「シェルブールの雨傘」のラストシーンが涙を誘う3つの理由
〔Suivi d'une traduction française du résumé: < Trois raisons pour lesquelles la dernière scène des Parapluies de Cherbourg tire des larmes >〕
すべての会話が歌になっている革命的なミュージカル
1964年に公開された『シェルブールの雨傘« Les Parapluies de Cherbourg » 』というフランスのミュージカル映画は、すべてのセリフが歌になっているという革命的な作品で、1964年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(« Palme d'Or »、「黄金のヤシ」という意味で、同映画祭における最高賞)を受賞しました。監督、脚本はジャック・ドゥミー、作曲、編曲、指揮はミッシェル・ルグランでした。シャンソン好きな方でしたら、主題歌(駅の別れのシーン、https://www.dailymotion.com/video/x4y9whb )はよくご存じのことと思います。すべてのセリフは俳優ではなく専門の歌手によって歌われており、最初に音楽の録音が行われ、映像は俳優が音楽に合わせて歌う、つまり「
あらすじ
雨傘店〔店名が映画のタイトル« Les Parapluies de Cherbourg »、つまり『シェルブール雨傘店』となっています〕を営むシングルマザーのエムリー夫人( « Mme Émery »、アンヌ・ヴェルノン、歌はクリスチャンヌ・ルグラン、音楽担当のミッシェル・ルグランの姉で、ジャズやバロック音楽をスキャットで歌っているボーカル・グループである『スウィングル・シンガーズ』のリード・ソプラノ歌手)は、16歳の美しい一人娘ジュヌビエーブ(« Geneviève »、カトリーヌ・ドヌーブ、歌はダニエル・リカーリ)との二人暮らしでした。ジュヌビエーブは、ガソリンスタンド(自動車整備兼業でフランス語ではstation service)で働く20歳の青年ギイ(« Guy »、ニノ・カステルヌオーボ、歌はジョゼ・バルテル)と愛し合っていて、将来は結婚したいと思っていました。ところがギイに招集令状が届いたため、ギイは(物語が始まる1957年11月当時内戦状態にあったアルジェリアに)出発しなければなりませんでした。ギイの出発の前夜二人は結ばれ、あとからジュヌビエーブは妊娠していることが分かりました。
また雨傘店はその後経営危機に陥ったため、エムリー夫人は婚約指輪やネックレスなどの宝石を売ることにして宝石店に持ち込みましたが、店主から購入できないと断られました。そのとき、たまたまその宝石店を訪問していた宝石商のカサール(« Cassard »、マルク・ミシェル、歌はジョルジュ・プラネス)が(おそらく同行していたジュヌビエーブに一目惚れしたため)その宝石を自分が買うと申し出ました。内戦の激化にともなって危険な戦闘地域に派遣されていたギイからの手紙も滞りがちになる中で、つわりの苦しみなどもあってジュヌビエーブは不安に襲われましたが、カサールが生まれてくる子どもを二人の子どもとして育てると言って結婚を申し込んだため、ジュヌビエーブはカサールと結婚しました。
兵役は通常は2年間でしたが、ギーは足を負傷したため出発した1957年11月から1年4カ月後の1959年3月にシェルブールに戻ってきました。しかし、一緒に暮らしていた叔母のエリーズ(« Élise »、ミレイユ・ペレエ、歌はクレール・ルクレール)からジュヌビエーブはすでに結婚していて、母親とともにパリに移ったことを知らされ、自暴自棄に陥り、酒浸りの生活を送るようになりました。そんな中でエリーズが病気で亡くなりますが、ギーは、兵役の間、闘病中だったエリーズの世話をしてくれていたマドレーヌ(« Madeleine »、エレン・ファルナー、歌はクローディーヌ・ムーニエ)に、叔母の遺産などで、ガソリンスタンドを開くので、協力してほしいと結婚を申し込み、二人は結婚しました。
