問題98(医療)の答え・・・(a.すべての精神病院を廃止し新たな精神病院の建設を禁止する、 b. 精神障害のある人々の予防、治療、リハビリ機能は人口6万人に1カ所程度設置することとされた「地域医療センター」が担当する、c.病状確認と保健医療処置は(患者の)自発的意思によるものとし、強制的な病状確認と保健医療処置を行う場合は、公立の保健医療拠点機関が担当し、患者本人の同意と治療への参加を保証するよう留意されなければならない)の3つがすべて正解です。
この改革の中心となる精神病院の廃止は段階的に実施されましたが、1999年3月に保健大臣は、イタリアの精神病院(最盛期には12万人が収容されていた)が完全に消滅したことを宣言しました(『精神病院はいらない!、イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言』大熊一夫著、現代書館、12ページ)。また1987年には、WHO(世界保健機構、国連の専門機関の1つ)がトリエステのやり方を認めて、「WHOメンタルへルス調査研修コラボレイティングセンター」をトリエステに開設して、それ以降、トリエステのやり方を世界の標準にするための支援を行っています(同書、106ページ)。
精神病院の廃止が決定されたのは、最も深刻な精神病と考えられている統合失調症の非常に重症の患者の場合でさえ、危機的状態に陥った場合のために一時的な避難場所を用意すれば、社会の中で治療することが可能であることをバザーリアが明確に示したためです。
問題8(医療)の答えでも触れましたが、世界的に精神病は多くの場合、地域社会の中で治療する方が治療効果が高いということが明らかとなり、また閉鎖病棟への収容は患者の人権の侵害であるとみなされるようになってきました。そのため、先進国では患者を地域社会で治療するという方向性がはっきりと打ち出されました。なぜ地域社会の中で治療する方が治療効果が高いかと言えば、精神病は軽度のものでも薬剤だけで治ることはまれで、患者が精神的に成長したり、耐性を獲得したりすることで初めて改善すると考えられています。ところが、人間の生活というのは、周りの人との関係があって初めて成り立つもので、閉鎖病棟に閉じ込められると、社会性が失われるため、患者が、社会的生活を学習する機会も失われてしまいます。しかも、日本ではかなりの数の患者は、自らの意思に反して入院させられ、いつ出られるかが分からない状況にあります。あなたが突然精神病院に強制入院させられ、いつ出られるか分からないという状態に置かれたと考えてみてください。それでも正気でいられますか。誰にとっても極めて深刻な状況に患者を追いやって、治療効果を期待するというのは無理であるのはちょっと考えれば分かることだと思います。軽い神経症の症状であったにもかかわらず、職場からの圧力もあって家族が本人の意思を無視して強制的に入院させたことが原因で確か入院の1年後くらいに自殺された方を私は個人的に知っています。
世界の精神科病床総数の37%が日本にある
下の図に示されていますように世界の流れは、精神科の(人口1000人当たりの)病床数が減少方向にあるのに対して、日本では1988年頃までは逆に急増し、その後横ばいとなっています。しかも日本の精神科病床数は35万床程度となっており、これは人口比でも絶対数でも先進諸国の中で最大の規模で、2017年現在で全世界の精神科病床総数の37%が日本にあるそうです(注1)。2000年頃の人口1000人当たりの精神科の病床数は、日本が3、イギリス、スウェーデンが1程度、アメリカが0.5、イタリアは0.2以下でした(注2)。精神科入院の平均在院日数は日本では約320日となっており、これはOECD諸国の平均である36日に比べて桁外れに長く、20年以上入院している方が3万人もいらっしゃるようです。(『精神病院のない社会を目指して、バザーリア伝』ミケーレ・ザネッティ、フランチェスコ・パルメジャーニ著、鈴木鉄忠、大内紀彦訳、岩波書店、217ページ)。
注1:大熊由紀子国際医療福祉大学教授の調査によれば、2017年現在で、世界の精神病床の実に37%が日本に集中しているそうです。つまり従来は20%とされていたこの比率は2017年までに、その倍近い水準にまで上昇したことになります。また、同じ調査によれば、日本の精神病院で身体拘束された人の人口当たりの比率は、米国の270倍、オーストラリアの580倍、ニュージーランドの2000倍だそうです。ロンドンで看護師をされているkiwi_nurseさんによれば、イギリスでは身体拘束をすることは99%ないそうです。これだけ非人間的な拘束が横行しているとなると、日本の精神病院は、本当に病気を治療する気があるのかという感じがします。日本の精神病院の近代国家とは思えない非人道的な実態と、厚生労働省がこうした虐待・殺人を放置しているだけでなく、むしろ後押ししていることについては『滝山病院は日本のアウシュヴィッツ – 日本の医療・福祉体制全体の問題』(2023年4月13日付)もご参照ください。
