『犬と鬼』についてのメールをいただきました
問題64(社会)でご紹介した、『犬と鬼--知られざる日本の肖像』(アレックス・カー著、講談社刊)について、房枝さんと、ご主人で言語学者のリチャードさん(お二人には、「10年ぶりに海外旅行に行って来ました」と問題60(社会)の答えにもご登場いただきました)と、友人のY.S.さん(「おじさんの逆襲」にもご登場いただきました)にメールをいただきました。皆様から掲載のお許しを得ることができましたので、ご紹介させていただきます。
(1)リチャードさんと房枝さんからのメール
昨年は房枝さんにいろいろとお世話になったため、年末にこの本の日本語版と英語版をお二人にお送りしましたところ、メールをいただくことができました。リチャードさんのメールは英語ですが、その下に房枝さんにチェックしていただいた私の翻訳を付けました。その下に、房枝さんのメールと私のコメントを付けました。
Dear Masa (if I may call you that)
I applaud your concern for what has been happening to the Japanese environment. I have been to Japan twice, and each time I was so well received and looked after by my hosts that it was difficult to say or even think anything negative about the country. The Japanese are so polite that it seems rude to make any critical comment at all, even though the situation is so serious. But now I look back on my visits I think the Dogs and Demons book is right, as regards the monuments and other sights.
I visited Kyoto in 1990 and was less than impressed by the city as a whole.
The temples are very impressive, but that is all I remember. The rest just
seemed very ordinary. In Tokyo, I remember the Imperial Palace, which is
large and therefore makes a very good overall impression. But that was
the exception - usually it was exactly Alex Kerr described in his book.
You needed a special kind of restricted vision just to see the nice things
and block out the rest.
I went to Japan again in late 1997 and saw some nice places. I liked the temples in Kamakura, and the town was fairly unspoilt, though nothing special. The nicest place in some ways was Kawagoe, because here the old houses remain, and the old wooden bell-tower. The old town is authentic and still lived-in. I hope no officials have destroyed it yet.
I am afraid to say that honestly I would not recommend Japan as a tourist destination, because the cost is completely disproportionate to the interest of what there is to see.
Nevertheless I suspect the book is rather one-sided. From a Japanese perspective, perhaps the most important thing has always been to retain economic independence. If I was Japanese I might look at what is happening in South America and Africa and think that the degradation of the environment is not the worst thing that can happen to a country.
