問題60(社会)の答え・・・混んだ電車がいやな一番の理由は、d. 乗り降りの際に押し合いへし合いになる)ことだそうです。

「ウチの者以外は人間にあらず」

多くの日本人は外国人の方が体臭が強いと思っているようですが、外国人からみれば、日本人独特の体臭があるようです。また、ポルノまがいの新聞、雑誌を電車の中で堂々と見ているというのも、外国人を驚かせるようです。ただ、これらの現象よりも強いショックを外国人に与えているのが、乗り降りの際の日本人の行動様式のようです。

混んだ電車の乗り降りの際に、われわれ日本人はなぜか急に、羊の群に変身して、さくのすき間(つまり、開いたドア)目掛けて、なりふり構わず突進するようです。ひどい人になると、前の人の背中をひじやカバンで平気で押しつけるようです。さらにあきれるのは、前の人をさんざん押し付けていた人が、いったん電車から降りてしまうとのんびり歩いていることがあることです。

もっとも、急いで降りないと、乗り込んでくる乗客に押し戻されかねないという恐怖心があるのかもしれません。これは、乗り込む方も、降りられなくなる人がいても、お構いなしに突進するのが当たり前になっているためのようです。まさに、ドアごとに肉弾戦が展開されている感があります。さらに、女性に狙いを定めて突撃しているらしい男性もけっこう見かけます。

欧州の地下鉄に乗ると、混んでいる場合でも、乗客の間には一定の「安全距離」が保たれ、極端に にじり寄ってくるのは、スリくらいではないかと思います。

2001年に文化勲章を受章した中根千枝(なかね・ちえ)氏は、日本人のこのような行動様式は日本の社会構造と関係しているという見方を『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書、初版の発行は1967年と30年以上昔です)の中で示しています。同書の47ページの『「ウチの者以外は人間にあらず」の感』という部分にはつぎのような指摘があります。

(日本人は)「ウチ(引用者注:家族、会社の同僚などのように同じグループに属している状態)」と「ヨソ(引用者注:自分とは別のグループに属している状態)」の意識が強く、この感覚が尖鋭化(せんえいか、鋭くなること)してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人(特に職場で自分より上の)に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽(こっけい)な姿がみられる。

電車の乗客のほとんどは「ヨソ」の人であるため、人間として映らなくなる結果、譲り合うという発想が生まれにくくなり、羊の群に変身するようです。

中根氏は、「ウチ」、「ヨソ」という区別の基準になる、「場」という概念を思い付かれました。会社、家族、地域などのように、一定の枠によって、一定の個人が集団を構成している場合に、「場」の共有によって社会集団が構成されていると考えるそうです。社会集団の構成要因として、中根氏は「資格」という概念も導入されました。「資格」というのは、学歴・地位・職業などの社会的な役割のことです。さらに、日本社会は、諸外国と比べて「場」によって支配される傾向が極端に強く、逆に、カースト制度が残っているインドは、カーストを含む「資格」によって支配される傾向が最も強いとされています。中国や欧州各国の社会は、日本とインドの間でどちらかといえばインド寄りに位置するとみられるようです(28ページ)。

さらに、「場」の共通性によって構成された集団は、「資格」の異なるものを包含するため、その構成員を結びつける方法としては、理論的にも当然「タテ」の関係となるそうです。これに対して、「資格」の共通性によって構成された集団では、同質または同列のもの同志の関係であるため、その構成員を結びつけるのは、「ヨコ」の関係となるようです。「ヨコ」の関係は、カースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織等によって象徴され、構成員の序列意識の強さによって支えられているようです(70―71ページ)。「タテ」の関係は、日本では家族、農村社会、大企業、官僚組織まであらゆる組織に共通の特徴であるため、中根氏は日本社会は「タテ」社会であると指摘されました。

日本の資本主義は「儒教資本主義」

多くの日本人は、「長いものには巻かれよ」 とか 「寄らば大樹の影」 という言葉や、年長者、親、上司、職場やクラブの先輩など、自分より地位の高い人を、別格の人間であるかのように敬う(といっても最近はかなり変わってきたようですが)と同時に、「ヨソ」の人だと分かると、目の前にいながら完全に無視することを当然と考えているようです。このような日本人の極端な序列意識の背景になっているのは、江戸幕府が封建支配のために利用した「儒教」の影響が、日本人の意識に深く浸透しているためではないかと思います。