ラストシーンは、1963年12月のクリスマス直前の雪の降りしきる夜に、ギイの経営するガソリンスタンドに、「偶然」ジュヌビエーブが給油のために立ち寄るという場面です。詳しくは下にシナリオをコピーしました。
反戦映画でもある
この映画の登場人物はすべて善意の人であると思います。宝石を買ってくれるようにというエムリー夫人の申し出を断った、宝石店のデュブール氏は唯一冷酷な人間のような印象を受けますが、宝石店は普通宝石を売るところで、顧客から宝石を買ってほしいと要求されてもなかなか難しいのではないかとも思います。またエムリー夫人は、ジュヌビエーブがまだ16歳なので結婚には早すぎるという理由で結婚に反対していましたが、これも本人の将来のことを案じていたためとも考えられます。そのため、ジュヌビエーブとギーが別れ別れになってしまった理由は、招集令状、つまり戦争だけであると考えられ、そのためこの映画は反戦映画とみなすことができると思います。
この映画の構想が持ち上がった1962年にはフランスはまだアルジェリアとの戦争中で、あからさまな反戦映画を公開するのは難しかった可能性があり、そのためラブストーリーという形式で反戦映画が公表された可能性があると思います。1954年にボリス・ヴィアンが有名な反戦歌、「脱走兵」を発表したところ政治問題化して、発売禁止になったことは、このホームページの「いまだに歌い続けられている世界で最も有名な反戦歌の一つ・・・「脱走兵」」でご紹介しました。また、「行かないで」というシャンソンなどで有名となったジャック・ブレルが1957年に発表した「愛しかないとき」は表向きは愛の歌になっていますが、歌詞をよく見ると反戦歌にもなっていることが分かります(ジャック・ブレルについては、このホームページでは問題31(音楽)、「ジャック・ブレルの没後25年目の2003年に発表された「カテドラル」は「辞世の歌」」などで詳しく紹介しています)。ブレルが愛の歌という形式を採用したのも、政治問題化するのを避けるためであったとみられます。
ラストシーンの対訳
では感動的なラストシーンを対訳でご紹介させていただきます。仏語と日本語訳は、『仏和対訳シナリオ、シェルブールの雨傘』(窪川英水訳、白水社刊、94
- 98ページ)およびオリジナル・サウンドトラック(全編完全収録盤)CDの歌詞カード(訳者不明)などから引用させていただきます(ただし、一部引用者の判断で修正させていただきました)。動画もあるようです
(https://www.youtube.com/watch?v=22US1gpG4Bs https://www.youtube.com/watch?v=b5AJUkDcLIU)。
1963年12月のクリスマス間近な雪の降る夜。黒塗りの車がガソリンスタンドに到着。クラクションが2回鳴る。ギーは顔を上げる。また2回鳴る。 | |
Geneveève : Françoise, reste tranquille ! Le klaxon n'est pas un jeu |
ジュヌビエーブ:フランソワーズ、静かになさい。 クラクションをおもちゃにしないで。 |
ジュヌビエーブは車のウィンドウを下げる。ギーはジュヌビエーブの方に歩み寄る。二人はお互いに気がつくが、そんなそぶりは一切見せない。彼女は車から外に出る。 | |
Geneveève : Il fait froid... | ジュヌビエーブ: 寒いわ... |
Guy : Viens au bureau. | ギー : 事務所に来たら。 |
ジュヌビエーブはギーの後に付いて行く。事務所に入り、彼はタバコに火を点ける。 | |
