問題94(英語)の答え・・・ a. How about getting together on Monday or Tuesday? 「今度の月曜日か火曜日に集まるというのはどうですか?」は正しく、b.、c.、d.は誤りです。以下では、『実践
日本人の英語』(以下では『実践』と表記します)に基づいて四つの組み合わせそれぞれが、なぜ正しいか、または間違っているかについて説明します。
文例 a. "How about getting together on Monday or Tuesday?"について(同書31ページ以下)
"How about + 名詞"で、「~についてどう思いますか?」とか「~してはどうですか?」という意味になりますが、この場合には"get
together"(集まる)という動詞から作られた名詞である動名詞"getting together"を使って、「集まるのはどうですか」と質問しています。問題は、"on
Monday or Tuesday"で、この場合、翻訳は「今度の月曜日か火曜日」となり、「今度の」という修飾語が付くようです。
『英文法辞典』(清水護(まもる)編、培風館刊)によれば、「月名、祝日名はつねに無冠詞。曜日名も一般に無冠詞で、とくに今〔先、来〕週の・・・曜日という場合・・・・に無冠詞」とされています(68ページ)。文例
a.でも、Monday、Tuesdayは無冠詞で使われているため、通常、今〔先、来〕週の月、火曜日という意味になるようですが、相手に今後の都合を聞いているため、未来のことを話題にしているのは明らかなので、「今度の」月、火曜日という意味になるようです。
マーク・ピーターセン氏によれば、日本人が、知り合いの「英語圏人」を夕食に誘う場合で、「この先しばらくは、月曜日か火曜日ならたいてい都合がつく」ために、「この先しばらくの間の月曜日が火曜日はどうですか」という意味で、文例
a. が使われることがあったようです。ところが、文例 a. の翻訳に「この先しばらくの間の」という修飾語を付けるのは、上で説明した理由から間違いのようです。
こんな場合、英語圏人なら、"How about getting together on a Monday or a Tuesday?"とMonday と Tuesday の前に不定冠詞の"a"が付けられるそうです。なぜ不定冠詞が付けられるかについてのピーターセン氏の説明を同署の32ページから下にコピーさせていただきます。
『「近々」や「この先しばらくの間」、「近いうち」などという一定の期間内において、月曜日や火曜日はいずれも複数ある。その中の1つの日にスケジュールを合わせたいので、当然のことながら、 a Monday or a Tuesdayと表現する必要が出てくるのだ。a という不定冠詞はまさしく「複数あるものの中の1つ」を示すために使われる、重要な役割を果たしてくれる言葉なのである。』
ここまでが引用ですが、一般に複数の不特定の月曜日を指す場合には Mondaysという冠詞の付かない複数形が使われる一方、「5月のすべての月曜日」というように、複数の特定の月曜日に言及したい場合には、"all the Mondays in May"などと、複数形に定冠詞を付ける必要があるそうです(32~33ページ)。さらに、"the
Mondays in May"と "all" は付けなくても同じ「5月のすべての月曜日」という意味になるそうです。この点について、ピーターセン氏は次にように書かれています。
『定冠詞のthe にはall (=「きまったもののすべての」)の意味が含まれているということは、日本人の英語学習者が忘れがちな、重大な点である』
『英文法解説』(江川𣳾一郎著、金子書房刊、以下では『解説』と表記)によれば、このような定冠詞の用法は「総括的用法」と呼ばれており、その例として次のような文が挙げられていました(123ページ)。
例 a --- Are these (all) the eggs for breakfast? 「朝食の玉子はこれだけですか(all は省略可能)」
例 b --- Spring has come; the birds are singing and the flowers have begun
to bloom. 「春が来て、鳥は歌い、花は咲き始めた。」(周囲一帯の鳥や花)
文例 b. I write about my trip to Canada. I stayed there only 2 weeks, but
I learned many things, and it became a very precious memory. について(49ページ以下)
文例 b. はある学生が「私のカナダ旅行について書きます。たった2週間の滞在でしたが、たくさんのことを学んで、とても貴重な思い出になっています。」という日本語から英作文したものでした。しかし、この英文をそのまま正確に和訳すると、「私にはカナダ旅行について書く習慣があります。たった2週間だけの滞在でしたが、たくさんのことを学んで、(あのときは)貴重な思い出になりました(が、今はそれほどてもありません)」という全く別の意味になるそうです。
この間違いは、適切な時制が使われていないことが原因のようです。「私のカナダ旅行について書きます」の部分を文例 b. では、現在形を使って、I