注2:イタリアでも総合病院には緊急避難のための精神科診察サービス病棟(SPDC)が設置されているそうです。ただし、病床数は1カ所当たり15床を超えてはならないものとされていて、社会的入院は禁止されています(『バザーリア講演録、自由こそ治療だ!』フランコ・バザーリア、大熊一夫他訳、岩波書店、付録3ページ)。
人口1000人当たりの精神病床数(『精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本』大熊一夫著、岩波書店、27ページの図からコピーさせていただきました)
日本では精神病院はうまみのあるビジネスとなっている
日本の精神保健制度の最大の欠陥は患者を治療することがないがしろにされる一方、「患者の収容」がビジネスになっていることです。日本では1床から年間400万円から500万円の収入があり、300床の私立精神病院ならオーナー一族の懐に年間約2億円が入ると言われているそうです(「バザーリア講演録、自由こそ治療だ!」 256ページ)。
実際、日本の精神医療が患者を長期間収容することによってビジネス化していることを示す事件が起きました。2018年2月3日に放送されたNHKのETV特集「長すぎた入院 精神医療・知られざる実態」によれば、東日本大震災で東電第1福島原子力発電所から半径5km以内の5つの精神病院が閉鎖になり、1000人近い入院患者が転院させられましたが、それらの患者のうち、福島県内での治療を希望する方々を受け入れた県立矢吹病院の佐藤浩司副院長によれは、受け入れた40人の長期入院患者のうち、入院治療が必要と診断されたのはわずか2人で、残りの38人は在宅で治療可能であったとのことでした。この比率を全国の病床数に当てはめれば、35万人の入院患者のうち、入院治療が必要な患者は2万人にすぎず、残りの33万人は入院する必要のない患者ということになります。
問題8(医療)の答えでもご紹介した「心病める人たち」(岩波新書)の著者である精神科医の石川信義氏は、40年間精神病院に入院していたあと、矢吹病院で「開放」された患者としてこの番組に登場した「時男」さんについて次のようにコメントしています。
『どうしてこの人が精神病院に40年も入ってなきゃなんなかったんだろう。人格の崩壊とか崩れとか、そういう類の状況も見られないし、大変しっかりした人。その人が40年(引用者追記:間入院して)いたという。そのことに私の方がむしろ衝撃を覚えたというか。彼もまた精神病院の犠牲者であったかと。あるいはまた、日本という国の犠牲者のひとりでもあるなと』
ただし、石川医師のようなお考えの精神科医は例外のようで、一般の精神科医の考え方も世界の流れとはかなりかけ離れているようです。例えば、リベラルとみられている香山リカ先生(立教大学現代心理学部教授も兼任されています)にイタリアの制度を日本に導入することに対するお考えを直接お聞きしましたが、残念ながら、香山医師は下記の3つの理由を挙げて文化・制度の違いのために日本では導入はかなり難しいというご意見でした。
(1) 日本の精神病院への入院患者が多く、入院治療期間が長い1つの理由は「私宅監置」「座敷牢」からの開放が戦後の精神医療体制整備の1つの目的となっていたため。
(2) 精神病が直ったと考える状態が国によって違う。イタリアでは何をしているのか分からない人がいてもあまり問題にならないかもしれないが、日本では、直ったのなら働かなければならないと考えられる傾向があるため。
(3) イタリアでは精神病院を閉鎖して、地域精神医療サービス網がその機能を肩代わりしているが、これが可能となるためには、地域住民の理解が必要で、北海道の浦河町の「ベテルの家」による取り組みのように成功しているケースもあるが、それは小さい町なので理解が得られやすかったという面があり、大都市を含めて全国的にこの体制を整備するのは容易なことではないと思う。
精神病院の閉鎖によってトリエステの精神医療に使われる費用は半分以下になった