Anyway, thank you for such a thought-provoking book. I have started to discuss it with Fusae, and we are very concerned about developments.
メールの途中ですが、ここに翻訳をいれさせていただきます。
Dear Masa (そう呼んでよろしければ)
日本の環境に起こってきたことに対するあなたの懸念に拍手を送ります。私は日本を2回訪問したことがありますが、2回とも大変な歓迎を受け、多くの方々にひとかたならずお世話になったため、日本について否定的なことを言うのも、また考えることさえも難しいことでした。日本人は大変礼儀正しいので、たとえ状況が深刻であってもどんな批判的コメントを述べるのも失礼に思われます。しかし、2回の訪問のことを今思い出してみると、記念建造物その他の名所について『犬と鬼』に書いてあること(引用者注1)は正しいと思えます。
私は1990年に京都を訪問しましたが、都市全体についていえば、あまり強い印象は受けませんでした。寺や神社は大変印象的でしたが、覚えているのはそれだけです。寺社以外は、ごく平凡な都市のように見えました。東京では、皇居が、規模が大きいこともあって、全体として非常にいい印象を受けました。しかし、皇居は例外で、たいていの名所はアレックス・カー氏が『犬と鬼』で描いた通りでした。いいものだけを見て、残りのものを見ないためには、特別な見方が必要でした。
1997年末にも再度訪日して、いくつかの魅力的な場所を訪問しました。鎌倉の寺社は気に入りましたし、鎌倉市街も昔の良さがかなり残っていましたが、特別印象に残るものはありませんでした。ある意味で、一番印象的だったのは(妻の実家がある)(埼玉県の)川越でした。というのは、この街には古い家が残っており、古い木造の鐘楼(『時の鐘』)もあるからです。古い街並みは本物で、今でも人が住んでいます。お役人がこの街をまだ破壊していないといいのですが。
正直に言って、観光旅行の目的地として日本は人に勧めたくありません。日本を訪問して見ることができるものの価値が、訪問するための費用と全く見合わないためです。
それにもかかわらず、この本の見方は一面的ではないかと感じています。日本人にとってみれば、経済的な独立を守ることが常に最重要事項でした。もし、私が日本人なら、南米やアフリカで起こっていることを見て、一つの国に起こりうることのうちで環境の悪化は最悪のことではないと考えたかもしれません。
とにかく、こんなにいろいろと考えさせるような本をありがとうございました。この本のことについて、妻と話し合うようになりましたが、今後の推移を非常に懸念しています。
(注1)---例えば、182―183ページには次のように書いてあります。『国内外の観光客が日本にそっぽを向いた理由はいくつかある。・・・・ほんとうの理由・・・は、お金をかけて日本を旅しても、美しい景色や快適さという形での見返りが期待できないことにある。京都の禅寺にある石庭がどれほど素晴らしかろうと、庭を一歩出たが最後、ごちゃごちゃゴミゴミした現代の街並みがいやおうなく目に飛び込んでくる。ホテルに戻れば、てかてかしたポリエステルの壁紙に派手なシャンデリアといった内装に取り囲まれる。有名な滝や海岸の松林に出かけても、視界をよほど狭めないかぎり、コンクリートの土手を締め出すことはできない』
以下は、メールの続きで、房枝さんが書かれた部分です。
英語版ばかりか日本語版まで送っていただいてありがとうございました。日本が経済発展のために環境を犠牲にしてきたことは承知していましたが、これほどとは思いませんでした。国内だけではなく東南アジア等でも日本の会社が開発のために環境破壊を行っていますよね。
花粉症については異論があります。日本だけではなくイギリスおよびヨーロッパでも花粉症(hay
fever)は多いですが、シーズンは5月から7月あたりです。原因はブタクサだとか言われています。
私は日本にいた時からひどかったのですが、マレーシアでは出ませんでした。イギリスに来てからも毎年悩まされていたのですが、マクロバイオティック食養法を始めてからぴたっと治ってしまったのです。方法としては花粉症の季節だけでも卵と乳製品を断てば良いのです。その代わり少しでも卵や乳製品を取るとたちまち目がかゆくなったり、くしゃみが出たりします。花粉症の原因はいろいろ考えられますが、杉よりも戦後の食生活の変化のほうが大きな要因だと思います。アトピーも食生活が主要因でしょう。
イギリスもサッチャー以来の資本主義が浸透してきて、イギリス人の価値観も経済中心のアメリカ人や日本人に似てきました。(日本はアメリカの51番目の州、イギリスは52番目の州だそうです。)でもボランティア活動が盛んで環境保護団体等がうるさいですから、日本のような環境破壊は行われないでしょう。
日本人は政治に無関心なのか政府に対する批判もあまり強くないですよね。こちらではアメリカ一辺倒のトニー・ブレアの人気は落ちる一方です。民営化した鉄道会社にお金儲けのために安全を犠牲にして鉄道事故を起こさせているのも批判の的の一つです。
水俣病の研究をしていた熊本大学の先生が離職しなければならなかった話ですが、こちらでも同じようなことがありました。政府が推し進めているMMRという予防接種が自閉症の発生に関係があるという研究を発表したDr.