Geneveève : Il fait meilleur ici... C'est la première fois que je reviens à Cherbourg depuis mon mariage. J'ai été chercher la petite chez ma belle-mère en Anjou. J'allais rentrer à Paris, puis j'ai fait ce déteur. Je ne pensais pas te rencontrer. Il a fallu ce hasard.〔A〕 |
ジュヌビエーブ: ここは暖かいわ。 結婚以来、シェルブールに戻ったのは初めてよ。 アンジューの義母の家へ(預けていた)子どもを迎えに行ったの。 パリに戻るところよ。ちょっと回り道をしたの。 あなたに会えるとは思わなかったわ。 こんな偶然がなければ。〔A〕 |
Le pompiste : Est-ce que je fais le plein pour Madame ? | 給油係 :満タンにしますか。 |
Guy : Geneviève.... | ギー : ジュヌビエーブ |
Geneveève : Oui, Le plein. | ジュヌビエーブ : ええ、満タンに。 |
Le pompiste : Super ou ordinaire? | 給油係 :ハイオクですか、レギュラーですか。 |
Geneveève : Peu importe. | ジュヌビエーブ : どちらでも結構よ。 |
Le pompiste : Ben, c'est comme vous voudrez... super? | 給油係 : じゃあ、そうですね、ハイオクでいいですか。 |
Geneveève : Oui. | ジュヌビエーブ : そうして。 |
給油係は去る。 | |
Geneveève : Il est joli cet arbre. C'est toi qui l'as décoré | ジュヌビエーブ : すてきなツリーね。あなたが飾ったの。 |
Guy : Non, c'est ma femme. Enfin... Cest surtout pour le gosse. |
ギー : いや、家内が.... まあ... 子どものためにね。 |
Geneveève : Bien sur... | ジュヌビエーブ : そうね |
Guy : Tu es en deuil ? | ギー : 喪中なの? |
Geneveève : Maman est morte à l'automne. | ジュヌビエーブ : 秋に母が死んだの |
小さな女の子が車の中で遊んでいる。窓ガラスは開いており、車のドアの上に雪の小山を作っている | |
Guy : Comment l'as-tu appelée?〔B〕 | ギー : 子どもの名前は?〔B〕 |
Geneveève : Françoise... Ella a beaucoup de toi... Tu veux la voir ? |
ジュヌビエーブ: フランソワーズ。 あなたによく似てるわ。 会ってみる? |
Guy : Je crois que tu peux partir.〔C〕 | ギー : (黙って首を振る)もう行けるんじゃないかな。〔C〕 |
ジュヌビエーブは戸口で立ち止まり、振り返る。 | |
Geneveève : Toi, tu vas bien? | ジュヌビエーブ : あなた、元気? |
Guy : Oui, très bien. | ギー : とても元気だよ。 |
ジュヌビエーブはコートのえりを立て、もう一度振り返り、去る。車に向かう彼女。給油係がフロント・ガラスを拭いている。車に乗り、出発する。 入れ替わるように、マドレーヌが子どもを連れて帰ってくる。ギーは彼女のところに走り寄ってキスする。ギーは子どもと雪の中で遊び、頭上高々と彼を持ち上げ、事務所に入っていく。(FIN、終わり) |
3つの理由
3つの理由に関係するせりふ(A、B、C)を上記のシナリオで赤字で示しました。