バザーリアが院長をしていたトリエステのサン・ジョヴァンニ病院の就任当時の病床数は1200床だったのに対して、現在では「地域医療センター(4カ所に28ベッド)や総合病院(6ベッド)やケア付き住宅など(60ベッド)を合計しても、精神科の治療用とみなされるベッドの総数はトリエステ市内で90程度にすぎないそうです。精神病院があった時代の精神医療の年間トータルコストが、今のユーロの価値に換算して5,000万ユーロ。それに対して、現在のこの地域でのサービスのコストは2,000万ユーロと半分以下となっているそうです(バザーリアの後継者の1人で、18年間トリエステ精神保健局長を務めた精神科医のジョゼッペ・デッラックアの発言・・・・『精神病院はいらない!、イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言』大熊一夫著、現代書館、63ページ)。日本の入院患者1人当たりにかかるコストは月間35万円くらいであるのに対して、東京でアパートを借りて(家賃は郊外だと5万円くらい)、外来で治療を受けると医療費はせいぜい1万5,000円くらい、食事もそう贅沢しなければ数万円で済むため、通院治療にすると患者のコストは15万円以下になるとみられます。そのため、コスト面でも入院治療より通院治療の方がはるかに有利なようです(同書の61ベージ)。
患者の人権が尊重され、治療効果が高く、治療コストが低く、しかもWHOも勧める、世界の主流となっている治療方法を厚生労働省が採用しないというのは、長期入院から恩恵を受けている精神科医が大半を占める医師会と、その支援を受けている自民党の言いなりになっているためという理由以外の理由は考えられません。特にバザーリア法の成立から40年も経っているにもかかわらず、その成果を全く認めないという態度は、とても文明国の公的機関とは思えません。
5月革命の最大の成果
以上で、回答についての説明は終わりですが、以下では、バザーリア法が5月革命の最大の成果であると私が考えている理由をご紹介します。昨日たまたまお会いした、一般のイタリア人の方にこのお話をしましたところ、この考えに同意をされましたので、イタリアでは広く知られた考え方なのかもしれません。
トリエステ県の知事として、1200人もの患者を収容していたトリエステのサン・ジョバンニ病院の院長としてフランコ・バザーリアを、(5月革命の3年後に当たる)1971年に抜てきして、精神病院の廃止(「非施設化」)を積極的に支援したミケーレ・ザネッティなどが書いた『精神病院のない社会をめざして・・・バザーリア伝』(岩波書店)の序文でザネッティは次のように指摘しています。
「フランコ・バザーリアは20世紀を通じてイタリアが生んだ最も重要な文化人のなかの1人である。私の知るあらゆる思想家や文化人たちと比べたとき、際立って見える彼の特徴とは、刷新的な思想を築き上げ、それを提唱しただけでなく、その思想を実効的な法律へと吹き込むことにより、その革新を完全に実現したことである」(同書4ページ)
また、同書の98ページには、バザーリア法が5月革命の最大の成果であることを示す次のようなエピソードが紹介されていました。
「たくさんの若者たち、さらに医師や看護師たちが、トリエステにやってくることを選んだ。イタリア国内の他の地域からのみならず、ドイツ、フランス、スペイン、南アメリカなど、またその他の国々からも人々が訪れた。彼らは「過ぎ去った」68年の生還者だった。トリエステという町は、おそらく非常に数多くの68年世代の「避難民たち」が、自らの社会的責務と職業的使命を実際に果たす可能性を持ち得たヨーロッパで唯一の場所だった。彼らは、自らの掲げた理想を諦めることもなく、また自分たちが変革を望んでいた社会によって、「丸め込まれ」たり「買収される」こともなく、想いを成し遂げられることを示してみせたのだった」
治療のためには患者と医師が対等な立場に立つことが基本
バザーリアの精神科の治療に対する考え方の基本は、患者1人1人が別々の状況下にあり、別々の問題を抱えているため、教科書や経験に基づいて「診断」を下して一定の治療法で治療するだけでは問題は解決しないというものでした。そのためもあって患者は「ユーザー」(ウテンテ、utente)と呼ばれました[また患者のうち、マニコミオ閉鎖の際に病院から出ても行く先の見つからなかった高齢入院者で、旧病棟や院長邸をグループホームとして住むことになった患者達のことは特に「顧客」(オスピテ、òspite)と呼ばれました。ちなみに最新の米国の精神療法、例えば弁証法的行動療法の患者も、療法の中で「顧客」(クライアント)と呼ばれています]。