パリのデパートで日本の高校生がシャネルやルイ・ヴィトンを買いあさっていました

昨年12月上旬に、現在の会社に入社して以来初めて、仕事でロンドンに行って来ました。帰りに、パリにも寄りましたのでそのときの話をいくつかご紹介します。

フランス人には異様な光景に映ったのでは?

・パリもロンドンもクリスマスのための買い物ですごい人出でした。今回の旅行で一番驚いたのは、パリのギャルリー・ラファイエットというデパートに、おみやげを買うために行ったときに、制服を着た日本の女子高校生が、店内をグループで歩き回っていて、しかも、シャネルやルイ・ヴィトンなどの高級品を買いあさっていたことでした。このデパートで1,200フラン(当時のレートで1万8,000円)以上買い物をすると、付加価値税を還付してもらうことができるのですが、免税手続きの窓口には、提携先の松坂屋の社員の方がいらっしゃるため、日本語で手続きすることが可能です。その免税窓口にも、高校生がたくさん来ていました。また、松坂屋の方のお話では、東京と福岡の高校生の団体が入っているそうで、これら高校生は驚くほど気前よく買い物をしていたそうです。

これは、二つの理由のために、フランス人には異様に映ったのではないかと思います。第一に、フランスには何度も行っていますが、制服というものは見たことがありません。多分、現在では学校の制服というのは、ほとんどないと思います。名門の理工科大学校には昔は制服があったという話は聞いたことがありますが、それ以外の学校については制服の話は聞いたことがありません。そんな国に、制服を着た団体が押しかけたら、異様に映るのではないかという気がします。

第二に、フランスでシャネルやルイ・ヴィトンの製品を購入するのは、お金持ちで、一般庶民は、こういう物はほとんど買わないようです。ところが、日本では普通の女性が何万円もする、ビニール製のルイ・ヴィトンのバッグなどを平気で買っています。さらに、高校生までが、これらの高級品を買いあさるのをフランス人が見たら、理解に苦しむのではないでしょうか。

「サラエボ・モスタルの近況」(2000年7月16日)を報告していただいた、田島光梨(ひかり)さんも、クリスマス休暇で日本に帰る途中のミュンヘン空港で、制服を着た日本の高校生の団体を見かけたそうですが、光梨さんもやはりびっくりされただけでなく、場違いな感じを受けたそうです。

高校生が高級品を買いあさるというのは、異様な光景ですが、この責任を高校生だけに負わせることはできません。むしろ、日本全体がまだバブルの夢から覚めていないことを示すものだと思います。また、高校生が欧州に修学旅行に行くのはおかしいと言っているのでもありません。日本人にとっては当たり前となっていることでも、海外では異様にみられる可能性があるということを認識する必要があると思います。上野駅に制服の高校生が並んでいてもさほど違和感はありませんが、小旗を掲げたバスガイドに先導された制服の高校生の団体がシャンゼリゼ大通りを行進したとしたら、ひんしゅくを買うだけでなく、ニュースになるかもしれません。修学旅行で海外に行くのでしたら、軍隊を連想させる制服ではなく、一般の人にとけ込めるような、カジュアル・ウエアにして、さらに、あまり大人数で動き回らないようにする方がいいのではないでしょうか。

(左の写真は、ギャルリー・ラファイエットのとなりのデパート、プランタン前のクリスマスの飾り付けです。プランタンの方は日本にも進出しているのでご存知の方も多いと思います。)

究極のチョコレート

『タビト2―パリ』という旅行案内書でみつけた、パリのチョコレート店、「クリスチャン・コンスタン(Christian Constant, 37 Rue d'Assas 75006, tel. 45 48 45 51)」のチョコレートは芸術品です。チョコレート大好き人間で、パリの料理学校、コルドン・ブルーでチョコレートの勉強をしたことがある、友人のグレースさんは、これまでに食べたチョコレートで一番おいしかったとおっしゃっていました。それほどチョコレートに詳しくない私もそう思いました。下の図は、チョコレートの箱に入っていた説明です。チョコレートの形から味とかフレーバーが分かるようになっています。またこの説明書は、仏英対訳になっていますので、便利です。チョコレートは大きく、1. 花と香料、2. スパイス、3. 酒精、リキュール、4. ドライフルーツとナッツ、5. 永遠の人気商品の、5種類に分類されています。



チョコレートの形が一つ一つ違うことから、手作りであることが分かります。最大の特徴は、種類ごとにそれぞれ味と香りが違っている点で、アジアを中心とした地域から集められた材料の風味がうまく生かされていると思いました。また、前記の旅行案内書、『タビト2―パリ』では、パリのチョコレート店の紹介文の最初にこの店が紹介されており、「クリスチャン・コンスタンのピュアなココアを使った、糖分の低いチョコレートは、食通のあいだでも人気が高い」そうです。