Wakefieldが去年勤め先のロンドン大学University Collge(私とリチャードの母校の一つ!)をクビになったというニュースはショックでした。(今はアイルランドにいるようです。)
経済に重きを置きすぎればいろいろ問題が起きてきます。安全無視、環境破壊、精神的ストレス等たくさんあります。要はこういう問題に対して目をつぶらず批判し続けることだと思います。
Richard & Fusae
以上がお二人のメールです。
リチャードさん、房枝さん
『犬と鬼』についてのコメントをどうもありがとうございました。リチャードさんも房枝さんも、いくつかの重要な点で、アレックス・カー氏と同じ意見をお持ちのようですね。アレックス・カー氏の見方は特別なものではないということが分かって、大変参考になりました。私のように海外に住んだことがないと、自分の国や、自分の国で当然だと思っている考え方を客観的に見ることができなくなるのかも知れません。私にとって『犬と鬼』は、自分の考え方の中にあった、これまでは気づかなかった矛盾点(例えば、「和」の精神とか、自然を愛でる心などに関係する矛盾点)を明らかにしてくれたという意味で、発見に満ちた本でした。貴重なお時間をこの本のために割いていただいただけでなく、コメントまでお送りいただいて本当にありがとうございました。
メールを拝見しますと、リチャードさんは、京都や鎌倉よりも房枝さんの御出身地である川越が印象的であったとおっしゃっていますが、私やかみさんも川越はお気に入りです。特に気に入っているのは、「蔵作りの街並」などの古い蔵が保存された地域に電線がない点です。京都や鎌倉にも、町中にこれほど徹底して電線を排除した地域はないような気がします(下の写真は2000年に訪問したときに撮ったものです)。この写真から、電線がないことによって、町の雰囲気がいかにすっきりするかが分かっていただけると思います。
下の写真は去年(2002年)訪問したときに撮った「菓子屋横町」です。駄菓子屋が並んでいるだけですが、ここも電線がないため、すっきりとした街並みになっています。残念ながら、所々に柱上変圧器を載せた電柱が残っていましたがこの程度なら許せます(正面の角に見える電柱です)。写真を趣味にしている者にとって、日本で風景写真を撮るときの最大の障害が電線のような気がします。
また、房枝さんのお話によれば、花粉症を治すためには、花粉症の季節だけでも卵と乳製品を断てば良いそうですが、これはお金もかからないため、花粉症の方は試してみる価値があるかもしれませんね。
リチャードさん、房枝さん、どうもありがとうございました。
(2)Y.S.さんからのメール
Y.S.さんが、航空会社の「バースデー割引」を利用して、昨年末に東京に遊びにいらっしゃったときに、アレックス・カー氏の『犬と鬼』と『美しき日本の残像』(第7回新潮学芸賞受賞、朝日文庫に収められています)のことが話題になりました。好奇心の強いY.S.さんは、2000円以上は送料が無料になるAmazonで早速入手され、社長業の傍ら読書された印象を、メールを2通でお送りくださいましたので、掲載させていただきます。
2003年1月21日付のY.S.さんのメール
『オリエンタルホテルのテラスでジントニックを3杯飲んだはなし』
アレックス カーの、小倉さんにお勧めいただいた2冊の本読みました。もう一度読み返しています。 若い頃、札幌にも美しい建築物や、美しい景色が少しはありました。ところで当時、今建設中のこのただの箱のような建物は将来年月が経ってこれらの古くて美しい建物のようになれるのだろうかと、眺めていた自分を思い出します。昨夜のTVのニュースによれば、日本のダムが初めて一つ解体され、自然を回復する試みがされるそうですね。汚い風景をいつも認識しつつもあきらめていました。これから自然環境を回復していくにしても、数百年はかかるでしょう。こういう時にいつも思うのは、自分の目では殆ど見ることが出来ないのだなという虚しさだけです。
1月の6日から9日間、タイのバンコクに行ってきました。友人と5人で毎日違うゴルフ場に行きましたから、バンコクの中心部からあらゆる方向へ1時間くらい車で往復したので周辺の景色を沢山見ました。バンコクに限って言えば新旧渾然とした雑多な大都会です。周辺部の農村も貧しく、汚く、日本の比ではないと言う印象でした。でも、東京のような疲弊した雰囲気は感じられないのはどうしてなんでしょう。都心部は40階〜60階の高層ビルがどっさり建っていますし、その真下では昔ながらの生活が続いて居たりします。
オリエンタルホテルの、かの有名なテラス(引用者注2)でジントニックを三杯も飲んでしまいました。夢のような世界です。男も女も日本の人たちのように高級な物を身につけていたりはしないし、色も白と黒など一見質素なのに姿勢が良く、毅然とした佇まいが感じられました。やはり遠くから見てもなにかしら緊張感の無い、美しくない様に見えるのは大抵日本人でした。タイの女の人に、日本の女の人は見たらすぐわかりますかと、尋ねたら、う〜ん、脚が短いね〜と、言っていました。男はどうかと、聞こうと思ってやめました。