さらにバザーリアは治療関係を確立するためには、医師と患者は対等な立場になければならないと主張し、精神病院を廃止する前から、医師の象徴である白衣の着用はやめ、日本ではまだ使われている拘束衣や電気ショック療法(電気けいれん療法)も患者に不要なストレスを加えるだけでなく、処罰として不法に使われる事が多いため中止し、患者、看護師、医師を含めた治療関係者全員が自主的に集まり、自由に発言する自治集会、「アッセンブレア」(assemblèa、出席の義務はなく、入退出も自由で出席簿もなかった)が毎朝10時から開かれました。この集会では2名ないし3名の患者が持ち回りで司会進行の役割を担ったそうです。
(注)日本の精神医療制度改革を先導されてきた元朝日新聞記者の大熊一夫様が、上の段落中に誤りがあることを指摘してくださいましたので、ご指摘に基づいて緑色の部分が訂正されています。詳しくは「最近気付いたこと」の「日本の精神医療制度改革を先導されてきた元朝日新聞記者の大熊一夫様が問題98(医療)の答えの中の誤りを指摘してくださいましたので訂正しました」をご参照ください(2019年4月28日追記)。
北海道の南端、襟裳岬近くにある浦河町で、ソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち・いくよし)さんが1978年に始めた、精神障害を経験した人たちの活動拠点、「べてるの家」(上で香山リカ先生も成功例として言及されています)は患者が社会の中で生活していくための支援を行ってきました。『朝日新聞』の「私の物語をたどって」という連載記事(2018年12月12日から27日までの夕刊掲載の10回シリーズ)でも「べてるの家」の活動が取り上げられていましたが、連載5回目(18日付)によれば、「べてるの家」でも「毎朝、ミーティングで今日の体調と気分を全員が話す。正直になると場が暖かくなる」と書かれていました。このミィーティングとバザーリアの「アッセンブレア」は同じような機能を果たしているのではないかと思います。
近代精神医学の祖とされているピネルに対する評価をミッシェル・フーコーと共有
精神医学の入門書には大体載っている下の絵の左側に立っている人物が、フランスの精神科医のピネル(Philippe Pinel, 1745年-1826年)で、Wikipediaによれば、精神病院での薬の過剰投与を廃し、人道的な精神理学療法によって薬物療法の過度依存を戒(いまし)めた。そして患者の人権を重視し、治験ではなく臨床による心理学的な温かみのある理学療法を重んじ、人道的精神医学の創設者となり、かつ、フランスの人道医療の魁(さきがけ)となったそうです。下の絵は、ピネルがパリのサルペトリエール病院で、鎖につながれていた患者を「開放」したときの様子のようです。
しかし、バザーリアによるピネルの評価はかなり厳しいものでした。
「人間を解放するものとして誕生した精神医学の起源にさかのぼるなら、私たちはピネルを思い起こさなければなりません。彼は監獄から狂人たちを開放しました。しかし残念なことに、そこで開放された者たちを精神病院(イタリア語ではマニコミオ)という名の別の監獄に閉じ込めたのです」(『バザーリア講演録、自由こそ治療だ!』岩波書店、大熊一夫他訳、19ページ)
『狂気の歴史』の序文の冒頭は、次のパスカルの言葉から始まっています。「人間というものが物狂いになるのは、あまりに避けがたいことなので、狂っていないといったところで、物狂いについての違った見方からすれば、狂っているということになるやもしれない」。それほど「狂気」と「正常」を定義するのは難しいようです。
そこでフーコーは、「狂気についての違った見方」の歴史を書く必要があると考えようになったそうです。さらに、次のように指摘しています。
「中世において、そしてルネッサンスにおいても、狂気はひとつの美学的ないし日常的な事実として社会の視野のなかに立ち現れていたのだと言えます。・・・・(ところが)、18世紀末に狂気が精神疾患と認定されてしまうと、狂人と正気(理性)の人との交流はなくなることが指摘される。そして以降、狂人の言葉は忘れさられ、理性の言葉である精神医学の「表現活動/言語活動一般(ランガージュ)」は、狂人の沈黙を基盤として存在してきた。「私は、この[精神医学の]表現活動の歴史を書きたいとは思わなかった。むしろ、私が書きたかったのはこうした[狂人の]沈黙の考古学なのである」(『フーコー・知と権力』の102ページおよび106-107ページ)。
