ロシア語の原文も"[править]Война и мир (Толстой)/Том I/Часть I/Глава XXV"というサイトからその下にコピーさせていただきます。

注目すべき点は、この警句は、ロシア語で書かれた原文でも、英語訳でも、フランス語の"Tout comprendre, c'est tout pardonner." という表現がそのまま使われているという点です。ロシア貴族はフランス語を公用語としていたため、貴族を主人公にしている『戦争と平和』でも、フランス語がそのまま使われているようです。

『筑摩世界文学大系42 - トルストイ - II』の訳注(1)にも「原書にはフランス語(ごくまれにはドイツ語)の挿入がかなり多いが、本書では紙数の関係でそれらの原文の挿入を省略し、訳文を記号<・・・>ではさんで、その部分を明らかにするだけにとどめた」と書かれています。下に示した、日本語訳では、この部分を青字で示しましたが、確かに、原文でこの部分にフランス語が使われていることを一番下の原文から確認することができます。また、原文と英語訳では、この警句の翻訳が注として追加されてますが、原文の注がトルストイ自身によるものなのかどうかは分かりません。

このフランス語の警句がそのまま『ランダムハウス英和大辞典』に載っていたのは、翻訳本でさえ、フランス語がそのまま使われていたことが関係している可能性があるのではないかと思います。また、フランス語の辞書やwebを探してもこの警句はあまり見当たらないのに対して、英語の辞典にそのまま載っていたり、この言葉を載せている英語のwebがたくさん見つかったことから、現代のフランスではこの警句あまり使われていないのに対して、英語圏の方がよく使われているという印象を持ちました。これは、小林順子様が「こんなことわざは・・・フランスには存在しない」とおっしゃっていることとも符号します。また、英語圏では、この警句のことをことわざ(proverb)と表現しているサイトがいくつかありましたので、このフランス語の警句はむしろ英語圏のことわざと言っていいかもしれません。


(日本語訳)

---- <リーズ>はどこにいるんだい? ---- と彼は妹の問いには微笑だけで答えながら、たずねた。
---- お姉様は(引用者追記:つまりアンドレの妻のリーズは、直前のアンドレとその父の間のナポレオンについての論争について行けなかったため)ひどくお疲れになって、わたしのお部屋の長いすでおやすみになりましたわ。<ああ、アンドレ! いい奥さんをお持ちになったのね>、---- 彼女は兄と向かい合って長いすに腰を落ち着けながら、言った、---- あの方まるで赤ちゃんね、とても可愛らしい、おもしろい赤ちゃんですわ。私すっかり好きになってしまいました。
アンドレイ侯爵は黙っていた、が、令嬢は兄の顔に現れた皮肉な、軽蔑したような表情に気がついた。
----でもね、小さな欠点は大目に見てあげなくてはいけませんわ。欠点のない人なんていないんですもの、アンドレ! お忘れになってはだめよ、お姉さまは社交界の中で教育を受けて、お育ちになった方ですからね。それに今の状態だって、けっしてバラ色じゃありません。だれの場合でもその人の身になってあげなくてはいけませんわ。<すべてを理解する者はすべてを許す>ですもの。少しは考えてあげるものよ、今までの馴れた暮らしをすてて、夫とは別れ、あのおからだで一人きり田舎に残らなければならないお気の毒な気持ちはどんなでしょう? とても辛いことですわ。
アンドレイ侯爵は妹を見ながら、ちょうどわれわれが底まで見通していると思われるような相手の話をききながらにやにやするときのように、ほほえんでいた。


(英語訳)

"And where is Lise?" he asked, answering her question only by a smile.

"She was so tired that she has fallen asleep on the sofa in my room. Oh, Andrew! What a treasure of a wife you have," said she, sitting down on the sofa, facing her brother. "She is quite a child: such a dear, merry child. I have grown so fond of her."

Prince Andrew was silent, but the princess noticed the ironical and contemptuous look that showed itself on his face.

"One must be indulgent to little weaknesses; who is free from them, Andrew? Don't forget that she has grown up and been educated in society, and so her position now is not a rosy one. We should enter into everyone's situation. Tout comprendre, c'est tout pardonner.* Think it must be for her, poor thing, after what she has been used to, to be parted from her husband and be left alone the country, in her condition! It's very hard."

*To understand all is to forgive all.

Prince Andrew smiled as he looked at his sister, as we smile at those we think we thoroughly understand.


(ロシア語の原文)

— А где Lise? — спросил он, только улыбкой отвечая на ее вопрос.

— Она так устала, что заснула у меня в комнате на диване. Ах, André! Quel trésor de femme vous avez[1], — сказала она, усаживаясь на диван против брата. — Она совершенный ребенок, такой милый, веселый ребенок. Я так ее полюбила.

Князь Андрей молчал, но княжна заметила ироническое и презрительное выражение, появившееся на его лице.