write about ... としていますが、「書きます」という日本語には二つ意味があり、「私はメールをよく書きます」のように、習慣的行動を表す場合には、英語でも現在形で表現できます。これに対して、「これから・・・について書きます」という場合には、未来の行動について言及しているため、未来形または、近接未来(be
going to ) を使う必要があるようです(未来形のwill を使うのは、その場で決定した場合で、近接未来を使うのはすでに予定していた行動の場合であることについては、問題70(英語)の答えでご紹介しました)。従って、「私のカナダ旅行について書きます」と英語で書こうと思った場合には、"I will 〔am going to
〕 write about my trip to Canada."と書かなければならないようです。
「たった2週間の滞在でしたが、たくさんのことを学んで、」の部分は正しかったようですが、最後の、「とても貴重な思い出になっています」の時制も違っていたようです。文例
b.では"it became a very precious memory. ."と過去形が使われていますが、その場合、単に過去の事象に言及するだけで、「前は貴重な思い出だったが、今は特にそうでもない」という印象を与えてしまうそうです(『実践』の52ページ)。これは「過去時制は単に過去の事象を述べるのに対して、現在完了は過去の事柄と現在とのつながりを前提にしているので、語法上いくつかの相違点がある」(『解説』の237
ページ)ためのようです。このことを説明するために『解説』の238ページには、次の二つの例文が挙げられていました。
例 c-1 --- My grandfather has lived here all his life. 〈祖父はまだ健在〉 --- 現在完了形を使用
例 c-2 --- My grandfather lived here all his life. 〈祖父は死んで過去の人〉 --- 過去形を使用
両方とも日本語訳は「祖父はここで一生を過ごしました」ですが、a) の方では、現在完了形が使われているため、現在の祖父の状況との関係について言及されているという印象を与えるため、祖父はまだ健在である場合に使われるのに対して、b).の方は、現在の状況とは切り離された過去の状況について説明しているという印象を与えるため、祖父はすでに死去している場合に使われると考えられるようです。
ちなみに、文例 b. で取り上げられた時制の問題については、NHKの「テストの花道」という番組の「英語のニガテ克服!時制がスッキリわかるワザ!」(http://www.nhk.or.jp/hanamichi/p2013/131125.html)に分かりやすく説明されていましたので、ご参照ください。
文例 c. After I graduate, I enter a bank. 「私は卒業後、銀行に入社する。」について(65ページ以下)
文例 c.に対応する日本語訳は『実践』の68ページによれば、「私には卒業してから一軒の銀行の中にに入る習慣があります」と問題に示した日本語訳とは全く異なるなるようです。このように全く違った意味となるのは、(1)enterという動詞の意味が違っていることと、(2)現在時制の意味の取り違いという二つの間違いが重なったためとみられます。
まず、enter a bank のenter は「入る」という意味なので、enter a bank = 「銀行に入る」=「銀行に入社する」という意味であると考えられやすいようです(実際辞書にも「入社する」という訳語も載っていました)が、enterは通常、建物に入るという意味にはなるものの、英語で「入社する」という場合には、通常 start
working at a company とか become employed by ... とか join a company などと表現するようです(『実践』の70ページ)。
また、enterのような動作動詞の現在形は、通常は習慣を表すため、I enter と書くと、「入る習慣がある」という意味になるようです。未来の出来事である卒業の後に入社することを表したいのであれば、未来形を使う必要があり、結局「私は卒業後、銀行に入社する。」という日本語と同じ意味の英語は、
After I graduate, I will start working for 〔be employed by; get a job at
など〕a bank.
ということになるそうです(76ページ)。
文例 d. I could meet him in New York. 「私は彼にニューヨークで会えました。」について( 85ページ以下)
文例 d. に対応する正しい日本語訳は「ニューヨークに行けば(行きさえすれば)、私は彼に会える(はずだけど....)」 となるそうです(99ページ)。つまり、こう話した人は、まだその人に会えていないことを意味するそうです。お恥ずかしいことですが、私にはこの話がちょっと意外だったので、友人のアメリカ人に確認にしてみましたが、全くその通りだという話でした。
なぜこういう意味になるのかについて、99ページに説明がありましたので、引用させていただきます。
『純粋に「会える」なら"can meet"なので、その過去形の"could meet"ならば、「私はニューヨークで彼に会えました」という意味になるはず、と思われただろうか?