岡山県内で学習塾講師をされている
岡本 昌裕( おかもと・まさひろ )さんのホームページの「快感原則論― もうひとつの幸福論―」(同じ内容で書籍も発行されているそうです)の『人生を楽しまないことに慣れてしまった日本人』 (http://www.sky-net.or.jp/masahiro/japanese.htm)というページには次のように指摘されています。

「封建制の支配力を強めるため『儒教』が権カ者によって利用されました。儒教とは古代中国の思想家の孔子や孟子によって生まれた思想です。ただし、日本の儒教は本家中国のものを作り替えて、より封建的傾向の強いものにされたと指摘されています。 孔子は 「仁(自己本来の心に忠実であると同時に他人への思いやりを持つこと)」 を強調しましたが、日本ではこの点は軽視されています。また、孔子のいう 「忠」 とは  「自己本来の心に従うこと」 であったのに、日本では 「忠」 といえば 「君主への絶対服従」 とされているのです。・・・明治天皇の下でも、「教育勅語」 によって儒教的教化が引き続き行われました。国民にとっては 「五か条の誓文」(引用者注:1868年に明治天皇が宣布した明治政府の基本方針) や 「大日本帝国憲法」 ではなく 「教育勅語」 が事実上の規範でした。そして、教育勅語に基づき、「修身」 の時間に 「忠」 ・ 「孝」 あるいは 「忍耐」 の重要性が教育されました」

経済学者の森嶋通夫(もりしま・みちお)氏は、『続イギリスと日本―その国民性と社会―』(岩波新書、初版は1978年に発行され、現在絶版となっています。私は図書館から借りました)の154ページで次のように述べています。

「儒教は中国では宗教でありましたが、日本では宗教ではなく哲学であります。したがって、儒教は、日本の古くからの宗教である神道や仏教とも対立することはほとんどなく、むしろ逆にそれらを儒教化してしまいました。日本ではキリスト教徒ですら儒教倫理の影響を受けています。200年以上にわたって国を閉し、全国民が儒教的思考の訓練を受けたということは、日本人が元来非宗教的であるだけに、極めて重大な意義をもっています。日本人はその間に洗脳され、独特のタイプの人間につくられてしまったのです」

社会学者のマックス・ウェーバーは、プロテスタンティズム(キリスト教の新教)の職業観(職業を神から与えられた使命とみなす)が資本主義の発展に貢献したと述べているそうです。これに対して日本の資本主義は、強い序列意識につながり、忍耐を善とする儒教を背景とした日本人の思考様式が背景になっているため、「イギリス資本主義とは全く違ったスピリットで運営される資本主義経済―和魂洋才の経済―が日本に定着したのです。・・・イギリスの資本主義を新教資本主義と言うべきであるなら、日本の資本主義は儒教資本主義ということができます。・・・さらに(引用者追記:当時の)発展途上国のうちの主要国であり、貿易紛争の将来の主役とみられる韓国、台湾、香港、シンガポール等はいずれも日本に似て多かれ少なかれ儒教資本主義国である・・・・」と森嶋氏は述べています(同書186―7ページ)。

(現代日本に対する封建制の影響については、問題38(政治)解答の最後のE.H.ノーマン氏の言葉もご参照ください)

弊害の方が目立ってきた「タテ」社会

戦前の軍国主義や戦後の高度成長を支えた「タテ」社会も、最近では弊害の方が目立ってきたようです。『日本経済新聞』2001年10月31日付の「春秋」の最初の部分から引用させていただきます。

『「職種よりも会社名」「能力とは無関係の生年・入社年・学歴」「論理を敬遠して感情を楽しむ」。どれも中根千枝さんの「タテ社会の人間関係」の小見出しから抜き出した。戦後に出た日本人論では出色だと思う。▼文化勲章に決まった中根さんの35年前の著作がなかなか古くならない。タテ社会の根が深く張っている証拠だろう。小泉純一郎首相の構造改革もタテ組織を相手に苦戦しているようだ。「社会が大きく変化するときにこのシステムは弱さを見せる」と中根さんは言う。世界規模の変革期にタテ社会の日本がさえないのは宿命かもしれない』