ここで使われた「表現活動/言語活動一般(ランガージュ)」という言葉は、構造主義的手法の基礎となった構造言語学の用語で、スイスの言語学者ソシュール(1857年-1913年)が「一般言語学講義」で用いた重要な概念です。ソシュールは観測しうる現実所与としての言語活動一般すなわちランガージュ(フランス語のlangage、英語のlanguageに対応)を分析し、このなかで特定の個人的な要素パロール(フランス語のparole、英語のwordやspeechに対応)を社会的習慣の体系であるラング(フランス語のlangue、言語学では言行為に潜在する文法体系のこと)から区別し、ラングの構成要素は互いに対立し、その全体は体系をなしていると考えました。
「構造論的な手法、つまりここで言う「考古学」(フーコーの本の多くは、考古学という副題が付いています)とは、ある時代のある文化における横断面をとり、なるべく広い範囲にわたって、同時に起こっている現象をしらべ、その中での共通な思考の枠組みを発掘しようとする。・・・この枠組みはもちろん、無意識に採用されている枠組みである。・・・・要するにフーコーが終始問題にしているのは、ものが特定の単語によって切り抜かれてしまう以前の、ものそのものの沈黙の世界を、できあがってしまっている言語活動(ランガージュ)の下から発掘しよう」とすることのようです(この部分の説明は『臨床医学の誕生』ミッシェル・フーコー著、神谷美恵子訳、271-272ページの神谷氏による訳注によっています)。
最終的に、フーコーは「監禁を治療手段と考えるのは神話である」という結論に達しました。少し長くなりますが、その部分を『狂気の歴史・・・古典主義時代における』(新潮社刊)の503ページから引用させていただきます。ただし、原文に基づいて表現の一部を訂正しました。
かつて古典主義時代(引用者追記:17世紀末から19世紀初めにかけての150年間)の監禁は一種の精神錯乱状態をつくりだしていたが、監禁をおこない被監禁者(引用者追記:監禁されている人)を〈無縁な者〉・〈動物〉としてのみ認知する人々にとってしか、つまり外部からしか、その状態(引用者追記:精神錯乱状態)は存在してはいなかった。ところが、実証的精神医学(引用者追記:思考だけでなく、経験に基づく事実などによって結論がえられた精神医学)が逆説的にも、そこに自らの起源を認めたところの、あの単純な行為(引用者追記:精神病であるという診断)によって、ピネルとテューク(引用者追記:ウィリアム・テュークWilliam Tuke(1732―1822)1792年に、精神病患者を同胞として扱う療養所を設立し自ら運営した社会運動家)は精神錯乱を内在化し(引用者追記:患者自身の内部に原因があるという考え)、それを常に監禁の理由と考え、それを狂人の彼自身への距離として限定し、そうすることで、それを神話に組み立てた。しかも、概念であるものを自然と、また、道徳の再構成であるものを心理の解放と、また、人為的な現実への狂気のひそかな挿入にほかならないようなものを狂気の自然発生的な治癒(引用者追記:回復)と、見せかけようという意図がある場合には、まさしく神話が話題として述べられなければならないのである。
以上が引用ですが、こうした考え方が、精神病院の閉鎖というバザーリアの改革の背景にあると考えることができます(2018年12月31日)。
[2019年3月30日追記]日本の精神医療制度改革の効果的な方法を教えてくださった5人の方に『精神病院はいらない!イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言』(大熊一夫編、DVD付き、2,800円)をプレゼントします。詳しくはこちらをご覧下さい。締め切りは2019年6月末です。
[2019年7月6日追記]書籍プレゼントの締め切りまでに申し込みがなかったため、申し込み方法を簡単にして無期限で申し込みを受け付けることにしました。
[2020年6月1日追記]書籍プレゼントの申込者が予定の10人に達しましたので、プレゼントを終了させていただきました。
〔2021年2月28日追記〕2019年5月にトリエステ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチアの精神病院跡地を訪問して写真を写してきました。風景写真アルバムの「イタリアの精神病院「遺跡」」に写真を載せましたのでご覧ください。
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