日本の精神医療制度改革を先導されてきた元朝日新聞記者の大熊一夫様が問題98(医療)の答えの中の誤りを指摘してくださいましたので訂正しました

1970年に、アルコール依存症を装って精神科病院に入院し、その体験記、『ルポ精神病棟』を朝日新聞社会面に連載して、鉄格子の内側で日常的に行われていた入院者虐待を白日のもとにさらして以来、日本の精神医療制度改革を先導されてきた大熊一夫様が、問題98(医療)とその答えに目を通してくださり、答えの中で間違いを指摘してくださいましたので訂正させていただきます。

問題の箇所は、下にコピーした「治療のためには患者と医師が対等な立場に立つことが基本」という段落の最初の部分です。

「バザーリアの精神科の治療に対する考え方の基本は、患者1人1人が別の状況下にあり、別の問題を抱えているため、教科書や経験に基づいて「診断」を下して一定の治療法で治療するだけでは問題は解決しないというものでした。そのためもあって患者は「顧客」(オースピテ、òspite)と呼ばれました(現在ではイタリア全土で精神病の患者のことを「オースピテ」と呼んでいるそうです。さらに最新の米国の精神療法、例えば弁証法的行動療法の患者も、療法の中で「顧客」(クライアント)と呼ばれています)。

この部分について大熊様は、精神病院の患者は「顧客」(オースピテ、òspite)ではなく、「ユーザー」(ウテンテ、utente)と呼ばれているため誤りであると指摘されました。

ただ、私が調べたところ患者を「顧客」と表現している文献もあるようでしたのでお尋ねしたところ(下に「私からのお尋ねのメール」をコピーしました)、大熊様から4月18日に次のようなメールをいただきました。


オスピテという呼び方は、「患者」と同義語ではありません。「旧病院」を住みかとする元患者といった意味だろうと思います。
ウテンテは「患者」と同義語です。

僕の知る限り、こうです。トリエステのサン・ジョヴァンニ病院を縮小閉鎖するときに、旧病院の外に住まいを見つけられなかった3~400人ほどの高齢入院者を、やむを得ず旧病棟や院長邸をグループホームにして市民として住まわせました。
そこでバザーリアたちは、これらの人間は「入院患者ではない普通の市民である」ということを世間に示すために、「入院患者」ではない別の呼び方として「オスピテ」を使うことにしたのだと、聞きました。

トリエステは、1980年に完璧にマニコミオを閉鎖しましたが、惰眠をむさぼった多くの県にはマニコミオが残っていて、これ等が完全に消えたのは1999年3月と言われています。
この惰眠組では、マニコミオが病院の機能を少なからず残していたでしょうから、「病棟の入院者」なのか「旧病棟をアパート代わりに使うオスピテ」なのかが、判然としない状態にあったと想像できます。ザネッティの表現は、正確ではないと、僕は思います。


つまり、「顧客」(オスピテ)とは、病院から出ても行く先の見つからなかった高齢入院者で、旧病棟や院長邸をグループホームとして住むことになった患者達のことを言い、患者一般のことは、「ユーザー」(ウテンテ)と呼んでいたようです。

そこで、上にコピーした部分のうちの、赤字部分を次のように訂正しました。

「バザーリアの精神科の治療に対する考え方の基本は、患者1人1人が別の状況下にあり、別の問題を抱えているため、教科書や経験に基づいて「診断」を下して一定の治療法で治療するだけでは問題は解決しないというものでした。そのためもあって患者は「ユーザー」(ウテンテ、utente)と呼ばれました[また患者のうち、マニコミオ閉鎖の際に病院から出ても行く先の見つからなかった高齢入院者で、旧病棟や院長邸をグループホームとして住むことになった患者達のことは特に「顧客」(オスピテ、òspite)と呼ばれました。ちなみに最新の米国の精神療法、例えば弁証法的行動療法の患者も、療法の中で「顧客」(クライアント)と呼ばれています]。

大熊一夫さま、ご多忙中にもかかわらず、貴重なご指摘をいただいてありがとうございました。大変参考になりました(2019年4月28日)。


参考:「私からのお尋ねのメール」

大熊一夫様、・・・ホームページの間違いをご指摘していただいてありがとうございました。

イタリアでは精神病院の患者は「顧客」(オースピテ、òspite)ではなく、「ユーザー」(ウテンテ、utente)と呼ばれているとのご指摘でしたが、私が調べたところでは、オースピテ(またはオスピテ)という言い方もされているようです。この点について大熊様はどうお考えになられるのかを確認させていただいてから、本文を訂正させていただこうと思いまして、メールを差し上げました。最初の例は日本語の文献で、残り2つの例はイタリア語の文献です。

(1)『精神病院のない社会をめざして、バザーリア伝』ミケーレ・ザネッティ、フランチェスコ・バルメジャーニ著、鈴木鉄忠、大内紀彦訳(岩波書店刊)の149ページの4―7行目には次のような記述がありました。

「そして各州に課された多くの閉鎖期限の最後のものは、1997年1月1日に財政法によって定められた。後に同法が算出したところでは、イタリアではなおも計1万7,000人の「客(オスピテ・・・原文ではルビ)」を収容する78カ所のマニコミオが運営されているという結果が出た。」

(2)著名な精神科医であるLorenzo Toresini博士が書かれた"Dalla legge Mariotti a Basaglia"(https://storiaeregione.eu/attachment/get/up_202_14685005811754.pdf からダウンロードが可能です)の157ページの7. Significate e conclusioniの最初には確かにutenteが患者という意味で使われているようです。

L’evoluzione e la attuazione della legge Mariotti (1968) prima e Basaglia (1978) poi è stata un’operazione complessa, difficile e faticosa. Essa ha implicato livelli notevoli di impegno personale da parte di chi, operatore tecnico, amministratore politico o funzionario, familiare e/o utente ha creduto in quest’opera titanica di decostruzione-ricostruzione culturale, sociale e scientifica.

イタリア語は全くの初心者ですので全く自信はありませんが悪しからず。ただ、151ページにはospiteも患者という意味で使われているようです。

Un paziente epilettico dimesso a domicilio cade nella vasca da bagno in cui l’acqua era troppo calda. Si ustiona e muore giorni dopo. Non avrebbe dovuto essere dimesso. Una giovane donna (non ospite del manicomio), già leucotomizzata, uccide il figlio quattro giorni dopo aver avuto un colloquio con due psichiatri (di cui uno è lo scrivente).

(3)またフィレンツェにあった精神病院跡地の紹介記事である、"I TETTI ROSSI - Viaggio nell'ex manicomio di San Salvi."にもòspite が患者という意味で使われているらしい部分があるようです。(http://www.florencecity.it/tetti-rossi-viaggio-nellex-manicomio-san-salvi/ からダウンロードが可能です)。この文の"No! No! al Manicmio del Poveri!"という落書きが写された写真の下(または横)の次の文章です。

Più tardi, negli anni '60, ebbe inizio un movimento di liberazione, che culminò con la legge Basaglia, che a partire dal 1978 impose la chiusura dei manicomi in Italia.  San Salvi cominciò così a svuotarsi, anche se l'ultimo---.,<<ospite>>, come si era solito chamare i degenti, uscirà a poi solamente nel 1998.

ご多忙中恐縮ですが、これらについてのご意見をお知らせいただければ、大変光栄に存じます


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