2002年2月2日に開催された、中根氏の文化勲章受章記念講演会に参加させていただきましたが、中根氏は講演の最後に某議員によるNGOのアフガニスタン復興支援国際会議参加妨害行為にも言及されました。

中根氏によれば、タテ社会では、地位の高い人間が、同じ人間でありながら、地位の低い人間を見下す傾向があり、両者間の意志疎通がうまく行かないことがよくあるそうです。企業や役所の最前線である現場で働いている人や現場に責任を持つ専門職も、序列が下と見られて軽視される傾向が認められるそうです。また、日本ではトップが現場に行くことはあまりないようだとおっしゃっていました。これに対して、欧州や米国では、問題が発生するとトップがすぐに現場に直行して、問題の解決に当たることが多いそうです。問題が発生した場合に、対処のスピードに差が出るのは、これが原因となっているのかもしれません。

某自民党議員に至っては、現場で活躍しているNGOに対して「おかみに逆らう」などという時代錯誤としか思えない理由で、そのNGOが国際会議に参加できなくなるように手下の某官庁に圧力を掛けるというのですから、さすがのアホの坂田氏も、同類扱いされるのを心外に思われているのではないでしょうか
(2002年2月4日)。

別のアメリカ人に聞いても答えは同じでした

このような見方が、私が聞いたアメリカ人の方だけだと困るので、別の知り合いのアメリカ人の方(匿名を希望されています)にも、下のようなメールをお送りしてお聞きしてみました(英語のひどさはお許しください)。

Pleas select one of the four choices.

One of the most disliked things in Tokyo by foreigners is crowded trains. It is evident that trains in Tokyo are too crowded but some of the trains in big cities in Europe or in the U.S. are crowded too. Accordingly, it seems that there are other reasons why they dislike them. One of my friends in Tokyo who is an American told me that the thing about trains in Tokyo she hated the most is (a. body smell of Japanese people being similar to that of soy source, b. too many molesters of women, c. that some of passengers are reading a newspaper or a magazine which looks like a pornography, d. a kind of pushing contest at the doors of trains).

そのお答えは次のようなものでした。この方も、私同様、目一杯人を押し付けていた人が、電車を降りるとゆっくり歩くのはおかしいとおっしゃっています(下に拙訳を付けました)。

For me, it is the pushing contest at the doors. I usually stand a reasonable distance from the door before I get off the train, but people jump past and in front of me to practically press their faces up against the glass! It would be understandable if they were in a hurry, but most of these same people then seem to walk very slow once they exit the train! Must truly be some kind of game.

This also seems to take place for seats. I no longer sit on the train if I'm travelling as short a distance as 4-5 stops (even if there are empty seats -- my own game, I suppose), because I dislike the way people knock each other out of the way in competition for seats. Sometimes I play a game where -- if I'm the first person to get on a train at a station -- I will walk quickly to a row of empty seats and make a point of ignoring them all in favor of standing. I guess I've been in this country too long if these sorts of things affect me so much that I have to play such games!!

I've also seen many elderly be refused seats by people who then immediately act as "tanuki neiri". If I am sitting, I always give up my seat.

(訳)私の場合は、ドアの近くで押し合いへし合いになること(d.)です。私は通常、降りるときは、ドアからかなりの距離を取って立っています。ところが、いきなり私の前に割り込んできて、ドアのガラスに顔を押し付けるのではないかと思えるほど、ドアの近くに立つ人がいます。急いでいるのなら分かりますが、こういう人のほとんどは、電車から降りると非常にゆっくりと歩くようです。これは一種のゲームをしているとしか考えられません。

同じようなことが座席でも起こっているようです。私は4―5駅程度なら、もう座らないことにしました(たとえ空いている席があっても ----これは私だけのゲームだと思いますが)。これは、乗客が人より先に座ろうと競争するのが見苦しいためです。たくさん空いている席のある電車に最初に乗ったときに私は、多数の空いた席の前を足早に通り過ぎて、別の場所に立つというゲームを楽しむこともあります。もしこれらのこと(注:日本の乗客のマナー)に影響されて、私がこんなゲームをしなければ気が済まなくなったとすれば、私は日本に長くとどまり過ぎたのかもしれません。