〔A〕「こんな偶然がなければ(Il a fallu ce hasard.)」
ジュヌビエーブはちょっと上で、(葬儀の間子どもを預かってもらっていた)アンジューの義母のところに子どもを迎えに来て、パリに戻る途中、回り道して結婚以来初めてシェルブールに立ち寄ったと言っています。しかしアンジュー、シェルブール、パリの位置関係が分かっている人にとっては、これが単なる回り道ではなく、雪の降る12月の夜であるにもかかわらず、ギーに会って、できれば二人の間にできた子どもにも会わせるための、意図的な訪問であることがわかります。アンジューとはフランス西部の旧地方名で(ロゼ・ダンジュー〔Rosé
d'Anjou〕というロゼワインでも有名です)、中心都市はアンジェ(Angers)です。アンジェからパリに直接向かうと走行距離(現在の道路による走行距離で当時とは異なる可能性があります)は313km(直線距離は260km)ですが、アンジェからシェルブールまでの走行距離は312km(直線距離は約257km)と、パリに戻るのとほぼ同じ走行距離になります。さらにシェルブールからパリまでの走行距離は356km(直線距離は296km)とこの3区間では最長となるため、この回り道によって、ジュヌビエーブは合計668km、つまり直接戻るよりも355kmも余分に走ることになりました。
シェルブール、アンジュー、パリの位置関係
(『新スタンダード仏和辞典』大修館書店刊の表紙裏に載っている地図をコピーさせていただきました)
また、すぐ下の〔B〕で触れる「波止場でのシーン」のすぐあとに、ジュヌビエーブが結婚したら雨傘店を受け継ぐことを提案したのに対して、ギーはガソリン・スタンドを買おうと提案したことから、ギーの夢はガソリン・スタンドを持つことであることをジュヌビエーブは知っていて、しかも、風の便りに、ギーがガソリン・スタンドを始めたことを知ったことも考えらます。そのためジュヌビエーブは、給油をするためだけでなく、ギーに会うために、シェルブールまで来て真新しいガソリン・スタンドを探したとみられます。
明らかに意図的な訪問であるにもかかわらず、ジュヌビエーブが「こんな偶然がなければ(Il a fallu ce hasar.)あなたに会えるとは思わなかったわ」と、この訪問が偶然であるかのように語ったのは、わざわざ大きく迂回してきたと言うと、ギーの現在の生活に波風を立てることになる恐れがあると考えたためとみられます。
〔B〕「子どもの名前は?(Comment l'as-tu appelée?)」
ギーがジュヌビエーブの女の子の名前を聞いたのは、なれそめの頃に、二人に女の子ができたら、フランソワーズという名前にしたいとジュヌビエーブが語っていたことを思い出したためだと思います。その場面のシナリオも下にコピーしました。ここでギーは、「男だったら?」と聞いていますが、女の子を「フランソワーズ」と名付けるのなら、男の子なら(その男性形とも言える)「フランソワ」と名付けようと言いたかった感じがします。
波止場で(Sur le quai)のシーンの対訳
ギーとジュヌビエーブは桟橋を歩いている | |
Guy : Nous aurons des enfants. | ギー : 子どもが欲しいね。 |
Geneveève : J'appellerai ma fille Françoise. | ジュヌビエーブ: 女の子なら名前はフランソワーズにするわ。 |
Guy : Et si c'est un garçon ? | ギー : 男だったら? |
Geneveève : Ce sera une fille. Il y a toujours eu des filles dans la famille. |
ジュヌビエーブ : 女の子よ。 どこの家にだって女の子はいるもの。(注) |
(注)窪田英水氏はこの部分を「女の子の家系なんですもの」と訳されています。その理由は、「どの家にだって・・・」なら dans les familles.