店の真ん中の柱に、「EuroChocolate Award 1999」(欧州チョコレート大賞、1999年)という皿が飾られていました。この店のチョコレートは、フランスだけでなく欧州全体でみても高く評価されているようです。また、Christial Constant 氏はチョコレートについての本も書かれているようで、2冊の本が販売されていました。チョコレートの価格は100グラム(かなり小ぶりのチョコレートが約25個くらいになります)で125フラン(当時のレートで1,900円)とかなり高価でしたが、それだけのことがあると思いました。

店はRue de Fleurus (フリュリュス通り)と Rue d'Assas (アサス通り)の交差点にあります。 地下鉄の最寄り駅は、Rennes、St. Placide, Notre Dame des Champs ですが、地下鉄をLuxembourg (リュクサンブール)で降りて、リュクサンブール公園を横切ったちょうど反対側になります。
リュクサンブール公園には、リュクサンブール宮がありますが(写真右手の建物)、ここがフランスの上院です。上院が公園の中にあるというのは、日本の国会議事堂の周りのいかめしさとは対照的な気がします。

公園に入ったら、リュクサンブール宮の前を横切り、池を回り込む形で直進したところにある出口につながっている通りがRue de Fleurus です。

写真の池では、赤ちゃん連れの二人のお母さんが、多分、赤ちゃんに鳥を見せるために、鳥に餌をやっていました。夏に来たときには、この池の周りに、子供なら両手で抱えるくらいの大きさの模型のヨットを貸し出す貸しヨット屋さんが出ていて、たくさんの子供がヨットで遊んでいました。
リュクサンブール公園を囲んでいる柵ではときどき写真展が開催されているようで、私が行ったときには、「La Terre vue du Ciel」(空から見た地球)という写真展が開かれていて、先生に引率された小学生のグループがたくさん来ていました。
中央の男性の方が先生らしく、子供達に写真のことを説明されていました。

ロンドンの新名所・・・・・・ロンドン・アイ

1999年中に完成させる予定がずれ込んで、2000年初めに開業した、ロンドン・アイ(正式には、British Airways London Eyeと呼ばれ、英国航空が経営しているそうです)という世界最大の観覧車(observation wheel)がロンドンの新しい名所になっています。完成が遅れたときに、英国航空の商売敵(がたき)であるヴァージン・アトランティック航空が、「英国航空は(観覧車を)立てられない」(BA can't get it up)と大きく書いた熱気球を上空に飛ばしたそうです。

ビッグベンのすぐ近くのテームズ川に乗り出すように立っている観覧車からは、バッキンガム宮殿、シティーなどロンドンの主要な建物を見ることができました。大変な人気で、11時くらいに搭乗券を買うための列に並ぼうとしたら、今買っても乗れるのは5時頃になると言われました。そのため、私のすぐ前に並んでいた人は帰ってしまいましたが、私は、また戻ってくればいいと思って券を買ったところ、12時くらいに乗ることができました。イギリス人の言うことを、真に受けると損をすることがあるようです。

左の写真は最高地点辺りから撮ったものです。右手にビッグベンが見えます。観覧車には25人乗りのカプセルが32個付いていて、30分で1回転します。また、高さは135メートルで、ロンドンで4番目に高い建造物となり、晴れた日には、最大で40km先まで見ることができるそうです。

もっと詳しく知りたい方は、ロンドン・アイのホームページ( http://www.british-airways.com/londoneye/ 、URLをクリックするとつながります)もご覧ください。最初の画面で、Viewというボタンを押すと、観覧車から東西南北を見た写真が現れ、techでは採用された技術、build ではどのような方法で建設したか、pastでは観覧車の歴史、infoでは営業案内を見ることができます。また、最初のページの写真の部分をクリックすると、ロンドン・アイのリアルタイム画像が10秒ごとに更新されて、回転していることが分かります。
同じく2000年に改装工事が完了して新たに公開された、パリのポンピドー・センターも大変な人気で、長い行列ができていました。

アミアン・・・ユーロスターを途中下車して訪問する価値のある町

ロンドンからパリに移動するときに、ドーバー海峡の下を海底トンネルで通るユーロスターを利用しました。どこにも止まらないのはもったいないと思って、フランス最大のゴシック大聖堂(奥行き145m、幅70m、内部中央の天井の高さは43m)で有名なアミアン(Amiens、人口13万6,000人)を訪問しました。アミアンは、アベ・プレヴォの小説、「マノン・レスコー」の主人公、シュバリエ・デ・グリューが哲学を修め、そのあとで、修道院に向かう途中のマノン・レスコーに偶然出会った町でもあるため、一度訪れてみたいと思っていた町でした。