老人が乗ると、多くの乗客がすぐに"tanuki neiri"をして座席をゆずらないケースも何度もみています。もし私が座っていたら、必ず席を譲ります。

訳はここまでですが、日本人は外国人からこんな風に見られているとは、全くなさけない限りです。
(2002年2月11日)

国によって理由に微妙な差があるようです・・・あるイギリス人の意見

「10年ぶりに海外旅行に行って来ました」「明け方のビアリッツ」にご登場いただいた、房枝さんが問題60についてメールを下さいましたのでご紹介します。房枝さんによれば、イギリス人であるご主人のリチャードさんも、旅行で日本にいらっしゃったときの経験から、押し合いへし合いが一番いやだとおっしゃっていたそうです。ただ、イギリス人、フランス人、アメリカ人では、嫌いである理由とその程度に微妙な差があるようです。


小倉さんのホームページ、時々拝見していますが、「欧米人」とか「外国人」というひとまとめのいいかたは誤解を招くのではないかと常々思っていました。特にヨーロッパの人々はアメリカ人と一緒にされるのを嫌がりますので、注意してください(アメリカ人は喜ぶかもしれませんが・・・)。

番号は忘れましたが最新の問題でアメリカ人二人の意見を「外国人」とひとくくりにしているのが気になったので、リチャードに聞いてみましたから、よかったら「あるイギリス人の意見」として載せてください。

イギリス人も混んだ電車や地下鉄を嫌がって、無理に乗らずに次の電車を待ったりする人たちですが、どうしてそんなに嫌なのかとリチャードに聞いたら、イギリス人は他人と一定の距離を保ちたいからだと言っておりました。体臭とか体が触れるのが嫌だとかではないそうです。
「親しき中にも礼儀あり」が徹底していて、家族間でもThank you, Pleaseなどの礼儀を守る人たちですから、うなずける話です。他人があまり近くに寄ってくると脅威を感じるそうです。

それともう一つは体の自由がきかないのが嫌なのだそうです。マナーの問題はあまり気にならないそうです。もっとも彼は日本に住んだことがないので、それほど気にならないのかもしれません。長く日本に住んでいる人と住んだことがない人では感覚が違うようです。

イギリス人に比べるとフランス人は他人との距離はあまり気にならないようで、他人の干渉を嫌うイギリス人とは対照的ですから、フランス人に聞いたらまた別の答えが出てくるでしょう。

結果的に三つの国のどの国の人たちも混んだ電車を嫌いますが、その理由は微妙に違うようです。昔日本に住んでいたころ、アメリカ人の友だちと一緒に電車に乗ったら、彼は日本人に負けずに押されたら押し返し、割り込みされそうになったらその人を押しのけるのでびっくりしたことがあります。私が呆れて見ているのを見て、「こうするしかないだろう」と言っておりました。このようにアメリカ人は何かされたらお返しに何かしなくちゃ、という傾向がありますが、イギリス人だと相手にならずに傍観する傾向があります。

アメリカ人、イギリス人、フランス人と長く関わってきて、その違いを実感していますので、「欧米人」とか「外国人」とかひとくくりにされるのは抵抗を感じます。


以上が引用です。房江さん、貴重なご意見ありがとうございました。フツーの日本人である私の場合、「外国人」、「欧米人」の間の国民性の差に無頓着になってしまっているようです。これは、日本人がこれら国々の人々と比べて非常に違っていることも一因になっていると思います。今後、気を付けます。

房江さんのお話では、リチャードさんは「他人と一定の距離を保ちたい」と同時に、「マナーの問題はあまり気にならない」とのことですが、イギリス人は、結構 "cool" だということですね。これに対してアメリカ人は、その場その場で勝手なことをする人もいるということでしょうか。ただ、数少ない私の経験でも、イギリス人とアメリカ人の行動パターンにはかなりの違いがあるような気がします。イギリス人は見かけは取っつきにくくても、基本的に信頼できる人が多かったような気がします。それに対して、アメリカ人はみるからにフレンドリーで、実際にもフレンドリーな人がほとんですが、中には、見かけに反して、本当は自分のことしか考えていないため、人格を疑うようなことを裏でしでかす人もいました。イギリス人がアメリカ人と一緒にされたくないのは、その辺の基本スタンスの違いが原因かも知れないと思っていますが、どうなんでしょうか。房江さん、リチャードさん、もしひまがあれば教えてください(2002年2月22日)。