しかし、英語を母語とする人間からみるとそういう意味にはならない。---このように肯定文に登場するwould と could は、原則的に仮定法過去形(引用者追記:現在の事実に反対のことやあり得ないことを仮定するための用法)として使われる。もし、仮定法が表現する「あくまでも想定しているだけ」の話ではなくて、実際に「私が彼にニューヨークで会えました(会うことができた)」と伝えたいなら、I was able to meet him in New York. と述べる。』
上でご紹介した『解説』の291~292ページに could と was/were able を肯定文で使う場合の相違点などについてもっと詳しく書かれていましたのでご紹介します。
(a) 過去における能力・可能性だけを表す場合はcould とwas/were able to の両方が使える。
例 d --- I could/was able to run much faster when I was young. 「若いころはもっとずっと早く走れた〔走る能力があった〕」
例 e --- He could/was able to cook his own meals whenever he had to. 「必要に迫られればいつでも、彼は自分の食事を自分で作れた」
(b) 現実に何か単一の行為・動作を実行した場合にはwas/were able toで表し、could を使うことはできない。これは誤りやすい点なので、特に注意する必要がある。
例 f --- I was able to borrow an umbrella, so I didn't get wet.「傘を借りられたので、ぬれませんでした」・・・この場合、I
could borrow an umbrellaでは、実際に借りたかどうかが不明になって、文章が成立しないから誤りである。この文のような場合は、単にI borrowed an umbrellaとしても十分に文意が成立する。
例 g --- I could pass the examination. では試験に合格したことにはならない。合格したのなら次のように言う。
I was able to pass / managed to pass / succeeded in passing the examination.
これに対して、I couldn't pass the examination. は合格の能力がなかったということで、受験しなかったか、受験して落ちたかである。
〔例 g. はR. A. Close, A Reference Grammar for Students of English, London (Longman), 1975からの引用だそうです〕
ただし、『解説』によれば、以下の場合は、couldを素直に解釈していいようです。
(1)否定文または否定的意味の場合・・・否定文では動作が行われなかったのだから、could と was/were able to の差は問題にならないそうです。
例 h. --- The door was locked, so I couldn't (=wasn't able to / was unable
to ) get in 「ドアにはかぎがかかっていたので、中に入れなかった。」
例 i. --- He was dead tired and could hardly walk a step farther. 「疲れ切っていて、ほとんど1歩も歩けなかった。」(否定文ではありませんが、意味はほとんど否定していることになるため(hardly)
否定文と同様に解釈できるそうです。こんな文を、「準否定文」と言うようです。
例 j. --- I could only eat a slice of toast and I was full. 「トースト1枚を食べるのがやっとで、おなかがいっぱいになった。」・・・これも、否定的な意味でonly が使われているため、「準否定文」とみなされるそうです。
例 k. --- He stole a kiss from her before she could protest. 「彼は有無を言わせず彼女にキスした。」・・・この例はbefore以下が肯定であるが、文意の上から見て動作(protest)がおこなわれていないからcouldでいいそうです。
(2) 過去の可能性を表す場合
例 l. --- In those days such a gossip could be fatal to the reputation of
a minister. 「当時はそんなうわさ話でも牧師の名声には致命的になることがあった」
例 m. --- He could be very unpleasant when he got angry. 「腹を立てると、彼はとても嫌みな人間になることがあった」
(3)過去の許可を表す場合
例 n. --- On Saturdays we could (=were allowed to ) stay up until eleven.
「いつも」土曜日には11時まで起きていることができました/許されました。」
例 o. --- The doctor said we could speak to the patient for just a few moments. 「医師はほんの短時間なら患者と面会してもよいと言いました。」
(4)現在の能力・可能性、許可、依頼を表す場合
例 p. --- I think she could go home by herself (if she had to). 「〔やむをえなければ〕彼女はひとりで家へ帰れると思います」・・・能力・可能性の場合で。この例が示すようにcould
で現在の意味が表せるのは、言外に何らかの仮定の条件が含まれているからだそうです。
例 q. --- I could (can) get him on the phone, if you like. 「もしよければ、彼に電話に出てもらえますが。」
いずれにしても、肯定文でcouldを使うときはよほど注意しなければならないようです(2014年5月30日)。
『実践 日本人の英語』の第1刷をお持ちの方へのご注意・・・岩波新書編集部のwebページ(https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/ )によれぱ、第1刷の157ページと158ページには誤植があるとのことですのでご注意ください。なお、手元にある第4刷ではこの誤植は訂正されています。
○ 157頁10行目以下
ワタナベらが目標を達成した(=失敗することなく達成した)のは
→ (正) ワタナベらが目標の達成に失敗したのは
○ 157頁最終行
Watanabe et al. did not fail to ….
→ (正) Watanabe et al. failed to ….
○ 158頁下から3行目
I was not happy, ….
→ (正) I was happy, ….
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