— Но надо быть снисходительным к маленьким слабостям; у кого их нет, André! Ты не забудь, что она воспитана и выросла в свете. И потом ее положение теперь не розовое. Надобно входить в положение каждого. Tout comprendre, c’est tout pardonner[2]. Ты подумай, каково ей, бедняжке, после жизни, к которой она привыкла, расстаться с мужем и остаться одной в деревне и в ее положении? Это очень тяжело.

Князь Андрей улыбался, глядя на сестру, как мы улыбаемся, слушая людей, которых, нам кажется, что мы насквозь видим.

******************
注:[1]André! Quel trésor de femme vous avez — Ах, Андрей! Какое сокровище твоя жена.
[2] Tout comprendre, c’est tout pardonner — Кто все поймет, тот все и простит.


(2)同じ趣旨の警句が『戦争と平和』以前にもあった

トルストイの『戦争と平和』は1865年から1868年にかけて発表されたもののようですが、それ以前にも同じ趣旨の警句は存在していて、トルストイはそれらを修正して使った可能性が高いのではないかと思います。The Isaiah Berlin Virtual Libraryというサイトにこの警句の出所のことが載っていて、これによれば、1790年のゲーテの戯曲『タッソ』や1805年スタール夫人の小説『コリンヌ』にほぼ同じ趣旨の言葉があることが分かります。従って、この警句そのものは『戦争と平和』が初出ですが、トルストイはゲーテやスタール夫人の言葉を下敷きにして、この言葉を生み出した可能性が高いと思います。


‘Tout comprendre, c’est tout pardonner’---- 出所がはっきりしない「ことわざ」で、多分数世紀前から一般に知られたものだったのかもしれない。

(1)全く同じ語句がトルストイの『戦争と平和』第1編第1部第28章(いくつかある版のうち1868年発行の最後の版における章分けによるが、版によって章が異なる)と(2)テオドール・フォンターネ(Theodor Fontane, (1819年12月30日 - 1898年9月20日)は、ドイツの作家(小説、詩)であり薬剤師。彼はドイツの詩的リアリズムを代表するもっとも重要な作家と見なされている。 Wikipedia)が妻に宛てた1876年8月18日付の手紙に使われているが、ともに出所は記載されていない。このことわざに似たものとしては、古いものから順に、

(3)ゲーテの戯曲『タッソ(Torquato Tasso (1790))』第2幕、第1場、1113行 (‘was wir verstehen, das können wir nicht tadeln’、英訳は‘what we understand we cannot reproach’、つまり、「我々が理解していることを我々は非難できない」);

(4)スタール夫人(Anne Louise Germaine de Staël,1766年4月22日 - 1817年7月14日)の小説『コリンヌ(Corinne ou l’Italie(1805))』第18巻、第5章 (‘tout comprendre rend très-indulgent’、「(人は)すべてを理解することによって非常に寛容になる」);

(5)ゲーテの『西東詩集』(West-östlicher Divan (1819))所載の 「不作法と有能」‘Derb und Tüchtig’という詩の最後の2行 (「何故ならば、一度わたしたちを理解する者は/わたしたちを必ず許すからである。」‘Denn wer einmal uns versteht / Wird uns auch verzeihn’)[日本語訳は詩文楽というサイトからコピーさせていただきました。このページには詩の全文が載っています];

(6)テオドール・フォンターネの長編小説『イェニー・トライベル夫人(Frau Jenny Treibel(1892)』の第7章、「理解することは許すこと」("Comprendre, c'est pardonner")--- だだし、この小説では出所を明記せずにジョルジュ・サンドによる言葉とされている(ただし、おそらくこれは間違いだろうと、フォンターネの編集者の一人が理由を挙げずに言っている)。


(英語の原文)

‘Tout comprendre, c’est tout pardonner’  --- Proverb of uncertain origin – perhaps a commonplace for centuries? This precise formulation is used by Tolstoy in War and Peace (1868), vol. 1, part 1, chapter 28 (the last in this book: chapter-numbering varies) and by Theodor Fontane in a letter to his wife dated 18 August 1876 – in both cases without attribution. Approximations to it appear, in chronological order, in Goethe, Torquato Tasso (1790), act 2, scene 1, line 1113 (‘was wir verstehen, das können wir nicht tadeln’); Madame de Staël, Corinne ou l’Italie (1807), book 18, chapter 5 (‘tout comprendre rend très-indulgent’); Goethe, ‘Derb und Tüchtig’, in Westöstlicher Divan (1819) (‘Denn wer einmal uns versteht / Wird uns auch verzeihn’); and Theodor Fontane, Frau Jenny Treibel (1892), chapter 7 (‘comprendre c’est pardonner’), where it is attributed to George Sand without reference (probably in error, says one of Fontane’s editors, without giving a reason).


(2013年3月18日)
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