イギリス人とフランス人はアメリカ人が嫌いなようです

上の質問に房枝さんがお答えくださいましたので、またメールを以下に引用させていただきます。


アメリカ人嫌いはフランス人のほうがイギリス人よりひどいようで、アメリカ人がパリに行くと、カフェで硬くなったパンを出されたり、いろいろ意地悪されるそうです。イギリス人は口で(陰で)批判はするけれど、そういう意地悪はしないのではないかと思います。

ヨーロッパから見ると、アメリカはもともと植民地だったのにすっかりのし上がってしまったので、成り上がりの田舎者、というイメージが強いのです。洗練されていない、電車の中でも声高にしゃべる、やたらと買い物しまくる、どこに行ってもマクドナルドのハンバーガーを食べる、等がよく聞かれる批判です。

私から見ると、ジェラシーの混じったいわれのない偏見という感じがするのですが、こちらで会うアメリカ人旅行者の中には、こういうイメージにぴったりあてはまる人も結構います。

また政治の世界では、軍事攻撃や経済制裁等、確かに自国の力を乱用していると思われても仕方のない面もあります。日本人が大した理由もなく他のアジア人を見下す心理と似ています。日本にいた頃フランス人の友だちがアメリカ人に間違われて憤慨し、相手に「あなたは韓国人ですか。」と言ってやった、というエピソードもあります。

最近は少なくなりましたが、イギリス人はアイルランド人をばかにし、フランス人はベルギー人をばかにして、いろいろなジョークができています。これも歴史的な理由によるようですが、要するに自分たちより下の人間がいると思いたいのでしょう。

概して知識人のほうがアメリカ人嫌いが多く、アメリカ人のほうも教養のある人ほどヨーロッパ・コンプレックスが強いようです。

見かけと中身のギャップはアメリカ人よりイギリス人のほうがむしろ大きいと思います。ヨーロッパの人間はしたたかですから、そう簡単に自分を見せません。(私もイギリス人と結婚しなかったら、こんな裏の裏まで知りえなかっただろうと思います。)

ちょっと内容が古いですがジェーン・ウオームズレーの『イギリス的生活とアメリカ的生活』(河出書房新社)を一読してみてください。イギリス人と結婚してロンドンに住むアメリカ人女性ジャーナリストの書いた本ですが、なかなかおもしろいですよ。自分で実際に経験しないとぴんとこないかもしれませんが・・・。

日本の痴漢に関しては、これも在日外国人女性の間では不評ですが、男性は被害にあうことが少ないので(ホモの痴漢もいるそうですが)気にならないのでしょう(つまり男女差も考慮に入れる必要があるということです)。 やはりフランス人の女性が電車の中で痴漢にあい、相手の手をぎゅっと握って高くあげて「これは誰の手ですか。」と言ってやった、というエピソードもあります。これなども目立つのが嫌いなイギリス人にはできないことでしょう。もっともフランス人が皆こういう反応をするわけではないと思いますが、個人差を言い出したらきりがなくなって一般論ができなくなりますからね。

こういう話を始めるときりがなくなるのですが、きょうはこのくらいにしておきます。

Fusae (房枝)


以上が、引用です。房枝様、お忙しいなかで、メールをいただいてどうもありがとうございました。ご紹介いただいた『イギリス的生活とアメリカ的生活』は図書館で探してみます。

房枝さんのお話によれば、フランス人とイギリス人のアメリカ人嫌いは私が考えていた以上に深刻なようですね。

どうもこれは、この3カ国の人々の考え方や生活習慣がかなり類似していることも関係しているのではないかという気がしてきました。まず、3カ国ともキリスト教国といえます(この点については、問題58(宗教)をご参照ください)。イギリスとアメリカの文化の類似性については、旧宗主国(植民地の所有国)と旧植民地という関係から当然といえますが、フランスとアメリカも、フランス革命の際に発表された人権宣言がアメリカ独立宣言を参考にしていたほか、アメリカ独立戦争にはフランス人も、反英のためという面もあったようですが、多数参加したことからも分かる通り、古くから密接なつながりがありました(余談になりますが、フランス革命200周年に当たる1989年にフランス中央部のオーベルニュ地方を家族で旅行していたときに偶然、米国独立戦争に参加したラファイエットの生家の前を通りかかりましたので見学してきました。生家は広大な邸宅で、博物館になっていましたが、フランス革命ゆかりの場所であるため、特別な装飾が施されていて、多数の入場者で賑わっていました)。イギリスとフランスとは、隣同志で、たびたび戦争を起こし、お互いに支配したりされたりという関係でしたが、20世紀に入ってからは、基本的に親密な関係を維持してきたようです。

