函館元町の八幡坂と記念館摩周丸

2005年7月初めに札幌から東京まで高速道路を全く使わずに、『スロー・ドライブ』(ルートは一番下に示しました)した途中で訪問した北海道・函館市内、元町の八幡坂からの眺めです。梅雨時だったこともあって、1週間かけたドライブ中、ずっとはっきりしない天気が続き、4日も雨に降られました。観光シーズンには、まだ早かったのですが、この辺りは観光スポットなので、けっこう観光客を見かけました。

遠くに見えるのが旧青函(せいかん)連絡船の摩周丸が係留されている「記念館摩周丸」です。北海道から本州に列車で出かけるためには、現在では青函トンネルを通過するだけで済みますが、1988年のトンネル完成前には、乗客は函館で列車を降りて、連絡船に乗り換えて、青森で別の列車に乗る必要がありました。旧国鉄の路線の一部となっていたこの連絡船が青函連絡船です。中年以上の北海道出身者にとって、この連絡船は単なる交通機関という以上の意味を持っているのではないかと思います。列車が函館に近づくと、多くの乗客は出口に並び始め、到着すると数百メーター先の乗船口まで走る人も結構いました。これは、船の中でいい場所に陣取るためです。また、北海道と本州で全く別の列車に乗る必要があるため、二つの列車の座席指定が取れないと特急に乗れないという不便もありました。そのため、青函連絡船は本州と北海道を隔てる障壁であったことは確かですが、それと同時に、利用者にとっては、忘れられない思い出を残す場合が多かったのではないかと思います。

「青函連絡船とは」( http://www.h7.dion.ne.jp/~hakkoda/page009.html )というサイトによれば、運航終了時点で、13隻の連絡船が就航していましたが、そのうち現在でもなんらかの形で利用されているのは、この「摩周丸」と、青森港でメモリアルシップとして展示されている「八甲田丸」、東京港台場の船の科学館に展示されている「羊蹄丸」、長崎港でホテルシップ「ヴィクトリア」として利用されている「大雪丸」、フィリピンでカジノ船として利用されていたものの、現在は閉館中らしい「十和田丸」の5隻のようです。残りのうち、3隻がスクラップにされ、5隻が行方不明とのことです。

下の写真は、記念館の周りを早朝に散歩したときに写したものです。

下は当時の船内の写真です、というのはウソで、函館から青森県の大間まで乗ったフェリーの船内です。これほど大きな窓はなかったと思いますが、青函連絡船の船内もこんな感じだったなという気がして、写しました。

下の写真は、摩周丸の船尾です。乗客は歩いて乗船しましたが、貨物は貨車ごと船に積み込まれました。そのため、車両甲板には線路が敷かれていました。甲板の入り口は、大きな扉でふさがれていす。車両甲板の入り口に扉が付けられるようになったのは、わたしの記憶によれば、1954年の「洞爺丸事故」の原因の一つが車両甲板からの浸水であったためだったと思います。Wikipediaによれば、「洞爺丸事故」とは、青函連絡船「洞爺丸」が台風15号(洞爺丸台風)の暴風雨が原因で函館港外の七重浜に座礁転覆し、僚船4隻も沈没したため、1,430人の犠牲者を出した事故のことです。

記念館の陸側を通行中の、犬とご婦人を写させていただいたところ、ご婦人から、「あれ、写真かい」とのお言葉をいただきました。写させていただいて、どうもありがとうございました。

記念館のすぐ近くには朝市があります。朝市の中には、食堂街があり、「あけぼの食堂」というところで、名物の「いかそうめん」をいただきました。「いかそうめん」は、いかを1-2mmくらいの幅に切って、そうめんのような感じにしたさしみで、しょうが醤油などにつけて食べます。今回、函館に寄った目的の一つが、「いかそうめん」でした。東京の北海道料理屋でも、「いかそうめん」と名付けられた料理がメニューに加えられていますが、これが数十年前にやはり函館朝市で食べた「いかそうめん」とは全く別の料理のように感じられたからです。今回函館市内の二つの店で食べました(両方800円くらいだったと思いました)が、両方とも、東京で出されるものとは違っていました。「いかそうめん」は函館でしか食べられないのかも知れません。というのは、いかをごく細く切るのは、かなり大変な作業のようだからです。実際、「あけぼの食堂」のご主人がいかを切るときには、全神経を集中されているようで、料理を用意しているというより、工芸品に細かな細工を施しているような感じでした。

確か、この店のご主人はこれはヒラメだとおっしゃっていたと思います。80cmくらいあったと思います。

夜景が有名な函館山ですが、前夜、頂上が雲で覆われていたため、翌日昼間に車で登りました。

上の写真の右手の海岸線沿いで、函館山を回り込んだ辺りに立待岬があり、その手前に、啄木一族の墓があります。「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」という短歌が墓石正面に刻まれています。

下の写真は、函館の北約10kmの七飯町の旧国道5号線沿いの松並木です。樹齢120年の松(赤松が中心)並木が数km続いています。北海道では松並木は非常に珍しいと思います。「おしまの巨木・名木」というサイトによれば、これらの松は明治9年から10年にかけて、明治天皇の行幸(地方訪問)を記念して植えられたそうです。

函館の北約60kmの森町の内浦湾沿いの道路から見た、駒ヶ岳(下の地図をご参照ください)です。やはり天気がいまいちで、霞がかかっています。

下が、帰りの札幌から東京までのルートで、すべて一般道です。行きは、一般道で茨城県の大洗まで走り、苫小牧行きのフェリーを利用して、苫小牧から札幌までも一般道を使いました。特に、苫小牧から(千歳空港を経由して)札幌までは、広い立派な一般道が通っているため、高速道路を使う必要は全くないと思いました。走行距離は往復で1900kmとなりましたが、寄り道をしないで、最短距離の高速道路を使った場合の高速料金は2万5,000円くらいになります。一般道を利用するメリットは、料金がかからないことのほかに、どこでも止められて、自由に寄り道ができることです。今回の旅行でも、天童を通ったときに、天童木工の本社ショールームで家具を見たり、サクランボのシーズンだったので、山形県の村山市の農園で、朝に収穫したばかりのサクランボを賞味できました。あまりにもおいしかったので、たくさん買って、東京まで持ち帰って息子にも食べさせてやろうとしたのですが、半分以上途中で食べてしまい、クーラー・ボックスと氷を購入して冷やしていたにもかかわらず、東京に着いたときには、普通のサクランボに変身していました。

(2005年8月28日)

(2007年1月7日追記)花巻に2泊したときの写真を「山あいの温泉旅館」に、三陸海岸の写真は「霧の北山崎」に、下北半島の尻屋崎近くで撮った写真を「下北半島の干し草ロール」に載せました。

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