(注2)---『犬と鬼』の冒頭(5ページ)にオリエンタルホテルが出てきます。その部分から少し長いのですが引用させていただきます。
この本を書こうと思い付いたのは、1996年、バンコクのオリエンタルホテルのテラスで旧友のメリット・ジャノウ女史とコーヒーを飲んでいた時のことだった。その日の情景は今もはっきり記憶に残っている―川沿いにはオフィスビルと一流ホテルが倉庫やタイ伝統の返った屋根の寺院と交わり、川にはチーク材の米船、娯楽用のヨットや石炭を積んだ貨物船など、さまざまな船舶が往来していた。その鮮やかな光景を眺めながらふと耳を傾けると、横のテーブルではドイツ人ビジネスマンたちがアジア向けの新しい衛星システムについて話し、その隣にはイタリアの新聞を読む男性、そして向こう側では若いタイ人とアメリカ人のグループがベトナム旅行の計画を立てている。
メリットと私は東京、横浜で幼友達として共に育ったが、目の前の光景が、あまりに現在の日本と違うことに気が付いた。まず近年、日本を訪れる外国人は少なく、居住者となるともっと少ない。その中で新たにビジネスをスタートさせようと考えている人たちは、ほんのひと握りにすぎず、いずれにしても彼らが日本に与える影響はゼロに近いだろう。英字新聞さえ置いていないホテルも多く、イタリアの新聞ともなればなおさらのことだ。
川の活気と華やかさは、単調な日本の街のそれとはまったく違っていた。これほどまでにイキイキした岸辺など頭には浮かんでこなかった―思い付くのは果てしなく続くコンクリートの土手だけ。突然、日本が世界の現代社会から遠く離れてしまった存在のように感じた。そこで思い付いた本のタイトルは―「無関係・日本」。日本はあまりにも長い間巧みに世界を排除してきたため、ついには置いてきぼりにされ、世界の流れと無関係になってきた。
2003年1月27日付のY.S.さんのメール
アレックス カーの本にタイ王国の事が沢山引用されていました。丁度読み終わろうとする頃にタイ旅行に誘われて、つい承諾しました。東京にいた頃、同じアパートの英国人も毎年タイに行っていたのを思い出します。今回の旅行のメンバーで初めての訪問者は僕だけで、最も多い人は15回目くらいだと言っていました。
タイ語、中国語については、なにやら高い調子の言語で、英語やドイツ語等に比べると珍奇な印象をもっていたのですが、実際に直に毎日聞いていたら実に魅了されました。
何故なのかゆっくり考えます。自分の軽薄さのことと合わせて。パソコンでタイ語辞書を探してインストールしましたが、考えてみたらこれを利用してどうやって文章を書けばよいのかと思ったら、キーボードに解決しなければならない問題があるという事が解ってがっくりしました。
----- 中略 (勝手に省略させていただいてすみません)----------------
タイで、旅行しているみんなと、日本人は遠目にもすぐわかるのはなぜかという話をしていました。姿勢が悪い、落ち着きが無く、きょろきょろ、おどおどしている、服装が派手である、態度がよくない、女は皆ルイ ヴィトンをこれ見よがしに持っていて中身と服装が不釣合いである、などと、こき下ろしていました。
ところが、買い物、飲食店等どこに行っても真っ先に店員から我々は日本語で話し掛けられるという事実も浮上しました。一人で居る時にですから何等かの要因で日本人だと気づかれているわけです。みんな早々にこの話題は切り上げました。
Y.S.さん、メールをどうもありがとうございました。Y.S.さんが、パソコンにタイ語辞典までインストールされるほど、タイ文化に魅了されていたとは知りませんでした。タイ人の日本人識別力は大変なもののようですね。しかも、その判断基準がみな否定的なものなのは、残念ですね。もっと残念なのは、われわれも、日本人に生まれた以上、そんな目で見られている集団の一員であることを逃れることはできないという点ですね。
私とタイとのつながりとしては、まずタイ料理が大好きなことです。週に1回以上は日比谷の『チェンマイ』というタイ料理店に行きたいと思っているほどです。それから、これまでにお目にかかったタイ女性の方々から判断して、タイ女性は世界でも最も「エレガント」という形容詞がふさわしいような気がします。また、私もタイには1989年夏に1泊2日だけ滞在したことがありましたが、全体として、30年くらい前(1960年またはもっと昔)の日本に似ていたという印象がありました。ところが、アレックス・カー氏の話では、最近では日本を追い越してしまったようですから、日本はほとんど進歩しなかったこの約14年の間に、タイの方は日本の40年分以上進歩してしまったようですね。これはまるで、兎(うさぎ)と亀の話のようですね。自分の足の速さを過信したために、眠り込んでしまい、起きてみたら、ほかの選手は、はるか先を進んでいたということのようです。
(2003年3月9日)