「わいせつの定義に成功した例はない」
問題の最初に引用させていただいた伊藤雅巳氏の発言は、「わいせつ取締」の問題点を明確に示しているのではないかと思いますので、少し長いのですが『インターネット術語集』の144ページに掲載されている部分〔出典は同氏の著書である、『憲法
第三版』(弘文堂、1995)〕をすべて引用させていただきます。
「わいせつとは何かという問いに答えた定義付けのうち、成功した例はないといってよい。それほど、わいせつの概念は、すべての人を納得させることのできない性格をもっている。しかし、社会には、わいせつなものを取り締まることに賛同する人びとが多い。そのため、支配者は、歴史上しばしば社会の秩序を維持するために、あるいは権力行使の支持を得るためにわいせつなものの取り締まりを強化した。それが、言論の自由一般への侵害につながったため、わいせつの取り締まりの強弱が表現の自由保障の程度を見るバロメーターであるとも言われている」
米国の通信品位法では、日本語の「わいせつ」という形容詞の意味内容を、「indecent:下品な」、「obscene:みだらな」、「patently
offensive:明白に不快な、または明らかにいやらしい」というようにさらに細かく分けて考えているようです。「indecent」という言葉は、適正な、ふさわしいという意味の「decent」に否定の接頭辞「in」が付いた言葉で、その場にふさわしくないというのがもともとの意味のようです。そのため、この言葉には、その情報を提供した本人は、情報を提供することをあまり問題とは思っていないにもかかわらず、周りの人には「下品」に映るというニュアンスがあるような気がします。ただ、日本の強制わいせつ罪は「indecent
assault」、公然わいせつ罪は「indecent exposure」と訳されているようです。これに対して、「offensive」は、「攻撃的な」という意味もあることから分かる通り、いやがらせをすることを目的として、意図的に不適切な情報が提供されたために、その情報を受け取った人が「不快」であるというニュアンスがあると思います。「obscene」は、ラテン語の汚いという意味の「obscaenus」から派生した言葉であることからも分かるように、その情報自体の特徴として、「みだら」であるという感じがあるようです(この辺の解釈はかなりの独断によるものですので、間違いがあればご指摘していただけませんでしょうか)。
連邦最高裁の違憲判決では、通信品位法の「(1)電気通信設備や双方向コンピュータサービス(引用者注:インターネット)において、いやがらせなどの目的でみだらな(obscene)、または下品な(indecent)コメント、提案、画像などを伝達した者あるいはどんな目的であれ、18歳未満の者を対象にそれらを伝達したり、18歳未満の者がアクセス可能な状態で展示した者、(2)事情を知りながら設備をそのような目的の利用に供した者は2年以下の懲役または罰金に処す」という条文について、このままでは違憲だが、「下品な(indecent)」という部分を取り除けば合憲であるとしています。つまり、みだらな(obscene)な情報を流せば違法ですが、下品な(indecent)情報を流しても違法ではないと認めたことになります〔このように法律の一部が裁判所によって無効とされても、残りの部分の正当性は保たれるという考え方は、可分性の法則(severability
doctrine)と呼ばれているそうです(『英米法辞典』東京大学出版会)。ただ、あとで触れる「より制限的でない、ほかに選びうる手段の基準」のために、全体として違憲とされました。〕。
日本でのわいせつの法律上の定義は、1957年のチャタレー裁判の最高裁判決(1957年)に示された「3要素説」が支持されているそうです。つまり、(1)<徒に(引用者注:いたずらに、つまり、むやみに)性欲を興奮又は刺激せしめ>、(2)<普通人の正常な性的羞恥心を害し>、(3)<善良な性的道義概念に反するもの>という三つの要素があるかどうかを総合的に評価することによって、わいせつかどうかが判断されるそうです〔平凡社刊『世界大百科事典』の猥褻(わいせつ)の項〕。
米国でのわいせつの法律上の定義は、1973年のミラー判決で示された、米国版の「3要素説」が支持されているそうです。米国の場合には、(1)全体を通じて平均人の好色的(prurient)興味に訴えるものであること、(2)法律で示された性行為を明らかにいやらしい(patently
offensive)方法で表現していること、(3)真面目(まじめ)な文学的、宗教的、政治的、科学的価値を持たないことという3要素を相互に独立に評価して、わいせつかどうかが判断されるそうです。日本の場合は、一つの要素が当てはまらなくても、裁判官が「総合的にみて」わいせつであると判断すれば、わいせつとされるのに対して、米国の場合は、これら3要素のうちの一つでも当てはまらなければ、わいせつとされないことになります。
ただ、これらの定義も、「普通人」または「平均人」の教育、宗教、政治、人種、地域、民族、時代、年齢に左右されるため、判断者の主観性を完全に排除するのは不可能なようです。
未成年者に有害な情報を伝えないための方法が問題となった
最高裁判決でも未成年者を有害情報から保護する必要性は認めています。問題となったのは、その方法だったようです。「みだらな(obscene)、または下品な(indecent)コメント、提案、画像など」を規制しようとしても、その定義があいまい過ぎて、「一人ひとりの人の考えが違うように多様な」インターネットのコンテンツ(連邦地方裁判決の表現)を規制するのには不適当であるというのが、最高裁の判断でした。
あいまいな表現を含んだ通信品位法に違反すると刑事罰が科せられるため、一般人がインターネット上で言いたいことを言えなくなるという意味で、連邦憲法修正第1条(言論や出版の自由を制限するような法律は制定してはならない)に違反するのは明白であると最高裁は指摘しています。このような、言論の抑制効果を「委縮効果(chilling
effect)」、また、あいまいな内容の法律は無効であるという基準を「あいまいゆえに無効の基準」と呼んでいるそうです。