左が大聖堂を正面から見たところです。昼の12時から2時までは昼休みで閉館となるため、閑散としていました。1日に何回か鐘楼(しょうろう、左右の塔の部分)の上までガイド付きで登ることができます。その際に、中央上部のバラ窓(円形の部分、フランス語では、バラの花、la rose がそのままバラ窓という意味にもなります)の部分も間近に見ることができました。バラ窓の外側を近くから見ることができるのは、アミアンの大聖堂だけであるとガイドの方はおっしゃっていました。上の写真は大聖堂を後ろからみたところで、中央の尖塔(高さ112m)が特に有名です。


左が巨大なバラ窓外部です、バラ窓の桟(さん)に割れたように見える部分があるのは、風圧がかかったときに、柔軟に変形できるための工夫だそうです。

アミアンは昔、綿織物やビロードの産地として栄えた町で、大聖堂のすく近くには、その積み出し港だった一角(Port d'Amont)があり、現在では観光スポットとなっています(上の写真と、左下の写真)。

上の写真は鐘楼の上の高さ60mのところから町の中心部を撮ったものです。クリスマスのイルミネーションがいろいろな通りで点灯しているのが見えます。
左の写真中央の建物は、ジュール・ベルヌ資料館(centre de documentation Jules-Verne)です、『80日間世界一周』や『海底2万哩(マイル)』を書いた小説家で、風景写真アルバムの「明け方のビアリッツ」でもご紹介したジュール・ベルヌが晩年の1882年から1901年まで住んでいた家です。ここから200m位離れた公園内に、ジュール・ベルヌの石像も立っています。資料館では、ジュール・ベルヌの原稿、書籍や、ディズニー映画、『海底2万哩(マイル)』に登場した、潜水艦、ノーチラス号の模型などが展示されているほか、復元された書斎に入ることもできます。ただし、館内はガイド付きで回ることになっていて、説明は英語またはフランス語だけです。

写真右手は公園で、道路よりかなり低い切り通し(または、雨どい型のくぼ地)のようなものが道路に平行に細長く続いています。ジュール・ベルヌが住んでいた時代には、すでにここを蒸気機関車が走っていて、煙がひどかったために、体調を崩したことがきっかけとなって、ベルヌはこの家から市内の別の場所に引っ越したそうです。ベルヌは、その引っ越し先の家で亡くなったそうです。
これまでに訪問した町の中で、これほど、どこを撮っても絵になる町はありませんでした。この辺りは、色を塗った家が多いことが特徴となっているサンリュー地区(Saint-Leu)地域です。建物が傾いているように見えるのは、実際に傾いているためではなく、広角レンズのゆがみのためです。
アミアンに行くのに一番いい途中下車の方法は、ユーロスターをリールで降りて、フランスの新幹線TGVに乗り換え、オート・ピカルディー(Haute Picardie) という駅で降りて、そこからバスを利用するという方法だと思います(このルートの列車とバスの運行時間はトーマス・クックの時刻表に載っています)。ロンドンからリールまでのユーロ・スターの運賃は80ポンド(当時のレートで約1万3,000円、ただしWeekender 料金)、リールからオート・ピカルディーまでのTGVの運賃が99フラン(同じく、約1,500円)、オート・ピカルディーからアミアンまでのバス(40分かかりました)代は42フラン(同じく630円)、アミアンからパリ北駅までの在来線の運賃は、98フラン(1,470円)でした。これらを合計しても1万6,600円と、ロンドンからパリまでユーロスターに乗った場合の料金(100ポンド、約1万6,300円、Weekender 料金)を300円上回るだけで済みます。

ロンドンのウォータールー駅を朝の6時14分に発車するユーロスターに乗ると、9時18分にリール・ヨーロッパ駅に着き、ゆっくり切符を買って10時04分リール・ヨーロッパ駅発のTGVに乗ると10時51分にオート・ピカルディーに着きます。オート・ピカルディー11時30分発のアミアン行きのバスに乗ると12時10分頃に国鉄(SNCF)アミアン駅(在来線)に着きます。アミアンからパリまでは、在来線を利用しますが、 SNCFアミアン駅からパリ北駅までの乗車時間は1時間10分程度と短いため、かなり遅くまでアミアンにとどまることができます。この線は、夕方だと1時間に3本くらいの間隔で列車が走っており、最終は22時05分発でした(2001年1月7日)。

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