と複数になるためとされています。ところが、単数のdans la famille にも「家族」というものの性質に注目した総称としての意味があると考えると、「どの家にだって・・・」という訳も可能と考えられます。単数型とそれを複数型にした表現が同じ意味になる例としては、Le
chaval est un animal. と、これを複数型にした Les chevaux sont des animaux. があります。両方ともに「馬は動物である」という意味になり、前者は「馬の属性」に注目した言い方で、むしろ抽象的な取り上げ方であるのに対して、後者は実際の「馬の集まり」に目を向けた言い方で、具象的な取り上げ方だそうです(『フランス語の冠詞』松原秀治著、白水社1978年刊、58ページ)。また、dans
la famille を自分の家族(dans ma famille)(は「女の子の家系なんですもの」)と解釈するのもちょっと苦しい感じがします。
その後、ギーが戦地からジュヌビエーブ宛に送った手紙に「僕は君をとても誇りに思う。男の子にフランソワとはすてきな名前だ。」 «Je suis très
fier de toi. François est un joli prénom pour un garçon» と書かれていたことから、それ以前に、ジュヌビエーブがギーに手紙で、妊娠したことと、男の子だったらフランソワという名前にしたいという希望を伝えていたとみられます。
ギーとマドレーヌの間にできた子どもはフランソワという名前ですが、ギーが自分の子どもをフランソワと名付けたのはジュヌビエーブの提案をギーが受け入れたとも言えると思います。
〔C〕「もう行けるんじゃないかな。(Je crois que tu peux partir.)」
ギーは、子どもに会ってみてほしいというジュヌビエーブの誘いを断って、ジュヌビエーブに出発を促したため冷たい印象を受けますが、これは、二人のこれからの幸福を願ってあえて、近づきすぎないようにしようという配慮があった感じがします。
1975年のシェルブール
映画の撮影の13年後に当たる1975年にシェルブールを訪問して関係がありそうな場所の写真を写しましたのでご紹介します。47年前に写した写真のために劣化が激しかったことから、かなり修正してありますが、それでもカビやゴミの跡などが完全には修正しきれていません。悪しからず。また、現在ではこの映画が同市の観光資源になっていて、傘店やギーの住まいなどの場所も分かっていますが、当時はごく限られた情報しかなかったため、分かりやすい場所しか撮影できませんでした。
ギーが最初に働いていたサービス・ステーションとそっくり(おそらくここで撮影されたとみられます)のガソリンスタンドがありました。
二人がオペラのカルメンを見に行った劇場はほぼそのままでした。
オペラを見たあと二人が歩いた港もそのままの雰囲気でした。
有名な駅の別れの場面が撮影された駅舎もほぼそのまま残っていました。最近の写真を見るとこの建物は残っているようですが、ホームには撮影当時はなかった屋根が付いたり、建物がかなり老朽化している感じがしました。
上の建物の裏側にも駅舎がありましたがこちらは映画にはでてこなかったようです。
ラストシーンが撮影されたガソリンスタンドらしいのはここだけでしたが、改装されて向かって右側にあった事務所が左側に移ったようです。その後このガソリンスタンドは閉店したようです。
駅の裏の公園(Jardin Public)からの眺めです。銅像はノルマンディー地方出身の画家、ミレーとのことです。裏山はルール(Roule)山で山頂横には要塞がありました。第2次大戦中にはここにドイツ軍が陣取っていましたが、75年当時には「解放博物館」(Le
musée de la Libération)として公開されていて、トーチカや高射砲が展示されていました。
75年当時のシェルブールの人口は4万2,000人でしたが、その後周辺の地方自治体と合併して市の名称はシェルブール=アン=コタンタン(Cherbourg-en-Cotentin)に変わり、人口も7万8500人に増加しました。元々シェルブール港は、フェリー発着港と軍港として機能してきましたが、近くのラグーア岬に使用済み核燃料の再処理工場ができ、その搬出、搬入港の役割も担うようになりました。福島第一原発のプルサーマル発電に使われていたMOX燃料もシェルブール港から運ばれてきたそうです(2022年4月6日)。
Traduction abstraite en français: < Trois raisons pour lesquelles la dernière scène des Parapluies de
Cherbourg tire des larmes >
Un film révolutionnaire
« EN CHANTÉ » sorti en 1964
Le film « Les Parapluies de Cherbourg » a éte
réalisé et écrit par Jacques Demy, et la musique composée et arrangée par et jouée
sous la direction de Michel Legrand. La partie la plus révolutionnaire de ce
film est que toutes les conversations sont chantées sans exception, par conséquent
ce film est appelé un film « EN CHANTÉ ». L'enregistrement de la musique chantée
par les chanteurs professionnels a éte terminé avant de la prise de vues.
Toutes les images ont éte prises en synchronisation labiale sur la base de la
musique enregistrée à l’avance(Lip Sync、Lip Synchronization). Jacques Demy a réalisé
un autre film « EN CHANTÉ » intitulé « UNE CHAMBRE EN VILLE » en 1982, mais ce
film a été un gros échec au box-office. Par conséquent, « Les Parapluies de
Cherbourg » est souvent considéré comme le seul film « EN CHANTÉ » avec
succès.