また、連邦憲法修正第1条では、ある目的を達成するために、ある法律が採用した方法よりも、言論を制限する程度の低いほかの方法がある場合には、その法律は違憲であると定めているそうです(「より制限的でない、ほかに選びうる手段の基準」)。また、政府は法律を制定する際に、このような「より制限的でない方法」がないことを証明する責任(「挙証責任」)があるそうです。連邦最高裁は、通信品位法がこの基準にも反しているのは明らかであるとも、指摘しています。たとえば、未成年がアクセスできないようにする技術(たとえば、子供にみせたくない情報を、受信者のパソコンに設置したソフトウエアの機能で排除するフィルタリングソフト)など、ほかの方法について、この法律は十分には検討していないと、連邦最高裁は判断しました。
「明確性」に欠ける改正風営法
日本の改正風営法では、インターネットでポルノ的な映像を送信する業者(「映像送信型風俗特殊営業」と名付けられています)は、社名、代表者名、所在地などを管轄する公安委員会に届出なくてはならず、18歳未満の未成年者を客にできないように、電気通信事業者への料金徴収の委託を禁じ、18歳以上であることが証明できなければ映像を伝送してはならない、と定めているそうです(147ページ)。さらに、プロバイダーも「当該映像の送信を防止するため必要な措置を講ずるよう努めなければなければならない」ことになっています。
ところが、この法律で送信を規制しているポルノ的な映像は、「専ら(もっぱら)、性的好奇心をそそるため性的な行為を表す場面又は衣服を脱いだ人の姿態の映像」と定義されていて、この定義では実際にどのような映像が規制対象になるかを定めるのは難しいと考えられます。特に「専ら、性的好奇心をそそるため」という部分は、制作者の主観の問題であり、客観的な基準とは言い難いのではないかと思います。むしろ、ポルノ映像の制作者も、美しいとか魅力的な映像を生み出す努力をしているはずですから、「性的な好奇心をそそるため」だけではなく、なんらかの「芸術的」な意図を持たないということはあり得ないような気がします。
『インターネット術語集』の148ページには、「この規定はあまりに漠然としており、法を適用するときに考慮すべき「明確性」の基準に合致しているといえるだろうか。これぐらいの映像なら大丈夫だと判断して送信防止措置をとらなかった場合、公安委員会から勧告を受けるとなれば、プロバイダーはいきおい過度に神経質になって、あいまいなものはどんどん排除していく「委縮効果」(chilling effect)を生む心配もある。インターネットの表現行為を公権力が直接規制する形をとっていないし、罰則もないけれど、公安委員会が睨み(にらみ)をきかせていれば、実質的には公権力による規制に等しいともいえる」と指摘されています。
実際、「法成立の前後に、都道府県単位でインターネット防犯連絡協議会とかプロバイダー生活安全協議会といったプロバイダーの業界団体が次々と生まれ、その事務所が県警本部内に置かれたり、役員に警察幹部が名を連ねたりしている」そうです(149ページ)。どうやら、この法律によって警察は新たな天下り先を確保したようです。
改正風営法案の国会審議はわずか2カ月足らず
米国での違憲判決が97年6月に出されてから1年も経たない98年3月に国会に提出された「改正風営法」は、わずか2カ月足らずの審議で4月末に成立して、99年4月に施行されました。『インターネット術語集』では、「国会においても、マスメディアにおいても、それほど議論が行われないままに成立したことは、同法がサイバースペース(インターネットなどのIT(情報技術)によって実現した情報空間、詳しくは同書の1―6ページをご覧ください)規制のいわば先陣を切ったものだっただけに、いささか迂闊(うかつ)だったように思われる」、「同法案が衆議院で審議中の1998年4月下旬、日本弁護士連合会が、改正風営法は『表現の自由に制限、通信の秘密の保護の侵害、映像送信の検閲等基本的人権を侵害するおそれが強い』とする会長名の反対声明を出している」そうです。
米国での貴重な前例がありながら、その経緯を無視する形でこのような法律が成立したのは、大きな問題といえましょう。日本では言論の自由が憲法で保障されているため、国会議員だけでなく、大多数の国民もそれが、実現しているかのように考えているようです。そのために、米国のように連邦憲法修正第1条を実現させるために、多様な規定を設けるという試みはほとんどないようです。
ところが、実際には憲法のかなり条文は完全に無視されているようです(これについては、問題38(政治)の回答、問題41(警察)の回答でも触れました)。たとえば、日本国憲法第21条[集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]では、「(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定められており、さらに、プロバイダーなどの通信事業者の事業を規制している通信事業法3条では、「検閲の禁止」が、4条では「通信の秘密の保護」が定められています。ところが、改正風営法に従うために、プロバイダーは通信の内容を調べることが義務付けられることになりました。そのため、改正風営法がこれらの条文に違反するのは明らかと考えられますが、こういう法律がほとんど議論もされずに通過するところをみると、日本は法治国家といえるかどうか疑問を感じます。
最後に、「米国通信品位法(CDA)最高裁判決」については、同名のホームページ
(http://www.asahi-net.or.jp/~lg9h-tkg/cdasup2.htm )を参考にさせていただきました。このホームページには、判決の英語の原文が載っているだけでなく、詳しいメモや単語の説明も付いていますので、大変参考になりました。この判決を読むと、米国の裁判では、表現の自由がいかに重視されているかということや、これを阻害するものを徹底的に排除しようとする基本スタンスが確立していることが分かりました(2000年12月24日)。
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