言語や習慣にあまり類似性のない国民同士がいがみ合うというのは、経済摩擦でもない限りあまり考えられないのではないかと思います。日本と韓国のように、人種的にはほとんど差がなく(この点については、問題49(民族)をご参照ください)、言語も他言語と比較すると、極めて似ている場合に、文化的な摩擦が起こりやすいような気がします(さらに、日韓の場合には、植民地支配の歴史も影響しているのは明らかです)。余談になりますが、言葉が(失礼な言い方ですか)「きたない」と感じるのも、ある程度似た言語であるためである場合が多いようです。例えば、ドイツ人にとってのオランダ語、フランス人にとってのスペイン語、ポルトガル語、イタリア語、日本人にとっての韓国語(これらの逆の関係も当然考えられます)などが、言葉が似通っているために「きたない」と感じる言語の例ではないかと思います。全く、異なる言語の場合には、ちんぷんかんぷんであるため、「きたない」とか「うつくしい」と感じることはあまりないような気がします。

イギリス人とフランス人がいくらアメリカ人と一緒にしてほしくないと思っても、私のようなフツーの日本人からみると、結構似ている面があると考えるのは、それほど見当外れではないような気もしてきましたがどうなんでしょうか。

房枝様、リチャード様、おひまが出来たときにでもまた、言語学の専門家としてのご意見をお聞かせいただければと考えております。

(2002年3月17日追記)


日本語と朝鮮語の関係を言語学的にみると

3月29日に房枝さんから、日本語と朝鮮語の言語学上の分類についてメールをいただきましたので、ご紹介させていただきます。


世界の言語の分類から言いますと、インド・ヨーロッパ語族のうち、英語、ドイツ語、オランダ語等はゲルマン語派に属し、フランス語、スペイン語、ポルトガル語等はロマンス語派(またはイタリック語派)に属します。この2つとスラブ語派とが印欧語族の3大語派です。

一方日本語と韓国語(朝鮮語)はウラル・アルタイ語族に属するという説もあったのですが、これは系統が証明されておらず、現在はアルタイ諸語の中に位置付けられています。

因みにアルタイ諸語と親族関係があると見られていたウラル諸語には、フィンランド語、ハンガリー語等ヨーロッパの言語も含まれています。(この中にはトルコ語も含まれているのですが、こちらではトルコをヨーロッパの一部と呼ぶのは抵抗があるようです。)いずれにしろ、印欧語族ほど系統的研究が進んでいません。

中国語はまた別で、シナ・チベット諸語の一つ、タイ語、チベット語等と親族関係にあると見られていますが、これも明らかにされていません。


房枝さん専門家としてのご意見ありがとうございました。私には、専門的なことはよく分からないのですが、テレビのニュースなどで話されている韓国語(朝鮮語)を、字幕と比較すると、非常に日本語に似ていることが分かることがあるため、私は日本語と朝鮮語は非常に近いと思っています。駐日米大使だった故ライシャワー氏も、日本語ができれば、朝鮮語をマスターするのは簡単だというような話をされていたと記憶しています。どうも、日本語に一番近い言語は朝鮮語であるのは確かなのではないでしょうか。

2013年6月8日追記:2002年5月14日に、東京在住30年という読者のSF様が、問題60(社会)についてご意見をお寄せ下さいましたので、ご本人のお許しを得て、「最近気付いたこと」の『「問題60(社会)混んだ電車の乗り降り(個人的経験)」というメールをSF様がお寄せくださいました』でご紹介し、最後に私の意見を付け加えさせていただきました。SF様どうもありがとうございました。

・問題集に戻る ・最初のページに戻る