Le Synopsis
Geneviève (Catherine Deneuve, chantée par Danielle Licari) et sa mère tiennent
à Cherbourg un magasin de parapluies. La jeune fille est tombée amoureuse
de Guy (Nino Castelnuovo, chanté par José Bartel) et voudrait l’épouser
mais il n’a pas encore fait son service militaire. La veille de son
départ à l’armée, ils font l’amour pour la première fois. Pendant
l’absence prolongée de Guy, Geniviève, enceinte, se marie avec un riche
diamantaire ami de sa mère. Quelques années plus tard, de retour
à Cherbourg, elle retrouve son ancien amant (Les 100 Chefs-d’Œuvre du film
musical, Marabout, 1989).
Un film contre la guerre
La Chanson la plus célèbre dans ce film est « La Gare :
Guy s’en va » chantée à la scène à la gare quand Geneviève a raccompagné Guy qui
a été obligé de partir pour faire le service militaire probablement en Algérie.
En plus, c’est un film contre la guerre. Bien que la mère de Geneviève s’était
opposée au mariage car elle pensait que Geneviève, âgée de 16 ans était trop
jeune pour se marier, tous les personnages semblent être compréhensifs. Je
pense donc que le public comprendra clairement que la seule raison pour
laquelle les jeunes amants ont été obligés de se séparer était la guerre.
Trois raisons
(A) Il a fallu ce hasard.
Geneviève a dit plus haut qu’après être allée chercher sa fille chez sa
belle-mère en Anjou, elle avait visité Cherbourg en revenant à Paris. Mais
pour ceux qui savent où se trouve Anjou, cela s'avère être un détour intentionnel
évident. Anjou est une ancienne province qui correspond à peu près à l'actuel
département du Maine-et-Loire dont la ville principale est Angers. La distance
en ligne droite entre Anjou, Cherbourg et Paris étant d'un peu plus de
200 km pour toutes les trois, on constate que ce détour double presque
le kilométrage.
Aussi, immédiatement après la scène « sur le quai » mentionnée en [B] ci-dessous,
Geneviève a suggéré d'ouvrir un magasin de parapluies après son mariage,
tandis que Guy a suggéré d'acheter une station-service. Par conséquent,
Geneviève savait que le rêve de Guy était de posséder une station-service,
et il est aussi possible qu'elle ait appris par le vent que Guy avait ouvert
une station-service. Donc Il semblerait qu'elle a cherché à Cherbourg une
station-service toute neuve non seulement pour ravitailler la voiture mais
aussi pour voir Guy.
Je pense qu'elle a dit « Il a fallu ce hasard. » car elle pensait que dire qu’elle avait fait délibérément un grand détour pouvait perturber la vie actuelle de Guy.
(B) Comment l’as-tu appelée?
Je crois que Guy a demandé Geneviève le nom de sa fille, parce qu'il se
souvenait que, dans la scène au commencement d'amour «sur le quai » (dont
le scénario est copié ci-dussus), Geneviève avait dit: « (Si jamais nous
avons une fille,) j'appellerai ma fille Françoise. »
Plus tard, dans une lettre que Guy envoya du champ de bataille à Geneviève,
il écrivit : «Je suis très fier de toi. François en un joli prénom pour un garçon». Il semble qu'elle lui ait dit qu'elle était enceinte et que si le bébé
était un garçon, elle voulait l'appeler François.
Le garçon né de Guy et Madeleine s'appelle François, et je pense qu'on
peut dire que Guy a accepté la suggestion de Geneviève lorsq'il a nommé
son enfant François.
(C) Je crois que tu peux partir.
Guy semble avoir osé conseiller à Geneviève de partir pour
leur bonheur à tous les deux.
(le 6 avril, 2022)